菅総理の退陣表明を受けて


菅総理が昨日、総裁選からの電撃撤退表明を行った。 菅総理は先月の間は依然として総裁選への出馬意欲を見せていたし、当然そうなのだろうと思っていたので、かなり意外で驚いた。 自民党総裁・首相着任からおよそ一年の節目でちょうど良いし、僕自身普段はなかなかこういうことを考える余裕がないものだから、現在の政局に関する自分の意見をきちんとまとめておきたいと思う。 これから菅政権の功罪についての評議がたくさん出るだろう(というか既に出ている)から、それらにバイアスされないうちにまとめたい。 言うまでもなく以下は僕個人の意見であって、いかなる組織や他人の意見を代表するものではない。

一年経って見た菅政権の印象

2020年8月末、当時内閣総理大臣の累積歴代最長在任期間を更新しつつあった安倍元総理が、突然自身の健康上の理由から退任を表明した。 政権再交代が行われた2012年から続く長期政権だったため、少なくとも僕の中ではポスト安倍として挙げられる候補のイメージがほとんどなく、当時官房長官だった菅氏が周囲の自民党員から推挙される形で総裁選に出馬・勝利したのはなんだか見ていて不思議な気持ちだった記憶がある。 元々安倍政権下で総理の右腕たる官房長官を務めていたので、漠然とした印象としては「きっとこのまま安倍政権の路線を継承するんだろうな」「パンデミックの中だからスムーズに政権移行できる菅氏は良いんじゃないか」と思っていた。 また、菅氏の独自路線として良く挙げられていたのは携帯電話料金の引き下げと不妊治療の保険適用範囲の拡大であることは間違いないだろう。 これらに関しては第1次安倍政権で総務大臣を務めていた菅氏が(半ば強引に?)導入したふるさと納税とともに、「庶民派政策」をイメージ付けるものだったと思う。

さて、1年経ってみたこの時点における第一印象は、おそらく誰もが感じているであろう発信力の弱さだ。 これは全くもって思ってもみなかったことだった。何しろ、官房長官時代は毎日のように記者会見を卒なくこなし、政府の方針を示したり、ときに無茶振りな記者の質問を適切に処理していたわけだから、まさか首相になった途端これほどまでに受け答えに難が出るとは思わなかった。 それだけリーダーと側近に求められる資質というのはドラスティックに異なっているということなのだろう。 菅氏はしばしば「ナンバー2として真価を発揮する人材」と評されるのを見かけるが、まさにその通りであると思う。

説明責任不足と信頼の低下

菅総理の発信力の弱さは、内閣発足直後の日本学術会議の任命問題や、菅総理の長男にまつわる政治とカネの問題、そして度重なる緊急事態宣言と五輪開催で度々問題となってきた。 どの問題も根本は説明責任不足、不透明な意思決定の一言に尽きるといえる。 特に前者2つはほとんど意思決定過程の透明化で解決される問題だったと素人目には思える。

例えば、日本学術会議の任命問題とは、形式上のみ日本学術会議側が政府に対して新たな会員候補を提示しそれを承認するという形になっていたところ、突如理由が明らかにされることなく6名の、それも反体制が囁かれる6名の政治・歴史学者の任命が承認されなかったという問題だった。 結局1年経った今でも理由は開示されていないため憶測の域を出ないが、菅総理が自ら人事権を行使して学術会議をコントロールしたかったという説と、官僚が総理に提示したリストの時点で既に6名が候補から削除されていたのを熟慮せずに承認したという説があった。 個人的には単に後者ではないかと邪推しているが、そうであるならば理由を公言することに大きな不都合があるとは感じられない。 決定責任に関する多少の批判は免れえないだろうが、ここまで大きな問題にはならなかったはずだ。

また、五輪開催の基準に関しても、「安心・安全」というフレーズが空虚に繰り返されたのは記憶に新しい。 当初から海外からの観客、パブリックビューイング、そして国内の観客の受け入れが次々と土壇場で中止になっていくのは中々に見苦しいものがあった。 このあたりも定量的にどの程度の感染状況であれば観客を受け入れるのか、そもそも開催するのかどうか、基準を明確化しておき、そのフロー通りの想定パターンを予め網羅しておけばこれほどバタバタはしなかったのではないか。 もっともおそらく政府・東京都は何があっても五輪開催の中止は毛頭考えていなかったのだろうと思う。 それならそれで良くて、最初から五輪開催の中止は予定していないという旨を公言するべきではないだろうか。 意思決定の過程を明確にしないことによって、世論が議論に参加するにしても要領を得ることができず、曖昧なまま全ての物事がその場しのぎで進んできた、というのが正直な感想だ。

危機管理能力

五輪開催の定量的判断基準の欠如は、そのままコロナ対応や緊急事態宣言の発出・延長基準についても同様に批判できる。 この1年間の日本におけるコロナ対応の行き詰まりの原因は、第一に政策決定の基準が明確でないという点が挙げられると思う。 そのため、緊急事態宣言の発出に際してもなんとなく感染者数がまずそうなのを様子見しているうちに世論から押されて発出、解除に関しても解除想定期限ギリギリまで様子を見てから延長、みたいなことを繰り返す事態になっている。 現時点で確保できている医療資源の量と実行再生産数から、現時点で耐えうる感染者数というのはそれほど難なく逆算できるはずであり、それに応じて緊急事態宣言を発出・延長する基準というのは自ずから定まるだろう。 それを国民に示せば、もう少し国民自身も行動方針の目処がつけやすくなるのではないか。 決してコロナ対策に限ったことではないが、未だにEBPMが行き渡っていないのは科学者的視点からはもどかしく思える。

コロナ対策におけるもう一つの問題は、リスクヘッジの概念の欠如だ。 今年に入ってからは菅政権のコロナ対策の柱は基本的にワクチン頼みになっていた。 ところが当初ワクチン接種が進んで感染状況が改善していたイスラエル・イギリス等の各国が一転悪化すると、あっという間に策が尽きてしまっている。 そもそもワクチンは有効性が示されていたとはいえ、ウイルス変異やその他の予期できないリスクは全く排除できる状況ではなかったのは火を見るより明らかであり、プランBを提示できないのは流石に危機管理能力が足りないとしか言えず、この点に関しては擁護のしようがない。

個別政策について

ここまでは現政権に関する批判を述べてきたが、一方で個別政策では評価できる点は少なくないとも思う。

例えば最初に触れた携帯電話料金や不妊治療の政策は、公約通りあっという間に達成しており、これは高い評価に値する。 ただし、このあたりの個別政策に関しては2つほど問題点を挙げたい。 1つ目は政策の実現方法だ。1年前の総裁選の前後には菅総理は「既得権益の打破」というのをキーワードとして頻繁に掲げていたが、既得権益は勿論その打破は容易ではない。 ここで菅総理が用いたのが、ふるさと納税の導入時にも行った人事権の振りかざしだ。 これ事態は半ば職権乱用というか、本来は国民や関係者で議論を深めて進めていくべき改革であるところを強引に進めてしまうものであり、いかがなものかと感じてしまう。 これは、従来の日本型の「決まらない政治」とのトレードオフでもあるため、どちらにバランスを傾けるべきなのかまだまだ簡単な話ではなく、幅広い議論が要されていると思う。 2つ目の問題は、政策の軸のなさだ。携帯電話料金にせよ不妊治療にせよ、良く言えば国民に寄り添っていると言えるが、一方では「理想の社会像」を提示した態度とは言えない。 こうしたイデオロギーが虚弱な状況下だと、結局個別政策に直接関係するステークホルダーのみしかメリットを享受できず、目先の利益のみをステークホルダー同士が追求し合う、短期的な政治に陥ってしまう。 個人的にはより長期的な政治観を議論して示し、個別政策はそこからトップダウンで具体化していくことが、国として向かう方向性を明らかにする上で肝要だと考えている。

個別制作に関しては、ワクチン供給・接種に関しても評価して良いと思う。 前世紀の薬害エイズ問題から国内ワクチン研究開発の土壌がすっかり弱ってしまった日本においては、そもそもワクチンを迅速に確保するのはそれほど容易なことではない中では、比較的早くワクチン接種に漕ぎ着けられたのではないか。 ワクチンを自国生産できた米英に遅れることおおよそ3ヶ月程度で接種が開始したという結果はそれほど悪くないだろう。 最近では台湾、ベトナム、フィリピンなどへのワクチン供給も行っており、厳しい国内情勢の中で中国との国際情勢のバランスをうまく取っているのは評価できる(海外に供与する余裕があるのか、という点に関しては、これはエビデンスを持っているわけではないが、おそらくワクチンの供与量というよりも接種のワークフローがボトルネックになっているのではないか)。

外交政策

菅政権の評価できる点として、外交政策も挙げられるのではないかと思う。 バイデン政権発足後に早々に首脳会談を行った他に、この1年間でRCEPの批准、Quadあたりは国内メディアではあまり取り上げられないが重要な成果だと思う。 米中関係がますます冷え込む中で、日本が積極的にリーダーシップをとって国際情勢のバランスをとっている点は個人的には高評価だ。 この辺は安倍政権の政策の功労かもしれないが、菅政権が着実に引き継いでいるのは重要なことだ。

一方で、これは菅政権に限った批判ではないが、米国との距離感をどうするのかという点はよく考えたほうが良いと思う。 一つの例として、今年1月に発行した核兵器禁止条約に日本が批准していないのはなかなかの皮肉であると言えるだろう。 アメリカの核の傘に守られているままの日本では、これは難しい問題だ。 僕自身はきちんとした意見を持てているわけではないのだが、日本自身が軍事力を強化するか、あるいは各国との地道な対話を続けるのか、何らかの姿勢を明確にする必要はあるように思う。

今後について

思ったより長くなってしまったので、最後に今後の政治に対して自分が求めることを簡単にまとめておく。

  • 個別政策の寄せ集めではなくトップダウン型政策の明確化
  • EBPMを推進して意思決定の過程を透明化
  • 米国・中国との距離感に注意しつつ国際社会でのリーダーシップを強化