Random thoughts in Japanese. All optinions are my own.

2021/09/30 (Thu.)

  • 夏休みの間がんばった自分をねぎらって、南房総に一人旅に来た。一人旅は1年前の宮崎ぶりだ。もうそんなに時間が経ってしまったか。
  • 昔友人が大学受験期に鬱屈としたときに房総半島を電車で一周しながら参考書を読んでいたというのを聞いて、いつかやってみたいと思っていた。上野から内房線を3時間、キルケゴールを読みながら房総半島の海を眺めていた(とはいえキルケゴールが難しすぎたので割と寝ていた)。
  • 本当は明日は外房線を回って念願の房総半島一周を達成したかったのだけれど、生憎の台風で計画運休になるらしく断念。おそらく東京にいる間にはもう来ないだろうから、今後の長い人生の楽しみに取っておくことにする。

2021/09/29 (Wed.)

  • 依頼されていた1時間の招待講演を終えた。半年ぶりの長時間講演だった。やはり講演時間が30分を超えるとタイムマネジメントがうまくいかず、後半の説明がうまくできなかったのはかなり反省している。何人かの人にそこそこ面白がってもらえたのは幸いだった。仕事として依頼されている以上、もっとうまく喋れるようになりたい。
  • 別にTwitterでつぶやいているわけでもないのに、意外と書いたブログが読まれているらしい(例えば先日の白眉の話とか)。自分の書いた文章がちゃんと人に届いている嬉しさ反面、文章を残す責任感も感じる。
  • 招待講演を終えたので、気分転換にfrom afarでコーヒーを飲みながら山口「日本哲学の最前線」を読み終えた。6人の30〜40代の日本の哲学者の思想を紹介する本で、こういう形で紹介されていると体系立てて理解できるのが良いと思う一方、体系立て方自体に著者のバイアスが入っている(それ自体悪いことではない)ので、結局はちゃんと個々の思想家を追わねばならなさそうだ。人文系研究者だと30代は理系と違って博士号を取るボリュームゾーンの年齢らしい。そもそも研究を始めてから10年程度をかけてようやく博士論文の形として結実するほど考え抜いた思想を目の当たりにすると、理系で3年ぽっきりの博士課程で一体何が得られているのか、心許なくなったりする。昨晩も「10分」の人とそんな雑談をしていた。人文系であるにせよ理系と同様に10年もやっていたら研究自体が時代の流れによって陳腐化してしまうという指摘もあるので、現実的には10年も博士研究をやることは推奨されない、という観点もあるので難しい。
  • 夏休みの仕事がほとんど終わってきた。あとは論文を2本投稿するだけだ。やる気が出ずに数ヶ月苦しんでいた共同研究も、ここ1、2週の間に怒涛の勢いで仕上がってきた。ある程度の質に達しそうな見通しが立ってきて安心している。

2021/09/26 (Sun.)

  • 数日前くらいからだろうか。鈴虫の声が聞こえるようになってきた。気づけば学生生活最後の秋だ。
  • 週末は緩く論文執筆をしながら休もうかと思っていたけれど、結局やる気が出なかったのでほとんど寝ながらYouTubeを見ていた。これではまずいと思って、積読を少し消化したり、今日の午後は合羽橋界隈を散歩しながら考え事をしていた。合羽橋界隈の散歩は9/5以来。考え事をしていたら段々と充足感が出てきて、週明けも頑張ろうという気持ちになれた。
  • 週末はポアンカレ「科学と仮説」を読み終えた。三段論法からどのように綜合判断が導き出されるのか、それは数学的帰納法による先天的綜合判断と、実験科学から引き出された仮説に立脚した論理推論に基づく、とすれば特に後者の仮説はどのような観点で正当化出来るのか、あるいは意味を持つのか、というのが粗筋。ポアンカレはピアソンにも通ずる観念論的科学観を持つ。すなわち、幾何学にせよ力学にせよ、そこに真なる公理は存在せず、在るのはただ役に立つ定義だけである、という見方だ。これはユークリッド幾何学の公理がそうであるし、力の定義でさえもそうである。言われてみればその通りで、古典力学ではしばしば注目する物体以外の万有引力の影響は無視する以上、真の力は原理的に観測し得ないわけで、力の実存は知り得ないものだ。これはBoxの “All models are wrong; but some are useful” という言葉にも見られるように、結局のところ科学法則は予測に役立てば良い、一種のプラグマティズムが根底にあると言える。そもそもラプラスの悪魔が有り得ない以上、真実は我々には知り得ないものだから。
  • この辺りの科学哲学に触れていると、自分は何のために研究しているのかを見つめ直させられる。僕自身は計算機科学をはじめとした自然の「本質」を知りたいと漠然と考えていたが、そのようなものはおそらく幻想でしかないとなれば、農業生産性を向上させようとした古代の占星術のように、プラグマティズムに根ざさなければならなくなる。僕にとっての科学の目的はなんだろうか。あるいは目的はあるのだろうか。
  • 散歩しながら考えて得た結論のひとつは、僕は「人間の “理解” を知りたい」、そこにはおそらく「相互理解の欠如に起因する現代社会の断絶を解決したい」という動機が朧気ながら見てとれるのではないかという点だ。別に自分に取ってこの課題意識を生むようななにか強烈な原体験があったわけではないけれど、こんなことを漠然と考えているのはそれほど間違っていないのではないだろうか。この言語化を得ることが出来ただけで今週末は有意義だった、ということにしておくことにする。

2021/09/23 (Thu.)

  • 白眉の採用までの経緯をまとめてみた。一応誰かの役に立つかもしれないし、単純に自分がこのときにどんなことを考えていたのかを記録しておきたい気持ちがある。おおよそ8000字、推敲なしで書くのにだいたい3時間くらいかかっただろうか。
  • そういえば、先日買った「現代思想」を最近読んでいる中で少し引っかかった「圏論的人工知能と圏論的認知科学」という記事がある。非常に大まかに言えば、フレーム問題を解決するためには離散(記号処理)と連続(統計処理)の世界をつなぐ必要があり、そこに圏論的双対が重要な役割を果たすことができる、という内容だった。トピック自体は面白いと思うものの、明らかに専門性の高い概念の説明が端折られるなどreader friendlyでなかったり、節々に高慢な考えが見て取れて青臭さを匂わせていて、一体この著者は何者なんだろうとつい気になって調べたところ、白眉6期の丸山さんだった。ここでも白眉研究者か!いや、文章の第一印象こそよくなかれども、考え方の斬新さや挑戦的な研究の姿勢は感じられる。現在はANUで教鞭を取っているらしい。曰く、ANUは人文系が強く、哲学においては世界トップを争う水準なんだとか。面白い。もしかすると、僕が最近悶々と求めている研究の出口を丸山さんは既に見通しているのかもしれない。少しでも良いのでディスカッションがしてみたい。

2021/09/22 (Wed.)

  • 所用で入管に行った。今回は敢えて天王洲アイル駅を使うルートで行って、はじめて天王洲アイル周辺を歩いてみた。雰囲気は先日散歩した芝浦周辺に似ていて(距離も近いから)、港湾付近にタワーマンションがそびえ立っていて首都高や鉄道が騒がしい。この光景はおそらく世界中を見渡しても他の場所では見られないであろうかなり不思議な風景だと思うけれど、重低音がせわしなく響き続いているのであまり居心地は良くない。

2021/09/21 (Tue.)

  • 毎年恒例の、JST競争的資金の内定情報解禁日で、知り合いが何人かさきがけやACT-Xに採択されていた。僕が大学院に入ったばかりの頃はまだACT-Iも創設されたばかりで、大学院生が予算を獲得するのは仕組みとしてもまだまだ未熟だったと思うけれど、この5年程度で大学院生でも独立した個人研究者として活動ができるんだ、という雰囲気が醸成されつつあると感じる。それ自体は良いことのように思う。
  • いくつか負債になっている研究が増えてきた感覚がある。夏休みの終盤、自分の中ではこの一連の研究を責任をもって完遂させることが一番の大仕事でまだ残っている。気は重い。他にもっとやってみたいことはあるのに、負債として残ってしまっているが故に完遂せざるを得ない状況になっている。今回はもう状況的に仕方がないが、自分が責任を負えない研究は軽々しくはじめてはいけないし、研究の責任所在は明確にしなければならないことを身をもって学習する機会として捉えるしかない。
  • 僕の今年の夏休み、もとい夏の間にやらなければならない仕事もあと2週間。これを乗り切れば(博論執筆はする必要があるけれども)一旦の自由が戻ってくる。

2021/09/20 (Mon.)

  • 今週末は延期されていたオンラインの五月祭で、例に漏れず10分の企画でトークをやっていた。これも気づいたらM2のときに始めてから5回目で、今回は5回もトークをしておいて初めて運営に関わったり司会をやったりしていた。特に司会もといファシリテーターは機転を利かせる必要があってなかなか疲れるけれど、やりがいはとてもあって面白い。
  • オンラインで打ち上げもなかなか盛り上がらないかと思っていたけれど、自分の予想に反して4時間くらいずっと喋り込んでいた。最初は言語学の話をしたりしていたうちに、日本文化とか科学教育の方向性や、しまいには研究予算のあり方や若手研究者のキャリアについて、気づけばお互いの意見をぶつけ合っていた。「10分」企画の人たちとこういう話をしてみたいと思っていたのでとても嬉しい。特に自分の中で気付かされたのは、若手女性研究者がファーストキャリアで進む非正規雇用の研究職では、産休の間に辞職するか、よくて無給の休職を選択するしかないという現状。一応RPDが産休等後の研究職復帰の制度として作られているらしいのだが、結局産休中の手当はどこからも保証されることはないので、一体どうすれば良いのか。同年代の女性研究者はこういう選択を迫られているのかと知ると恐ろしくなる。このあたりは結局のところ、アカデミア界隈の制度の問題もあるけれど、同時に日本社会全体として非正規雇用に対する社会保障の手薄さが顕現している一例だと思っていて、社会全体で意識改革するしかない。

2021/09/17 (Fri.)

  • なんと4年ぶりに最先端NLP勉強会に参加した。時間が経つのが早い、という感想ばかりになっている。
  • 博士後に自分が本当にやりたいと思うことを見つめたときに、「知識・理解」一般をもっとわかりたいという気持ちがあって、その足がかりにしたいと思って4年ぶりに参戦した。僕の知る国内NLPコミュニティの人は所謂「言語愛」を持っている人が多い印象があって、その辺から自分の進むべき方向性に対して何か示唆を得られないかと期待した。自分としては特定のタスクが解けることが言語理解とみなせるのかに興味があって(この問自体には肯定的な意見も否定的な意見も持っていない)、実際にこれに対して課題意識を持っている人もいることが知れた。従来の言語モデルを代替するようなより「自然な」言語の表現形態は未だ全くの暗中模索の中にあるのだと思うが、果たして自分が現役のうちに何かブレイクスルーは起こるのか。

2021/09/16 (Thu.)

  • ヨビノリの動画をなんとなく見ていたら、東大の伊藤創祐先生との学術対談があって、そこで情報幾何と熱力学の関係が扱われていた。曰く、エントロピーの二階微分の負は何らかの意味で計量になるのだと。これはまさに僕が知りたかった、Fenchel-Young lossの文脈におけるエントロピーの二階微分の負がproper lossのweight functionに対応している、その「意味」に関係していたので、かなり見入ってしまった。ちなみに伊藤さんは非平衡物理が専門らしく、共著者を眺めると沙川さんや白石さんあたりの名前も見える。かなり気になる。彼らの論文を読んでみたいし、あわよくば雑談してみたい。
  • ついでに昨日偶然気づいたのだけれど、沙川さんは実は京大白眉のOBだったらしい。沙川さんは僕の中では大学1年生のときに受けた田崎現代物理学で教室の後ろでオブザーバー参加している、なんか普通の若者に見えるけどすごい人らしいという印象だったのだけれど、まさかここに来て偶然繋がりが出来るとは思わなかった。9年越しの巡り合わせに(僕が勝手に)感嘆している。

2021/09/15 (Wed.)

  • 今日でインターン終わり。解放感が大きい。メンターの人は技術的にも人柄的にも良い人だったし、自分が経験したいことはできたので、総じて参加して良かった。終わったので何でも言える生存バイアス。
  • アカポスの2つ目の内定が出た(面接)。思えばACT-I、学振からはじまって、グラント・アカポスは現時点では打率100%ということにはなる。嬉しい反面、本当に自分で良いのだろうか、という不安には駆られる。民間の内定も含めて選択肢が揃った今、どこも職場としては魅力的ではある。本当は人生が何周かあるのなら全部経験してみたいキャリアなのだけれど、勿論そういうわけにもいかない。決断が迫られている。
  • オルテガ「大衆の反逆」を読み終わった。これは本当に読んでよかった名著だった。1930年代に書かれたとは思えないほど、21世紀の現代社会の問題点を厳しく批判している。去年受講したサイエンスコミュニケーションの講義でカブリの横山先生が紹介していて、痛烈な科学者・専門家批判と専門分化の功罪を暴き出している点が取り上げられていた。この部分が鮮烈なのは勿論、個人的に印象深かったのは、オルテガが異なる文脈でひたすらに「生とは何か」に答えようとしている点だった。例えば「見通しが利かないということ、地平線があらゆる可能性に開かれているということ、これこそが真正なる生、つまり生の真の充実だからである。」(96ページ)など、生とは可能性の多様性であると結論づけようとしている。ここにオルテガの抱くヒューマニズムを感じ取ることができると同時に、僕はニコラス・ルーマンの「複雑性の減少としての社会システム」を思い出した。ルーマンは社会システムの成熟度は可能な選択肢の数が減少している状態を指すと考えていた。生を社会システムとなぞらえると、これはオルテガの考えとは一見相容れないようにも見える。この点を一週間ほど考えていた。

2021/09/13 (Mon.)

  • 昨日、地下鉄の乗り換えでふらっと吸い込まれてしまった本屋で、前から読んでみたいと思っていた「現代思想」が陳列されていたので、つい手に取って衝動で購入した。人文系哲学が主に取り扱われている雑誌だと勝手に思っていたのだけれど、過去刊行巻には量子情報を扱っているのもあった。雑誌としては手にフィットしやすくて絶妙に分厚くて、読む前からとてもワクワクしている。
  • 日没がだいぶ早くなってきて秋の到来を感じる。もう1週もすれば秋分の日なのだから。時間が経つのが早い。

2021/09/11 (Sat.)

  • 昨日は研究室のオンライン同窓会だった。コロナになってから同窓会も立ち消えになってしまったので、今回本当に久しぶりに会う同期や先輩後輩もいて、つい夜中まで話し込んでしまった。
  • 今日はペリカンカフェに行こうと思っていたのだけれど、起きるのが遅くなってしまって行ってみたら既に長蛇の列になっていたので諦めてしまった。代わりにペリカンパンを買って、メモしてあったfrom afarで気分転換に読書していた。後で見たら、from afarは茶室小雨や喫茶半月と同じ系列の店らしい。
  • 眠い目をこすりながら午前に浅草・蔵前界隈を散歩していた。このへんの界隈は何度通っても本当に良い。今日は行けなかった本屋や洋菓子屋が静かな裏通りに点々としていて、ぼんやりと散歩するのに良い。都内広しといえど庶民が生活しやすくて、同時にこれほど静かな界隈も多くはないのではないか。

2021/09/08 (Wed.)

  • 気づいたらインターンもあと1週間で終わりだ。始めた頃は夏休みの予定の詰まり具合に我ながら辟易としていた(全ては自分の無計画が招いた結果ではあるのだが)けれど、なんとかここまで来れた。自分への労いで、買い溜めてあった箕面のDIPAを開けた。箕面ビールは多分飲んだことがないし、DIPAなんて飲むのは久しぶりだ。雑味の残らないホップの力強さと甘味を全力で感じられる、良い一本だった。タップでDIPAやHazyはもう本当に今年に入ってからほとんど飲めてないし、早く飲みたい。

2021/09/07 (Tue.)

  • 未踏同期からメッセージがあって、なんと4年ぶりくらいに雑談することになった。本当に時間が経つのははやい。今までの中の人生でもトップレベルで大変だった未踏のころを少し思い出したりしながら懐かしんでいた。
  • 昨日は博論の4章目を埋めてPDFで130ページ程度まで膨らませ、今日はちょっと時間がかかるだろうなと懸念していた環境構築が順調にうまくいって、ここ最近はやるべきことが着実に減りつつあってとても良い。やることが多くて気が重かった夏休みも何とか乗り切れそうな道筋が見えてきた。

2021/09/05 (Sun.)

  • 菅総理の退陣表明を受けて、折角のタイミングなので文章を少し書いてみた。1時間ほどで推敲もせず書き散らしたのであまり人にすすんで見せられる文章ではないのだが、とりあえず自分の中に言語化したい思惟があるのなら4000字程度はさっと書き出せるのだという肌感を掴んだ。ここ数年は自分でそれなりに考える習慣はついたと思う一方でそれを表現することを怠ってきたことに課題意識を持っていたので、こうやって少しずつ文章に表現する練習をしたいと思う。
  • 高校時代の友人におそらく9年ぶりに会った。そもそも人と会うのも1ヶ月半ぶりくらい。隅田公園で1時間半くらいキャリアとか友人の話をして別れた直後は、なんだかあまり現実感がなくて、頭の中がふわふわして気づいたらひとりで浅草を歩いていた。
  • 隅田公園に最後に訪れたのは去年の6月末、研究がうまくいかずにどうしようもなくなって、ほっぽりだして散歩していたときだった。あのときも一年経った今も、研究の意味を考え続けている。今日の友達とキャリアについて喋っていたときにも一つ言語化されたのだが、僕が次のキャリアに関して悩んでいた(いる)中で一つ大きな決定軸となるのが「自分の持つ課題意識が埋没してしまうこと」に関する忌避感があるのだと思う。もしこの課題意識に価値が感じられるのならおそらくそれに全力投球するのが良いだろうし、そうでなければ価値を感じられた他人の課題意識に則った仕事をこなすのが良い。研究の意味もさしずめそんなところだろう、と今は思ったりする。

2021/09/03 (Fri.)

  • 理研よこはまサイエンスカフェを覗いてみた。偶然所内のメーリスで流れているのを少し前に見かけた。今日は桜田先生による「個性の科学」というタイトルの話で、個性はどこから生じるのか、人間の認識が持つ架空性(法則など観念的にしか存在しない対象)と現実性(五感を通じて認識できる唯物的な対象)、普遍法則を探求する従来型の科学と個性の矛盾などについての話だった。
  • 質疑もあわせてたった1時間だったけれど、自分の期待を遥かに超えるほど面白かった。普遍性・統計に基づく従来型の自然科学がN=1の現象、個別対象に対してはほとんど無力であることに対しては僕自身も常々悩んでいたところで、同じ課題意識を持って研究を続けてきた桜田先生の話には自分にとって方向性を示してくれるいくつか重要なヒントがあった。質疑の参加者には学部2年生もいて、自分も学部の若いころからこんな話に触れられれば良かったなと思わずにはいられない。
  • 個性は他者との関係性や差異から生まれるのではないか(例えば日本の固有色の区別はある色と組み合わせが良い色という観点から区別される)とか、可逆的な物理法則とは逆に不可逆な熱力学・生物学は「オープンシステム」に起因していてそれは自己組織によって自律振動子として振る舞っている(サーカディアンリズムや自転・公転、免疫システムなど)とか、別々の振動子が同期・共鳴したときに「共感」が発生したり今まで観測しなかった多様なパターンが生じるのではないかとか、「自他の区別」というのは触覚同期の有無から生じるのではないか(自分を触ると二つの同期した触覚が生じる一方で他者を触っても触覚は一つしか生じない)とか。挙げ始めるとキリがない。本当に偶然見かけて参加できてよかった。
  • これくらい色々な思索を重ねて新しいサイエンスを切り拓いていくんだという気概を持って生きていければ、世界が相当に輝いて見えるのだろう。研究者を続けたいと思う方向に気持ちが引っ張られた。

2021/09/02 (Thu.)

  • 今週はまだメンタルを保ちながら木曜日まで仕事ができている。先週とは何が違うのだろうか。主に査読関連のメールで議論対応に追われたりとか、明らかにタスクが山積している状況だったのが良くなかったのかもしれない。
  • 査読の話をすると、正直NeurIPSの査読はもうこれ以上やりたくない気持ちが募る。年々規模が大きくなっている中でcommitteeも努力して著者の不満を和らげようと改革を進めているのはわかるのだけれど、無報酬どころか各方面から怨嗟の念が押し寄せている。SNSでは査読にかけた時間が短すぎるということで不満が上がっている。だいたい時間をかければ良い査読になるのか?ある程度はそうだろうけれど、本質的にそれは日本的精神論に過ぎないと思う(海外の研究者でも同じようなことをぼやいている人もいるが)。僕はだいたい1本あたり平均5時間でやったと思うけれど、7本査読しているから1ヶ月の査読期限の中で35〜40時間は割いているわけだ。1人月160時間の実に4分の1。僕だって最低限の査読の質を担保する程度のちっぽけな矜持は持ち合わせているし、それでもなおこれ以上時間を割くことを要求するのであれば何らかの報酬がなければやってられないというのが正直なところだ。SNSを見るべきではないのだとも思うが、これ以上非難轟々なのであれば、このコミュニティにいてもあまり生産的でないと思う。

2021/09/01 (Wed.)

  • 9/1、関東大震災から98年。一応今日にあわせて吉村「関東大震災」を読み直し始めた。2年弱ぶり。100年の節目には、できれば東京都慰霊堂をまた訪れたいと思う。