Random thoughts in Japanese. All optinions are my own.

2021/12/31 (Fri.)

  • ここ1ヶ月強くらいは昔の知り合いにいろいろと声をかけられて、人によっては3年ぶりとか4年ぶりとかに会ったりした。20代でこれだけ時間が経つとキャリア的にも変化が大きく、昔できなかったような踏み込んだ話もできて面白い反面、20代頭のように交友関係をやたらと広く持つほどの体力もないし必要性も感じなくなってきた。今はコロナでいい感じに人間関係に正則化がかかっているわけだけれども、これ以降も現在の交友関係プラスアルファ程度で抑えておいた方が一人の時間を大切にできる気がしている。
  • 昨年末に立てた抱負を見ると、あまり目標は高くなかったのだが、ひとまず就職先の確定とは博論執筆は無事に終えている。読書の習慣はいまだに続いており、運動は下半期は主に有酸素運動による痩せ効果を気にして辞めてしまったが、全体的に悪くない一年だったのではないか。
  • 来年はどうなるだろう。就職して環境も大きく変わるので、まずはそれに適応するのが第一歩だ。抱負を掲げるとするなら、仕事面では新しい主著論文を一本書き上げることと、分野外研究者との共同研究プロジェクトを何か走らせ始めることができたら万々歳だと思う。研究者としてある意味で独立したい。それとジムには絶対通い始めたい。できればウェイト、トレーナーも試してみたい。一番大事なこととして、パートナーとの時間を大事にしたい。全ての環境が変わるので生活面で自分にとっては未知数なファクターが多いけれども、手がかりを探っていく一年にできたら上等だろうか。

2021/12/28 (Tue.)

  • 週末と少し京都で過ごした。引越し先の家具を探したり、料理してお菓子食べたりしてのんびり過ごしたりできた。こういう落ち着いた生活が続けられたら嬉しい。
  • 博論のミーティングの5分の4が終わった。ここまで来ると本当に残すところは博論審査くらいになってきて、あとは年明けにスライドをひたすらブラッシュアップしてトークの練習をやり込むのみだ。気づいたらもうあと2週間ほどしかない。
  • 今日ミーティングをしたI先生とは、結局1時間半のうち1時間くらい雑談をしていた。I先生の経歴に関しては前々から数理統計からバイオインフォへどうして移ったのか気になっていたのだけれど、ついに本人に直接聞くことができた。結局はキャリアの決めては「人」ということか。わかる気がする。今でこそ官公庁や企業との関わりでご活躍されているけれども、学生の身分である自分からしてみればそうやって社会のニーズに自分の持つシーズを繋げられている人が羨ましい。決して自分の今の研究に価値を見いだせないわけではなく、どちらかといえば興味を持ってできているけれども、ふとしたときに自分の研究が自分以外の人にとって嬉しいのか、戸惑ってしまうことがある。でもI先生の背中を見ているとそれは杞憂で、自分が楽しいと思えることをやりつつ適切なバランス感覚を持ち続けていれば、いつかは結実するのだろうと思わせてくれる。

2021/12/24 (Fri.)

  • 昨日でとりあえず2人/5人の審査員との打ち合わせを終えた。週明けもまだ打ち合わせが続くけど、だいぶ気が楽になった。
  • 大学への通勤途中の散歩でまたぼんやりと国内機械学習の博士学生も含めた若手研究者の横のつながりを作るコミュニティの構想について考えていた。毎月一度誰かを呼んで招待講演と研究ディスカッションをしたり、四半期から半年に一回くらい共同研究の誘発を目的とした研究合宿をやったりしたら楽しそう。先週も知り合いの研究者とカンヅメになってネタを持ち寄ってディスカッションすることの良さを噛み締めたばかり。こういうことをシステム化すると良いのではないだろうか。
  • あとは単純に就職すると職場の同僚の少なさが余計に際立つようになる。横のつながりを一番求めているのは自分かもしれない。
  • 今日は京都に行く。たぶん引越し前最後だと思う。これだけ2年間くらい京都に行ったり来たりしてきて、もうすぐ引越しするのかと思うと不思議な気持ちになる。

2021/12/22 (Wed.)

  • ついに1人目の審査員の先生との打ち合わせ。最初が優しいT先生で本当に精神衛生の面から良かった。打ち合わせ用に駆け足で喋っているとはいえ、自分の頭の中の整理がちゃんと行っていなくて説明が綺麗にできなかったところが少なくないので、まだまだ準備をする必要がある。明日からも打ち合わせが続くので油断が全くできない。
  • こういうときに限って研究が楽しい。後輩から持ちかけられた共同研究も、提案手法が本質的に何をやっているのかを考察するのが楽しい。PAC-Bayesの勉強にもなるし、今日はPAC-Bayesの「経験誤差 + KL-penalty」の最小化も事後分布に関する凸緩和付き線形計画とみなせることに気づいた。正則化LP(というかBregman divergenceと言うべきかもしれない)の構造の普遍性の高さに驚かされる。

2021/12/21 (Tue.)

  • 親世代のことを考えると難しいなと感じるときがある。例えば日本だと昭和後期は高度成長期であり、年功序列・終身雇用で会社に尽くすのが安定と成功の道筋だと思われていたわけだけれども、その頃に若者だった人たちが21世紀のある意味でラディカルに自由な社会に放り出されてしまうと、十分なスキルを持たないまま自由社会の中を放浪せざるを得ず、適応できなくなってしまうことが少なくないのではないかと思う。現代の若者視点からはともすれば自己責任という一言で片付けてしまいがちだけれども、それは流石に隣人を含めた社会に対する責任がないのではないかと思う。
  • そういう隣人への配慮を持つためにも、歴史や社会に関心を持つことは重要に思う。
  • 同時に、21世紀前半に生きる自分たち世代が世紀後半になったときにどのような社会になっているのかを想像するのは同様に難しく、現代のような自由社会を放浪する生き方をこのまま推し進めていくことが将来を生き抜いていくのに十分なのかどうか。属人的スキルを磨くことは生きやすくなることのように思えるけれども、そうではない社会を想像することも将来的な自己防衛として必要なのではないか。

2021/12/20 (Mon.)

  • 博論審査用の最低限のスライドを準備し終えて、審査員の先生方とも連絡を取り終わった。ディフェンスも気づけばもうあと3週間。これで博士が終わるのかと思うと不思議な感覚だ。
  • 先週は理研や愛媛でたくさん議論してもらえたし、後輩から持ちかけられた共同研究も非常に面白そうだし、研究者としては楽しいことがたくさん待ち受けているので幸せな心持ちだ。

2021/12/16 (Thu.)

  • もう本当にアメリカから帰ってきた2年前ぶりの出張。愛媛に来て石川さん界隈数学者とディスカッションしに来た。石川さんたちと会ったのも2019年のベルリンワークショップぶり。こうしてみると、既にこれだけ長い期間日記がついていることにも少し驚く。
  • 自分の話を4時間も聞いて、考えてもらえて、本当に頭が上がらない。博士が終われば研究の自由度はかなり向上する。こうして熱心な人たちに興味を持ってもらって一緒に共同研究をしていけたら楽しいだろうな。

2021/12/15 (Wed.)

  • Kieloで買ったコーヒー豆で淹れたコーヒーがやはりとても美味しい。久しぶりに自宅でコーヒーを淹れている。さすがカルディの豆とは単価が一回り違うだけはある。これまで一度たりとも自宅で淹れたコーヒーを美味しいと思えたことがなかったのだけれど、Kieloの豆で初めてある程度美味しいと思えた。より美味しい自宅コーヒーのためには豆を探索するのが最も手っ取り早いのではないか。

2021/12/14 (Tue.)

  • 知り合いに誘われて、計数の研究者界隈と理研(和光)で8時間くらい研究ディスカッションをしていた。和光はひょっとすると大学院進学を検討しに見学したとき以来のような気がするので、もう5年ぶりかもしれない。半分くらいは久しぶりの人たちだったけれど、それ以外の人たちにも暖かく受け入れてもらえて、しかも自分の荒削りなアイデアもきちんと聞いてもらえて、感謝の気持ちしかない。おかげさまでなんだか面白そうな研究テーマができた気がするので、博論の気休めに考えてみたいなあと思う。
  • 研究者としてpay forwardできること、「後進の話をよく聞くこと」と「後進に対してスキを見せること」につきる。冗談半分だけど、今日の大事な学びかもしれない。

2021/12/12 (Sun.)

  • 朝からKielo Coffeeで本を読んで、スーパーで買い物を済ませて、東京都現代美術館に行って、突然友達とクラフトビールを1杯だけ飲んで、帰ってきた。いい休日だ。
  • Kielo Coffeeは先週ぶり2回目に行くのだけれど、今日なんとなく飲んだニカラグアがとても美味しかった。というよりも新体験だった。元々浅煎り・酸味強めのコーヒーはあまり好きではないのだけれども、今日飲んだニカラグアは酸味が口当たりだけですぐに引いて後味に残らず、コーヒーの苦味がちゃんと口の中に後味として残る、香りだけフルーティーだけどしっかりボディのあるコーヒーだった。たぶん今年一番美味しいコーヒーだったので、ついその場で豆を買ってしまった。
  • 現代美術館もいつか行きたいと思い続けて、途中数年改修工事をやっていて、ついに行くことがかなった。久保田成子というNYビデオアート界を牽引したアーティストの個展だった。正直あまり書けないような表現もあってフェミニズムの観点からなかなかに衝撃的だったので、今日の思いつきで行って本当に良かった。

2021/12/10 (Fri.)

  • 昨日は大学で仕事が長引いてしまったので、そのままヒチカケに行った。ストーンのEnjoy Byのボトルにもありつけたし、楽しくお話させてもらった。東京から離れることになってからこの和気藹々としたバーに気づいたのはあまりにも惜しすぎる。京都にも似たようなバーがないだろうか。
  • 駒場祭の間に忙しくて見逃していたヨビノリたくみの「教育系YouTuberにならない方がいい7つの理由」が上がっていたので、仕事しながら見てしまった。基本的に「動画」を「研究」に置き換えてしまうと研究職でも成り立つことが多いな、と思いながら身に沁みていた。「100の良い動画を作っていたとしても1つの間違いで全てが水泡に帰してしまう」これは本当にその通りでしかない。一方でなぜインターネット上ではこうも安易に人を傷つける行為が横行してしまうのか、ということを考えざるを得ない。間違いは一つの間違いではあるが、それを人格に帰す必要はどこにもないのになぜなのか。容姿や喋り方にケチをつけるような発言を匿名でするのはなぜなのか。
  • 今週考えていた多様性についての話、2つの側面から話ができそうだと思った。1つ目は、オルテガの言う社会の多様性と成長の関係性だ。社会が多様であればこそその中から優れた要素が選ばれて、その要素がさらに多様になるというプロセスを繰り返して成長する。遺伝的アルゴリズムのようなものだ。成長社会が良いというグローバルな視点に立つのであれば、これは多様性の良さの一面だろう。2つ目は、多様性によって社会の有限であるパイを分散させることができるようになる点だ。もし唯一つの競争規準に基づいて社会が成長を目指すとなると、その規準を満たせない個人は、本当は他に優れた個性があるかもしれないのに所与の規準を満たせなかったというだけで淘汰されてしまう。一方で競争規準を多様化できるのであれば、個々人が自分にあった競争フィールドを選べる可能性が高まる。排除されてしまう個人を減らせる可能性が大いにある。社会の価値観の多様化の良さとは、このあたりにあるのではないか。

2021/12/08 (Wed.)

  • 文科省の若手の人がやっていた米英独仏伊の大学の労働法制と労働時間に関する調査報告書をぼんやりと眺めていた。これを見ると、日本とこれら諸外国の大きな違いは裁量労働制の有無、WCE(White Collar Exemption; ホワイトカラーの一定層に対して勤務時間の管理を免除する仕組み)の有無のようだ。WCEは知らなかったが、これは日本も導入しようとしていた高度プロフェッショナル制度に似たような話だろうか。英仏独には少なくとも制度としてacademic/research/teaching professorの違いが区別されているようで、その比が例えば英ではおおよそ2:1:1程度だったりとか、あとは米の教員職の平均的な教育・研究・その他業務の就業時間に占める平均割合が2:1:1程度だとか、平均週あたり労働時間が55時間程度(つまり15時間程度の残業)だとか、こうしてデータとして眺めると面白い。報告書自体はデータの羅列で考察に欠けるとは感じた。

2021/12/07 (Tue.)

  • 昨日感じていた違和感を朝大学まで歩きながら考えていたら、次のようによりすっきりまとめられることに気づいた。要するに、メリトクラシーに自分自身の価値観が支配されているのに気づかずに他人にメリトクラシー的価値観を半ば押し付ける形になっているように見えたから、大きな違和感を抱かざるを得なかった。目指すべき研究、研究者像、そんなものは人それぞれの置かれた環境の中で個人が信念を持っていればおそらくどれだって価値あるものであるはずで、そこに無神経に立ち入るのは危険であると。
  • 昨日は夜に研究者3人で日本橋オムニポロに行った。はじめて本格にオムニポロを飲んだ。ビールを飲みながら、しかしやはりつい研究環境や将来についての話に踏み込んでしまった。話していてちょっと自分の考えがまだ浅かったなと思ったのは、「多様性の促進が本当に良いことなのか」という指摘を受けたときだった。それ自体は多様性の比較的低い日本だからこそ母語でコミュニケーションを加速できるというコンテクストだったと思うが、環境としての多様性が高いのが本当に良いのかどうか、それこそグローバリゼーションの下では無批判的に信仰されがちかもしれないけれど、文脈には依り得るし自分ももう一歩考えを自分の中で踏み込んでおく必要があると感じた。
  • いつまで経っても、本を読んでも、思案に耽っても、相変わらず考えが浅い青二才のままであることに気持ちが少し暗くなる。このまま人とコミュニケーションを取ることに非常な不安感があるけれども、それでも人とのコミュニケーションを通して自分の考えを修正していくしかない。

2021/12/06 (Mon.)

  • これだからSNSを見るのはできるだけやめようと思っていたんだけれど。久しぶりに某先輩の「日本のCS «< USのCS」に関する発言を見ていてモヤモヤした。USの研究環境が良く、向上心の高い学生が全世界から集まっていることは間違いないし、事実論文の量も中国以外の国の追随を許していない。けれども本当にそれが全てなのか。引用数が高い論文が素晴らしいのか。企業研究で製品になったり社会実装できた研究が偉いのか。研究の生産性をどこまでも追求するのが全研究者の務めなのか。それらは全て一面的であって、「だから日本の環境はダメだ」「USの環境をみなが追い求めるべきだ」論は賛同できない。画一的な物差しで全てを同じ俎上に上げてほしくない。
  • 僕は決して日本の環境が現状のままでいいと思っているわけではないし、事実研究のクオリティ高かったり裾野が広いとは言えないと思っている。けれども主語大きく無思考的に聞こえる礼賛は人の気持ちを逆撫でする。おそらく僕がUSの大学に行けなかった(そもそもチャレンジもできなかった)のにどこかしら劣等感を感じているのを自分で否定できない以上、これは彼の主張の否定でしか自己規定できていないので、本当に情けない話ではあるが、それでもこれは正直な気持ちなわけで、別にだからどうしてほしいとか声を上げて「そうじゃない」と言うつもりも毛頭ないけれど、発言というのは常々気をつけたいと思う。
  • 特に文章による発言というのは怖い側面があって、対面コミュニケーションであれば言葉尻だけで感じた違和感に対してもう一言二言掘り下げることで違和感を解消できる(こともある)が、文章だとそもそもコミュニケーションの場が発生していないのでそれが非常に難しい。だからこそ、発言する時点でかなり気を配る必要がある。それは本当に自省の面も大きい。

2021/12/04 (Sat.)

  • まさか29時になるとは。悪友に誘われてウイスキーを飲みに行ったのはとても良かったのだけれど、その後終電を逃して赤坂からなぜか深川まで歩いてそこから上野に歩いて戻る羽目になった。未明から10kmも歩くとは思わなかった。最早これも含めて一つの思い出でしかないのだけれども。

2021/12/03 (Fri.)

  • 博論を提出した(厳密には提出を済ませたのは昨日)。これでまた一つ峠を越えた。ディフェンスまではあと40日ほど。これで博士課程が終わるのか。
  • COLT論文への指摘が最初に来てからほぼ一年。彼らの論文はNeurIPSに採択されたようなのだけれど、我々の論文に対するacknowledgmentがあまりフェアではない感じがあって、共著者とどうすべきか議論をするなど。今日は正直博論の締切の解放感はほとんどなく、これで一日頭を悩ませていた。大前提として僕が証明を間違えていたのは弁明の余地のないことだし、同時に彼らとは独立に証明を修正してある程度の定理の正当性はリカバーしているからそれは正当に評価してほしい気持ちもある。しかし彼らがこんなにも我々の着眼点の上に怒涛の勢いで結果を上書きしてくるとは思わなかった。確かに拡張すべき点はたくさんあるけれど、個人的には核心的なアイデアは既に最初の論文で示されているので、これ以上の拡張をここまで怒涛の勢いで積み上げるモチベーションがわからない。まあ自分がやる代わりに他の人がやってくれるのは、僕としては楽だし他に興味があることもたくさんあるのでそっちに移れるからいいのだけれど、おそらく先生たちは研究の「乗っ取り」だと言うのだろうな。どちらの立場としても理解はできるけれど、そういう競争はなんだか辛気くさい。競争って本当に個人のレベルでは人間を摩耗させるものでしかないと思うのだけれど。この件は半年前くらいまでずっと心の重荷になっていたので、また憂鬱な気持ちが蘇ってきた。はやく逃れたい。
  • そんなことを考えながら、大学から谷中銀座を通り抜けながら六義園まで散歩した。本当なら50分くらいかかるコースなはずなのに、考え事をしていたらあっという間に着いた。本当は谷中はもっと何も考えずに、あるいは楽しいことを考えながら散歩したい場所だったのに。

2021/12/01 (Wed.)

  • 一通り博論で議論すべきこと、書くべきことを網羅したと思うので、ついに謝辞を書いた。書いてみたら思ったより長い分量になったものだ。思い出せばこの3年間、いろいろな人に会ったものだ。