Random thoughts in Japanese. All optinions are my own.

2023/08/31 (Thu.)

  • 何年ぶりかもうわからないブルーノート東京へ。こちらも何年ぶりかわからない、Donny McCaslin のライブに来た。McCaslin の音とフレーズを聞くと、昔よく聴き込んだ音源のフレーズをすぐに想起する。新譜を追う体力がもうない中で、Stadium Jazz をやってくれたりして古参ファンとしても嬉しい。
  • 京都へ帰る。段々といくつか頭の中で計算がまとまっている気がする。今のところはとにかく手を動かすフェーズに入ったと思う。京都に帰ったらひたすら計算して原稿を書く。

2023/08/30 (Wed.)

  • 出張中のホテルの慣れないベッドで寝付くまでの時間、計算の方向性を考えていたら、解析の方針が立ったような気がする。ただ、これまでにないほどひたすらに計算過程が大変。なにせ最大6次の多次元正規分布のモーメントを評価しなければならない。慣れないシンボリック計算ツールに頼ったほうがいいのかもしれない。人手の計算で正しく合わせられるだろうか。

2023/08/29 (Tue.)

  • 新幹線の中でも、東京メトロの中でも、膝の上で計算ノートを広げてペンを走らせると、普段机にかじりついて丁寧に計算するときとは違う心持ちで、ざっくりと計算をすることしかできないのが良くも悪くも、研究室では見えてこなかった新しい計算の道筋が見えてくる。まだ後もう少し、踏ん張る余地がある。
  • 東京出張ついでに半田と会って、晩ご飯の後に銀座を歩いていたら偶然先月開店した単向街書店という、閉店間際のディープな書店に吸い込まれた。なんとなく居心地が良さそうという外見から入ってみたところ、選書が文化、思想系の割りと内容が重ための本、しかも中国語の本が多くて、唐突な感じに半ば度肝を抜かれた。つい加藤周一や許紀霖の本が目に入って、衝動的に手にとって買ってしまった。久しぶりにこんな本屋体験をした。
  • 半田に咄嗟に「数理的な理論研究のモチベーションはどこにあるのか」と聞かれて、あまり良い返答ができなかったのが悔やまれる。自分は一回生気的でない再現可能な普遍法則の探求、みたいなことを辿々しく喋ったけれども、もう一言くらい、理論家自身の yet another な説明を現象に与えることによる文化的多様性を目指す、くらい言い残したほうが良かったかもしれない。相対主義的な立場を貫徹するのであれば。

2023/08/28 (Mon.)

  • 自分の興味の赴くままに研究の方向性を explore しすぎてきた自覚があるので、新しい研究に着手するときはいつも自分にとって一から勉強をし直している自覚がある。もう少し exploitation に振ったほうが良いのは間違いない。白眉はあと3年なのだから、そろそろ explolitation に傾けることを考えるべきだろうと思う。
  • 今日も一日中解けそうもない非線形微分方程式を前に眺めながら唸っていた。今日も成果なしかと思っていたところ、夕方になって少しだけ筋の良い近似方法を思いついて、手を動かしてみたら悪くない方程式形になってきた。必死に何時間も机に向かって唸る時間も無駄ではないのかもしれない。

2023/08/26 (Sat.)

  • 4周年の記念で東山疎水沿いの苑へ。素材の味と食感の活きた、飾らないフレンチで落ち着く雰囲気。
  • 『君たちはどう生きるか』を観てきた。噂通り賛否両論のわかれそうな映画で、終わった後もしばらくストーリーのメッセージがなんだったのか考え込んでいたけど、結局大きなメッセージ性はなく、「俺は描きたい画を描ききった、お前たちはどうする」と見せつけに来ているだけなのかもしれない。映画作品と考えるより、端からアニメーションスタジオであるジブリの真髄を見せに来た作品と考えるのが妥当なのかもしれない。

2023/08/25 (Fri.)

  • 結局今週もかなり無為に過ごしてしまったような気がする。そりゃ常にアイデアが湧き続けて、取り組んでいた課題が解け続けるわけではないけれども、それにしてもあまり何も生産しなかった一週間のような気がする。どうしたってそういう時期はあるものだけれども、どうにもそういう時間に対する耐性が低い。どうしたものか。

2023/08/24 (Thu.)

  • 共同研究が増えすぎていて首が回らない。それなのに、共同研究者のための proof-of-concept のための Dulmage-Mendelsohn 分解の実装が全くうまく行かなくて、octave と一日格闘していたら終わってしまった。時間の使い方をもっとうまくしなければ、本当にやりたいと思っていることができないうちにいたずらに時間を消費してしまう。

2023/08/23 (Wed.)

  • 数え上げてみると、手元で同時進行している研究(メジャーな共同研究含む)が 4、5個あって、少なくとも 3個くらいは同時に共同研究者とコミュケーションを取りながら進める必要があって、僕はこういうマルチタスキングが得意でない。結局一つずつ処理しなければ、一つの研究に集中しようと思っても他の研究のことが気になってしまい、何にも身が入らない。たくさんの共同研究を通して学ぶことは多いと同時に、自分の集中力の管理をどうするかが問われている。

2023/08/22 (Tue.)

  • 新しい Transformer 研究のアイデア、改めて方向性を自問し直しているうちに本当に面白いのかわからなくなってきてしまった。一日頭を悩ませた結果、Transformer が暗黙的に何らかの構造を誘導するのであればそのメカニズムを明らかにするのは(実用的なご利益の有無を差し引いても)面白いのではないか、ということに落ち着いた。けれども、どうしても「これは何の『役に立つ』のか」と、心のなかでもう一人の自分が問いかけてくる。これはある意味では健全な研究者としての態度、別の意味では過激なプラグマティスト。結局のところ、自分が面白いと思えるか、という点に基づいて審美するしかない。自分の納得感は誤魔化せないのだろうなと思う。
  • もう少し粘って考えたいという気持ちに落ち着いてはきた。明日も考える。今は計算の方針をぼんやりと立てて、実際の計算の前で足踏みをしている状況。こういうときは腹を括って無心に計算をするのが良いというのは、僕の経験が物語っている。

2023/08/21 (Mon.)

  • 中尾さんから薦められていた『科学論の現在』を週末から読み始めている。今年度に入ってからずっと「科学に根ざす西洋的な価値観」について考える機会があった (2023/04/03) が、そうした科学の知識合意を外部の社会に見出すアプローチとして「科学の社会構成主義」というのが既に 50年前に提唱されて久しいらしい。また、David Bloor の提唱したストロング・プログラムでは、科学の知識合意の基準が社会にあることを詳らかにするために、どのように科学的知識の説明の根拠を観察すればよいかという指針を与えようとしていたらしい。こういう概念には自分が抱えていた悩みがすっきりと言語化されていて気持ち良い。同時に、当然のことながら自分程度が考えることは先人が半世紀も前に既に考えていたことを思い知らされる。いずれにしても、まだまだ学ぶことが多い本だ。何が既に解かれた問題で、何が解かれていない、解かれるべき問題なのか、それを整理するのは並大抵のことではないが、学問的には重要なステップであることは間違いない。

2023/08/19 (Sat.)

  • 後輩と一緒に久しぶりの宇治観光に行った。おそらく修学旅行ぶりの平等院。宇治に行くのは昔ミシガンから一時帰国していた 2019年ぶり (2019/11/20)。もうあれから早 4年も経とうとしている。
  • 帰りの京阪で「コンピュータサイエンスにおけるプラグマティズム」について話し込んでいた。コンピュータサイエンスにおける「役に立つ」があまりも即物的すぎるんじゃないか。それはアカデミックな研究で取り組むべき課題ではなく、エンジニアリングで解決すべき課題なのではないか。アカデミックなコンピュータサイエンスで取り組むべき課題とは何か。そんな話をしていた。多くのコンピュータサイエンスにおけるシニアな研究者の「役に立つ」に対する見方に少なくない疑問がある。

2023/08/18 (Fri.)

  • さっさと仕上げた方がいい原稿はあるのだけど、夏休みなので一旦脇に置いて、新しい研究のことや学生さんのディスカッションに乗ったりしている。勢いのある学生さんとのディスカッションは、話を聞いているだけで自分が考えるキッカケにもなる。まだまだ湿気が高くてやる気が減衰しがちな日々だけど、こういう新しい風を吹き込んでいきたい。

2023/08/17 (Thu.)

  • 昨日はお盆最終日ということで、鈴虫寺と送り火を見に行った。鈴虫寺の周辺は台風後の蒸し暑い中でも竹林と小川に囲まれた涼しい場所で、鈴虫の鳴き声と相まって夏の終わりを感じさせられる。季節の節目を感じることのできる、落ち着いた場所だった。
  • お盆の間に原稿と査読を頑張って終えたので、やや暇になっている。少し Reid & Williamson (2011) を復習しながら、Song さんの ROC divergence に関して計算していた。Proper loss とのつながりでおそらく既知ではない計算結果が得られたけれど、どのように役に立つ結果なのかまだわからない。理由もなくなんとなく役に立ちそうな気がする。イギリスに行くまでの時間でもう少し考えてみたい。

2023/08/15 (Tue.)

  • お盆に台風が直撃しているので、自宅でゆっくりと査読の仕事を終えて、長い間積んであった論文を読んだりしている。かれこれおそらく 3年くらいは積んだのではないかと思われる、Dawid (2007) “The geometry of proper scoring rules” を読んだ。結局論文全体としてどこにパンチラインがあるのかわからなかった。情報幾何の話はいつもそう。Bregman potential ごとに異なる双対アファイン接続の形をとるのを鑑賞するのを動機にして読めばよいのだろうか。

2023/08/13 (Sun.)

  • ようやく本の原稿の初稿を書き終えた。まだ細かい記述の検証や参考文献などの体裁を整える作業は必要だけれど、お盆前の水準としてはここまでやっていれば悪くないだろう。少しだけ肩の荷が下りた。休暇が明けたら普段の研究活動にも少し戻れるような気がする。

2023/08/12 (Sat.)

  • ボードリヤールをはじめとして数値信仰に対する忌避感というのはかなり広まっているけれども、一方で、定量科学以前はそもそも「こころ」や「確率」など何でもいいのだが、どのように扱うかすらも不明確だった対象が、定量化によって少なくとも操作可能になっているのは事実であって、ある種生産的な面は少なくないはずだ。それでも数値信仰に対する忌避感を薄ら感じるのは、操作的に定義された対象と我々が実際に感じる対象の実存のギャップゆえなのだろうが、しかしてそのような実存は存在するのか。懐疑主義的な見方をとるのであればそのような実存は存在しないわけで、では我々は何に対して忌避感を感じているのだろう。
  • もしかすると、操作主義そのものに対する忌避感なのかもしれない。操作主義的に定量化された対象は白黒はっきりした枠にはまった概念となるため、曖昧であることを許されない。そのとき、我々の「こころ」とか「感覚」といった実存が白日の下に晒される、そのこと自体を避けようとしているのかもしれない。操作主義的に定量化された対象は介入の対象になるからだ。
  • 京都市動物園の夜間開園から、そのまま白川沿いに祇園まで散歩した。白川の三条より南は歩いたことがなかった。閑静な遊歩道に、もう鈴虫の鳴き声が聞こえてきて、あっという間の夏の終わりを感じさせられる一時だった。

2023/08/11 (Fri.)

  • 友だちに誘われて、気分転換に比叡山に登った。思ったよりはさっと登れて、京都側から大比叡まで登るのに 2時間ほど、滋賀側に下るのに 1時間ほどだった。8月の中旬で決して登りやすい気候ではない中で、今日は多少涼しくて午前中は日も出ていなかったので良かった。坂本の鶴喜そばに行ったのは 3年ぶり (2020/8/17)。静かな夏を感じさせる場所だ。

2023/08/08 (Tue.)

  • 無心に二日間チェックすべき原稿・返信すべき書類を処理し続けた。心身ともに摩耗。
  • 前に自分の論文を投稿 (2023/02/10) してから半年経ってしまったのにまだ次の原稿ができていないから、もうちょっとひとつの研究のサイクルを加速させる必要性を感じる。速ければいいものでもないけれど、通常科学はあまり時間をかけすぎてはならないのではないか。効率よくこなして浮いた時間で、はじめて別のパラダイムを考える余裕が出てくるはず。今回の研究は、ランダム行列や微分方程式に関する知見が足りていなかったので、途中で何度も何度も(少なくとも 5回 (2023/04/18) (2023/05/10) (2023/05/24) (2023/06/12) (2023/07/08))手戻りが発生したのが時間がかかっている原因であることは間違いない。とはいえ、新たな分野を勉強して知見は結構溜まったので、これをベースにきちんと exploitation するべきなのだろうと思う。そうすれば次の研究はより効率的になるだろうし、通常科学的な営みとしては必要なステップなのだろう。

2023/08/07 (Mon.)

  • 細かい仕事が多く積もりすぎていて、精神を摩耗していた(いる)。今朝、メールをチェックしてやるべきことを整理したら、7件も原稿の類をチェックして返信しなければならないことに気づいて、非常に憂鬱だった。一件一件は本来は楽しめる仕事のはずなのだけれども、まとめてやるものではない。どうしたら仕事の量をもっと調整して減らせるのだろう。あと 4件。
  • 一昨日(8/5)は白眉の日に参加した。去年は参加できなかったので今年が初めて。自分は 11期の開出さんに念願かなって会えた。そもそも白眉応募時点で博士後期課程だったのに応募に踏み切ろうと思えた大きな理由が、自分と同じく当時博士後期課程だった開出さんが採択されているのを見たから。その心理的後押しの力は大きかった。法学研究の学問分野の特性もあって決して華々しいトークであったわけではないけれど、法学のフィロソフィー、特に過去の判例から法律の適用可能性のモデル化を目指すという姿勢は、意外にも自然科学的なモデル化に親しいものがある。結局開出さんと話す時間が足りなかったのだけど、自然科学のモデル化も自分は真理探求というよりは一つの解釈の提示だと認識しているので、その点では法学のモデル化も判例の解釈であるわけだから、似ているものがある。
  • シンポジウムからしばらく経ってみて、三中先生の「(悪しき形而上学に陥る前に)解くべき問題はたくさん残っている」という言葉が頭の中で反芻されている。通常科学的な(ときには高度に専門化して些末に見えるかもしれない)研究も、科学史的には一つ一つに意味づけができるはずで、誰かに解かれるのを待っている。そこから目を背けて本質的に解くことのできない問題に拘泥するのは、もしかすると科学者の責任が全うできていないのかもしれない。それでも「語り得ぬもの」について沈黙していられない性なのだろう。限られた人生の時間で何を追求するべきなのか。

2023/08/02 (Wed.)

  • 雀の涙のようなやる気を振り絞って原稿の最初の 3ページを書いた。結局書き始めるのが大きな難関。この調子で一週間くらいで書き上げなければ。
  • 暑すぎて、学生さんとの議論でも頭が回らずに当たり障りのないことしか喋れない。申し訳ないのは申し訳ないのだけれども、こればかりはどうしようもない感じがある。もう 1ヶ月くらい経ってくれればまともに活動ができるのだけれども。

2023/08/01 (Tue.)

  • 締切が迫ってくる。とりあえず論文の原稿は一旦最低限のラインの手前までは書いたから、本の原稿に取り掛からなければならない。毎日コツコツと書かなければならないのはわかっているが、そうこうしているうちに二日間手を付けずに放置してしまった。明日こそは。明日こそは原稿執筆だけをしよう。
  • セミの鳴き声が寝ても覚めてもジリジリと響く。心持ちが重くなる。