Random thoughts in Japanese. All optinions are my own.

2024/07/31 (Wed.)

  • チュービンゲンを離れる前に、Nan に薦められた市内の共同墓地を訪れた。この人たちも一人ひとりの人生を生き抜き、そしていまここに眠っている。僕も良くて80年後には地の下に眠っているだろう。そのときに自分の人生に納得ができているだろうか。何が自分に納得を促すのだろうか。
  • 空港で Bob と議論してくれた学生たちに挨拶のメールを送った。この10日強のヨーロッパ滞在の末にこんなに自分の思考が(良い意味で)かき乱されるとは、ちょっと思っていなかった。時間と体力とお金を投資するに足りる濃い経験だった。しかしこの経験を自分の中だけにしまっておいてはならない。一人でも多くの人に、どんな形でも良い、自分が得たものを使って、人生に充実感が感じられる人を増やしたい。

2024/07/30 (Tue.)

  • 2日目にして最終日、チュービンゲンで Bob の学生と議論しつつ、その後 Nan と Wenkai とディナーでさらに議論し続けた。結論から言えば、システムの定式化や対象の操作的定義の意味をどこまで深く考えるかが数理科学者としての器量の深さを決めるものだなとまざまざと見せつけられた。彼らは真摯に「意味」を自明の理として外在化させることなく、自己に内在化させるべく求め続けている。それが学者としての誠実さだと思う。学者に限らず、外在化された価値基準を追い求め、競争し、ときに他人を蹴落とすのは本当に虚しいにもかかわらず、それはアカデミアの内外に関係なく歴史上ずっと行われてきたことだ。自分の「意味」を追い求める。カイヨワも言っている。「宇宙は解きほぐされ得るということに賭けなければ、思考にいかなる意味もない」(2024/06/03)。我々がこの信念に賭けなければ他に誰が賭けるというのか。

2024/07/29 (Mon.)

  • 旅の最終目的地、チュービンゲンに辿り着いた。前情報では何もない街とばかり聞いていてどんなとこかと思ってきたが、美しい川と緑豊かでパステルカラーの可愛らしい町並み、賑やかなパブが並んでいて食べ物も(ドイツ水準で見れば相当に)美味しい、全然良いところだと思った。Ann Arbor よりも全然過ごしやすそう(自分は Ann Arbor での生活も割に悪くなかったが)。
  • ついに、憧れの Bob Williamson と対面した。2時間の間に adversarial robustness の loss function による定式化の妥当性(モデル・分布も考慮しないと難しい)、information processing equality による仮説空間を考慮した損失関数の記述(data corruption process のかわりに仮説空間とマルコフカーネルの畳み込みの上でのベイズ誤差になる)、loss function の幾何、imprecise probability などの話を余すことなくしつくした。その博識さには舌を巻くばかりだったが、中でもとりわけ印象に残ったのは、“we should avoid to model ourselves being sampled from a theoretical distribution” という言葉だった。文脈としては、期待値や大数の法則は単に我々が仮構的に信じているものに他ならず、実存があるものではないから、人間相手に予測科学を適用するときに無批判的に期待値を当てはめることの功罪を問う発言だった。そのモチベーションはいたくわかる。そして僕は一人でぼんやりとそのことを考え、稀に信頼のできる隣人に言ってきたりしたものだが、これまでに対した手応えを感じたことがなかっただけに、Bob が僕の考えていることと同じことをズバッと言い当ててきたことに驚きを隠せなかった。自分は想像していたより遥かに一人ではなかったのだ。
  • 午後に Bob のグループで研究発表をした。こうやって一人で突然乗り込んできて研究発表をするのは Sanmi を訪ねて UIUC に行ったとき (2020/02/07) のことを思い出す。Bob のグループの前で話す以上、先週からどうしてもやや緊張気味で、昨日も今朝もスライドを見ながら頭の中でリハーサルをしていた。そのおかげもあって、コンテンツが多かった割には自分の頭の中では相当整理して40分という短い時間で喋りきれたと思う。学生さんに完全に伝わったとは毛頭思っていないけれど、彼らの顔を見ていると何かしら面白さを共有できたような手応えはある。やりきった。
  • 正直 ICML 6日もかなり体力を使った上に、時間を絞り出してブルノやブラチスラバにも立ち寄って、それからシュトゥットガルト空港からチュービンゲンのローカルバスがお世辞にも線形が良いとは言えなくて、1週間強の間でかなり疲れていた。トークを終えて、ネッカー川の辺でビールを飲んで、帰ってきてしばらく倒れていた。でもこの一連の経験のどれ一つを取っても僕にとっては重要なものだし、たぶんまた5年とか10年とか経っても忘れることもなく繰り返し思い出すことになるだろう。いまだ夢うつつである。

2024/07/28 (Sun.)

  • 1週間にわたる ICML も終わった。2018年ぶりの現地参加の ICML で、相変わらず活気に溢れていて、面白い論文が並んでいて、良い刺激になった。やりたい研究も頭の中にいくつかある。あとは帰国してちゃんと時間を作って仕上げるのみ。何年やっても研究業界にまだ全く飽きる気がしない。
  • ウィーンを発つ直前にブラチスラバに2時間だけ寄り道した。3日前ははじめてのチェコ、今日ははじめてのスロバキア。元々チェコスロバキアで一つの国であり文化的にも相当に近いはずだからそれほど違わないかと思ったけれど、ブラチスラバはまず市街地から中心駅が少し離れているのもあり、駅に降り立ったときは旧共産圏のような非常に物寂しい印象を受けた。ロシアの田舎の駅のようだった。そこから市街地まで30分くらいかけて歩く間もずっと公営住宅のような建物が並んでおり、なんとも言えない計画的な、そしてやや陰鬱な雰囲気が漂っていた。あまりに印象的だったので、旧市街にたどり着いてよくあるヨーロッパの旧市街の町並みを目にしても、どこかしら落書きの多さとかそういう部分が目に付く。これが東欧なのか。Zgorzelec (2023/10/09) と似たような空気を感じる。

2024/07/26 (Fri.)

  • 午前にワークショップでさっと情報収集して、その足で思いつきでチェコはブルノまで電車で出かけて、トゥーゲントハット邸を見学してきた。ブルノなんて絶妙な都市に後生御縁があるか全くわからないと思って、ウィーンからなら意外に全然遠くないことに気づいて、人生の中で行くならたぶん今しかないと思って行った。初めてのブルノ、初めてのミース・ファン・デル・ローエ。機能主義の最高作品と称されるだけはあって、とにかく光を抜群に取り入れた、自然と直線美が調和している邸宅。来れて良かった。
  • ブルノに着いてトゥーゲントハット邸の見学時間までスピルバーグ城を散策していた。不思議な気持ちになる。ブルノ駅に降り立ったとき、駅舎の華美な建築と外観の佇まいはイルクーツクを彷彿とさせ、スピルバーグ城の城壁はヘルシンキのスオメンリンナ要塞やハイデラバードの要塞を思い出す。城から見下ろすブルノ市街の風景はタリンの旧市街の展望に似たものがあるし、ブルノの坂が多めな町並みはポルトやエディンバラの町並みも思い出す。この6、7年で本当にいろいろな国と都市を回ってきたのだな。決してどこも長い時間滞在したわけではないけれど、こうして克明に自分の記憶がフラッシュバックするとき、経験が血肉になっている実感が得られる。

2024/07/24 (Wed.)

  • ポスター発表を無事終えた。正直、1ポスターセッションあたり400本以上も論文があって、自分の論文にちゃんと人が興味を持って気てくれるのかどうか不安はあったが、思った以上に盛況になってよかった。しかも一方的に僕の論文を読んで知ってくれている人が何人か来てくれて驚いた。それなりに短くない期間研究を続けてきて、やはりこういう体験があると報われる。それと同時に、そうした人たちに対して今よりも更に胸をはれるような研究をしたいという気持ちにさせられる。
  • 今日も学会に行くまでの短い時間でプチ観光。Hotel Sacher でザッハトルテをいただき、レオポルド美術館でエゴン・シーレとクリムトを「これでもか」というほど浴びてきた。本当によかった。シーレの屈強な輪郭線、クリムトの一見あり得ない色使い、それが広大な展示会場にずっと続いている、そんな静かな空間。もし時間的に余裕があるならウィーン滞在中にもう一度行ってもいいくらいには良かった。

2024/07/23 (Tue.)

  • 相変わらず会場は広すぎるが、歩いていればしばらくすると誰かしら知り合いに会える。日本界隈、MLSS2024 界隈、COLT2023 界隈など。1、2年前に会った振りの海外の知り合いが声かけてくれたりして嬉しい。
  • 朝学会に行く前に Stephansplatz、帰り際にウィーン応用美術博物館に立ち寄る。日没がそこそこ遅いので、学会の前後の時間で少しだけ観光をする余裕がある。
  • 適度にコミュニケーションを間引いているので体力はそこまで消耗していない。まだ先は長いから。

2024/07/22 (Mon.)

  • 14時間のフライトを終えたと思ったらミュンヘンで5分間の必死の乗り換えダッシュをする羽目になり、なんとかウィーンに着いて、昼前から一日中会場を回って久しぶりの人たちと会って挨拶をしたりしていた。移動中もメールを返しまくり、発表資料を作り、ホテルに帰ってきて出張中にやっておきたかった仕事を一通り終えた。偉すぎる。フライトでちゃんと寝ておいたので、夜9時になろうとしているがまだ時差に耐えられている。
  • Allen-Zhu のチュートリアルを聞いたが、あれだけ最適化の理論をずっとやっていた人が綺麗に LLM に鞍替えして、それも実験検証を繰り返しているのに唖然とした。それも無闇矢鱈と実験をしているのではなく、内部機序を明らかにすべく強い意志を持って、興味のある変数だけを動かしてそれ以外は絶対に固定されるような controlled experiments を設計し、reasoning や knowledge storage を地道に検証している。LLM という巨大な謎のシステムを意地でも理解しようとする気迫を感じた。内容の面白さもさることながら、僕自身いまのような研究を続けてていいのか、と講演中にも何度も問うてしまった。

2024/07/21 (Sun.)

  • 出国前に Blue Note に寄って Ambrose Akinmusire のライブを聴いてきた。この数ヶ月、これを心の頼りにして生きてきたところはある。なんでこんなに綺麗な音が出るのかわからない。ただただひたすらに、良い音とフレーズを紡ぎ出そうとしている、その試行錯誤がソロの「間」から感じとれる、いまこの瞬間にもがきあがいて創作しようとしている。それでいてあまりにも美しい音。アルバムで聴いても文句の付け所がない Ambrose の音、生で聴いても全く遜色ない、いや当然録音の期待をさらに超えてくる。本当に行ってよかった。
  • ここ最近人間関係のトラブル(と言っても自分が勝手に他人の言葉尻をいちいち詮索していただけだが)があって摩耗していたが、Ambrose の音のおかげで一気に精神が回復した。偉大だ。今日は仕事の調子も良く、搭乗前にやるべきことも大方終わってしまった。そういえばウィーンに着いたら何を見て回るか何も決めていない。今日くらいゆっくりそうやって異国の地に思いを馳せるのも良いのではないだろうか。

2024/07/20 (Sat.)

  • 暑すぎて気力を持っていかれてしまっているせいか、全然動けない。平日にすごい集中力と体力を使っているのもあると思う。おかげで今日は一日料理する以外の時間ほとんど横になって伸びていた。たぶん体が休息を要求しているのだろう。今日作り終えようと思っていた発表資料があったけれど、全く進まなかった。明日からウィーンに出発する準備もまだ何もしていない。まだギリギリで保っているが今月乗り切れるんだろうか。

2024/07/19 (Fri.)

  • 未明に目が覚めて Slack を見たら、学習理論が親の仇でもあるかのような発言を公開の場でしているのを見かけてしまって、気分が悪くなってしまった。自分の研究の意味は外在化した価値基準に頼っている (2024/06/26) のに、価値を必死で探ろうとしている人たち(少なくとも僕はそうである、理論家がみんなそうだとは思わない、人によってはそれこそ同様に外在化した価値基準に頼り切っている人もいる)を自分の信奉する価値基準から外れているという理由で色眼鏡で見るのはどうなんだ。百歩譲って価値観に対する合理的・建設的批判ならまだしも、その価値内容に踏み込むことすらせずに無価値のレッテルを貼るのは冒涜甚だしい。
  • 最近研究できていないな、と悲しくなっていたが、今日はようやく時間ができたので研究ノートを開いたら最後のページは 7/10 だった。意外と一週間前、体感よりは研究を最近までしていたということになる。それだけ一週間の体験が濃かったか。
  • 知り合いに誘われて同じ建物の明石さんとお昼ご飯に行った。なんと同じタイミングで東大を卒業していて (2022/03/24)、当時読んだ答辞の内容に関しても覚えてくれていて、なんだかこうやって自分が本気で紡ぎ出した言葉が気持ちを同じくする同窓の心に響いているのを知ると、僕の努力も無駄ではなかったものだなと思う。この責任は大きいが、それを背負って立つ価値はある。ひょっとしたら明石さんとは某案件でまたご一緒することになるかもしれない。物理ダイナミクス x 機械学習の研究の方向性でもっと議論できたらと思うし、これから末永く付き合っていけたら良いなと思う。

2024/07/18 (Thu.)

  • 今日も書類書きとミーティングで終わり。全力で仕事しているが、なかなか研究に戻れない。もう少しで書き終わる、ここが正念場。
  • 海外の学生さんとミーティングした。僕の論文を少なくとも多少なりとも見てコンタクトを取ってくれているのは嬉しくもあるものの、やはり「なんでこんな年端もいかない若造にコンタクトをとるのだろう」という気持ちが拭えない。自分が学生だったらこんなよくわからない海外の若造にコンタクトを取ろうという気持ちになるだろうか。わからない。
  • 自信がない。責任を持つ覚悟がない。他人に使う時間を確保しながら自分の仕事もできるのか心許がない。精神的に未熟だ。

2024/07/17 (Wed.)

  • ぼけっとしているうちに、段々と自分がコミュニティを作る側になっている実感がある。最近も割によく海外の有望そうな学生からインターンや指導のお願いが来たりするし、僕が自分の研究の方向性をもってして後進を引っ張らないといけないのだなと。一方で、博士課程期間中はパンデミックだったのもあってなかなか海外長期滞在ができず機会損失してしまい、そうこうしているうちに白眉ももう3年目、自分の腰が少し重くなっているのも感じる。ただ、このまま自分がコミュニティを作る側になってしまうと、大した海外コミュニティとの繋がりも持たないまま孤立したコミュニティになってしまう。そういう危機感を突如感じ始めた。だから、いまこのタイミングで隙を見ては積極的にコネクションを作っていかなければ、おそらく今後一生苦労することになるだろうという気がする。
  • 面接も終わり、改稿ミーティングも終わり、7月の山場を1つ乗り越えた。よく頑張った。夜は山鉾巡行の熱気もまだ冷めやらぬ鴨川沿いの川床で引き続き原稿と赤ペンを手にしながら、学問のあり方、研究者のあり方に関して激論を交わした。なんという研究者青春なのだろう。数年、十数年経ったときにこの日を振り返っても克明な印象が残っているに違いない。

2024/07/16 (Tue.)

  • 高津さんとやっていた仕事を投稿し直し、arXiv に公開した。これで一段落。高津さんのおかげですごく丁寧な仕事になったと思うし、僕の博論に書いた(ぼんやりとした)open question の一つを解決したとも言えるので、じわりと嬉しさがこみ上げる。
  • Mohammad さんになんとなく「学生からの問い合わせにどこまでメールを丁寧に返すのか」聞いてみた。若手のうちは(それなりに丁寧にメールを書いてきてくれた)学生一人ひとりにメールを返信しないのはなんとも申し訳ない気持ちになるものの、すべてに返事を返すほど自分でも責任を取れるわけでもなく、そこのバランスをどのように取るのかが非常に頭が痛い。結局教員側だって一人の人間でしかないし、責任を持てる範囲は能力とリソースの上で非常に限られている。おまけに学生と教員の相性の問題が非常に大きい以上、誰でも彼でも受け入れるというわけにはいかない。だから本音では「メッセージを送ってきてくれた学生を好きになれそうかどうか」という直感頼みになるしかないのだろう。

2024/07/15 (Mon.)

  • 祝日なので浄福寺通をゆっくりと散歩しながらカフェで作業をする。浄福寺通なんて何の変哲もない通りなのだが、道幅の狭さ、建物の低さ、突如として現れる浄福寺、その一つ一つをじっくりと眺めていると、不思議な温かみを感じる。東京の大通りの光景を頭の中で思い浮かべると、全く違う文化と空気が根付いていると改めて気付かされる。こういう土地を一歩一歩踏みしめる時間がいつまであるのかと思うと物寂しくなる。
  • 宵山に行った。放下鉾、菊水鉾、函谷鉾、月鉾、長刀鉾。見ごたえのある鉾を一通り見て回れた。満喫できた。

2024/07/14 (Sun.)

  • 気づけばもう祇園祭の前祭に。去年は COLT でバンガロールに行っていて祇園祭はおあずけだったので、一昨年ぶりの祇園祭 (2022/07/14)。室町通のあたりの少し落ち着いた雰囲気の方をさくっと歩いて回って、山伏山、霰天神山、放下鉾、菊水鉾などを見て回った。天に向かって高く伸びる鉾は見ごたえがある。
  • 新町御池あたりの Maison Tanuki でかき氷を食べた。カフェでかき氷を食べるのは初めてな気がする。伊達にカフェで作っているだけはあって、様々な食感とフレーバーが最後まで楽しめる。面白かった。
  • あと1週間もすればオーストリアに向けて出発するのか。やるべきことがまだまだ山積しているけれど、出発までにやるべきことには目処がついてきた。あと一週間、書類と発表資料を作り上げて、面接を受けて、そして論文を投稿する。

2024/07/13 (Sat.)

  • 久しぶりに意味もなく夜な夜なうみねこで飲んでいる。姉弟で飲みに来ている二人とか、渋谷のうみねこから駆けつけてきた人とか、やっぱりカウンターのタップルームで隣に居合わせた人の人生を聞くと面白い。こういう訳のわからない時間は自分が何者でもない感じがして本質的に性に合っている。

2024/07/12 (Fri.)

  • 仕事のスループットがほぼ最大出力になっている実感がある。すごい量のミーティング、原稿編集、書類・スライド作成をこなしながら、その傍らで研究を少しずつ進めている。よく頑張っている。
  • とある研究費申請書の要旨を勢いで書き上げた。最近こつこつ読んでいる ICML2024 の一連の論文から着想を得たもので、昨日雑談していたときのフィードバックをもとに、ひょっとしたらかなり攻めたことを書いても良いんじゃないかと思えてきて書いた。自分で言うのもなんだが、すごくいい文章なんじゃないだろうか。少なくとも書類審査でこれを読んだ審査側の人間は間違いなく度肝を抜かれるだろうとは思うほど、全面的に数理と社会学的課題をぶつけ、それでいて感情的(!)な文章。
  • 書いているときに思い出したのは、2年前 (2022/03/23) にした「社会に興味があって AI を研究しているのか、知能に興味があって AI を研究しているのか」という雑談。そのとき藤井さんが放った「僕は知能に全然興味が持てなくて、徹頭徹尾社会に興味があって研究している」という言葉は印象的だった。そのときは僕自身も社会側に興味がある人間なのかなとぼんやり思ったりしたものだが、そうではない。僕はどちらも捨てられない人種だ。そして、知能にも社会にも興味があるからこそ、今日書いたような文章がひねらずとも自然に腹の底から出てくる。文章を書いていて楽しかった。なかなかない経験だ。

2024/07/11 (Thu.)

  • 一週一週が早すぎないか。今週も気づいたらもう木曜日だ。
  • 雑談していて思ったのだが、僕が話していて「この人は実直だ」と思える人(主に研究者を想定しているが、研究者に限らず)は、「『意味』を解い続ける人」なのだろうと思った。それは先月の東北大のとき (2024/06/27) のときを思い出しても然り。世界に、自分に、「意味」があるかないか、そもそも外在的な「意味」なんておそらく存在しないのだろうけれど、自分にとっての「意味」を問うのが人間らしさの一端なのではないかと思う。
  • 「意味」とは、言い換えれば「for what」の内容であり、因果的な志向性が必要である。さらに、「意味」を見据えて行為する態度は目的論的であると言える。期待される目的と実現値のギャップを修正する、それは予測符号化でモデル化されること。そうすると、前提が正しければ予測符号化は極めて人間的なモデルであるとも言える。

2024/07/10 (Wed.)

  • Focal loss の構造をうんうん唸って考えていたら、確率単体を loss で押し出した空間とか考えると凸集合と接平面の観点から properness が捉えられるような気がしてきた。と同時に、このあたりの話は Williamson et al. (2016) や Dawid (2007) (2023/08/15) で「geometry of losses」というキーワードで研究されているのを思い出した。彼らの論文にはやたらと厳しい図が載っていたけれども、しばらく離れて自分で思索を深めているうちに彼らの図を自然と再構成してしまった。しかしこの再構成の経験を経たことによって、だいぶ気持ちがわかるようになってきた。世界でこの構造を理解しているのは何人いるんだ。10人はいないだろうという自信はある。
  • 今井・秋田『言語の本質』を読んだ。オノマトペからはじまった論がどうやって実言語に接続するのかハラハラと見守っていたが、対称性バイアス(後件肯定をアブダクションで仮説生成するバイアス)が言語・知識の創発に寄与しているという仮説まで最終的に到達した。彼女らの研究の伴走をしているかのような筆致が印象的だった。このアブダクションによる創発を機械学習のモデルとして定式化できないか考えてみたくなる。

2024/07/09 (Tue.)

  • 大塚さんの開いていた認識論のワークショップに野次馬しに行った。JSAI のとき (2024/05/31) 然り、大塚さんの方からこちら側に歩み寄りをお願いばかりしてきた(もちろん大塚さんにそういう興味はある前提ではあるとは言え)のが気にかかっていたので、(僕も大塚さんの考えていることに興味があるし)覗いてみようと思った。相変わらずの代数を使った認識論の形式化に関する議論で、しかも NLP、機械学習とのコネクションも見え隠れするので、聞いているこちら側としても「ひょっとしたら機械学習で悩んでいる問題構造の本質が大塚さんのアプローチで明らかになるかも」という思索を思わずしてしまう。

2024/07/08 (Mon.)

  • 人に物理的に殴られた経験が久しぶりすぎて、数日経っても経験が反芻する。暴力ってこんな骨の髄まで感情が響くものなのか。

2024/07/07 (Sun.)

  • 午前は2年半ぶり (2021/12/12) に都現美に行った。今日は「翻訳できない わたしの言葉」展の会期最終日に滑り込み。あまり展示内容も知らずに飛び込んだけれど、行ってよかった。テーマとして単一言語主義に対する強い忌避感を全面に押し出していて、それをアイヌ、日仏、日英、手話、身体表現など、多様なギャップから捉えようとする試み。日仏の言葉、発音のギャップ、「正しい発音でないと私の言葉は間違っているのか」という疑問、母語とアイデンティティの葛藤といったテーマが、自分の境遇と経験と強く呼応する。自分の知覚する世界を規定する言語、そしてそれによって規定されるアイデンティティ。彼らが果敢に挑戦しているように、僕もその違和感を言語化したい気持ちを掻き立てられる。
  • はからずも門前仲町に宿をとったので、都現美まで歩いていく途中で富岡八幡宮や木場公園を見ることができた。何の変哲もない三ッ目通り、でも僕は江東区のこういう景色が嫌いではない。上野に住んでいたときは何度かこのあたりまでランニングしに来たものだ。その記憶が郷愁に変化する。
  • 下北沢にも寄った。たぶん4年半ぶり (2019/11/27)?あまりにも暑すぎて散策する気力すら奪われたが、かろうじて南口町店街を少し歩いた。少なくない数の店は入れ替わっているが、その中でも老舗のパン屋さんが残っていた。住んでいたときには貧乏学生だったのでわざわざパン屋にパンを買いに行こうなんて考えたこともなかったけど。美味しそうなカヌレがおいてあったので手土産に買った。もう住んでいたときから10年も経ってしまったか。

2024/07/06 (Sat.)

  • 1泊2日の東京旅。ひたすら人と会って、ギャラリーと美術館を巡る。
  • 2月ぶり (2024/02/13) に半田の展示を見に行った。背景を全く知らずに訪れたのだが、実はちょうど5年前(2019年7月3日)に八丁堀で見た展示と同じ3人のメンバーの展示だった。当時もメンバーの一人の佐野さんの「穴を覗き込む」作品は克明に印象を残していて、今日たまたまギャラリーに一人だけいらっしゃったのが佐野さん当人だったのは、5年越しの何かの縁を感じるものがある。夕立をやり過ごすのにギャラリーに長居していたので、佐野さんとの世間話ついでに「アートは言語化できると思うか」と不躾な質問をしてみた。彼なりに誠実に答えようとしてしばらくの間をおいたあと、絞り出てきた言葉は「言葉になるかならないかを知るために作品を作り続けている」の一言だった。その言葉を聞いた瞬間、原の中にストンと落ちる感覚があった。僕らの活動に(言語的表象で記号化できる)「意味」があるのかないのか、それがわからないのは僕だって同じなのだ。「意味」があるかどうかわからないけれど、自分自身は前言語的「意味」を第六感で感じており、それが記号化できるのかどうかを模索し続けている。そういうことだった。

2024/07/05 (Fri.)

  • 横井さんから薦めてもらった Jimmy Aames さんの著作 を流し読みした。本題の内容はやはりまだ自分には敷居が高いきらいがあったが、それでも(活字を読む習慣がまったくなかった)修士の頃に比べると、これくらいの文章を読んでも目が滑らずに一行一行頭の中で咀嚼する努力ができるようにはなっている。修士の頃に自分の文章の読めなさに絶望して「少しでも文章の読み書きができるようになりたい」と思って過ぎ去ること7年、その間に積み重ねた努力は小さくはなかったことは実感する。言うまでもなく、内容の高度さに比して Jimmy さんの文章が相当に読みやすいものであったことは間違いない。
  • 去年の7月の日記を読み返した。沖縄からバンガロールへ、そして京都に帰ってきてから怒涛のように年次報告会、そして「物語」シンポジウム。この膨大な情報量に飲み込まれずによく自我が保てていたものだ。いや、思い返せば「物語」シンポジウム前後で自分の論理の甘さに打ちひしがれていて、自我が保てていたのかどうかはよくわからない。
  • 去年の COLT 論文が地味に引用されていて嬉しい。こういう非常にニッチな話は自分が大事だと思っていても注目されづらくて(引用数で見えづらいので実際は読まれているかもしれないけれど)、だからちゃんと読まれているというのは喜ばしい。かたや Transformer の研究は誰でも興味を持つので、最近の招待講演はもっぱら Transformer の話ばかりだ。別に僕はそれも好きなので構わないのだけれど、ニッチな研究も日の目を見てほしい。

2024/07/04 (Thu.)

  • 湿度が高すぎて体力を持っていかれる。今日も帰ってきてもう全身の生気を吸い取られたかのような感覚だ。こんな日が1、2週間くらい続いている。梅雨本番だ。
  • 先週の仙台以降、Slack 上でいくつかの研究ディスカッションが進んでいて、いずれも自分が考えたことのなかったような課題で、しかし僕の知識と知見が役に立つような範疇で、非常にディスカッションのやり甲斐がある。仙台では BOOST の件のお誘いも受けたりしたが、こういった背景を踏まえると非常に魅力的なのではないかという気がしてきた。BOOST という制度に関しては一抹の背徳感を感じていたのだが、自分の研究の延長線上でこうやって綺麗な1ピースとしてハマるのであれば、悪くもない気がしてきた。
  • いずれにしても、僕は主体性がないし、それは悪くないことだと思うのだ。いま進んでいる人事も、必要としている人がいて僕自身も納得できたからそれに乗っかっただけ。BOOST の件も、熱心に誘ってくれる人がいて僕の利害と相反していないから、乗っかるうえでの障害はない。僕は僕自身の人生のコントロール権を完全に掌握していると思っていなくて、それはある意味ノブリス・オブリージュの延長線上で、必要としている人がいるのなら(かつ自分がその必要性に納得できれば)すすんでその方向に進むのは悪くない。この考え方は、僕自身の「過度な主体性は社会と調和しない」という考え方に由来すると思う。

2024/07/03 (Wed.)

  • Indirect elicitation の概念をすっかりと忘れていた。どう考えても focal loss と関係があるはず。そう思って自分の論文メモを漁り返したら、3年前に読んだ Rafael の論文のメモに「focal loss と indirect elicitation は関係があるかもしれない」というメモが残っていた。およそ3年間忘れていた。見つけたことは嬉しくもあり、読んで忘れていたことで回り道した時間のことを考えると虚しくもある。

2024/07/02 (Tue.)

  • 1ヶ月ほど見守っていた軒下のツバメの巣、ついに最後の一匹の雛鳥も旅立った。こうやって雛鳥もひとり立ちして行くのか。
  • なんか新しい研究を進める時間がないような気がいつもしているのだけれども、実際のところは2つくらい既に出来上がった研究の原稿を推敲しながら新しい研究をやっているので、1つあたりの研究にかけている時間がそんなに長くないことに気づいた。やり甲斐のある研究がいくつもあるのでこのスタイルでいくしかないのだが。
  • 受験、任期付きポスト、子どもの教育、なかなか世知辛い社会なものだから日頃よく憤りの声を聞くけれども、僕はあまりこだわりを感じられない。それはやはり根底に諦観的な見方があるからなのだろう。現代はやたらに「佳く生きる」ことを追い求めようとしすぎる傾向にあるんじゃないか。一概には言いづらいけれども、もう少し気楽に生きても良いんじゃないか。

2024/07/01 (Mon.)

  • 論文の修正中に高津さんに指摘してもらって、modulus of convexity と modulus of continuity の繋がりを知った。わかれば本当に別に大したことはないんだけれども、modulus of continuity は2点間の関数値の最大の deviation であり、modulus of convexity は midpoint における関数値の gap なので、凸関数であれば modulus of continuity で上から抑えることができる。割と普通に考える凸関数ではどうやら両者のレートは一致するみたいだけれど、一般にレートが一致するのかはよくわからない。自分でも調べていたら John Duchi のレクチャーノート が出てきて、経験過程の一様収束のレートを(経験過程の)modulus of continuity に押し付けて、パラメータ識別性の収束レートの導出に用いている例が出てきた。しかし、彼のレートと僕が moudlus of convexity を使って示したレートの間にどういう関係があるのかはよくわからない。とてもニッチだけれど、一つの研究トピックになるかもしれない。
  • 個人的な好き嫌いで他人を(特に学生を)萎縮させるような物言いをするのはどうなんだ。多様性が大事と口では言いつつも、言っていることと行動が真逆だ。