Random thoughts in Japanese. All optinions are my own.

2023/07/28 (Fri.)

  • 表向きは続編研究の議論、裏向きは先週のシンポジウムの自己反省会で、幡谷くんに会いに東京まできた。あまりにもひょんなことから、研究ディスカッションの方は須田さんを巻き込む形になって、はからずもパリで会ったとき以来 4年振り (2019/09/15) に会うことになった。もうそんなに時間が経っているとは。幡谷くんの持ってくる研究ネタは相変わらず面白くて、「そんなの絶対今すぐやったほうがいいじゃん」と心の底からつい言ってしまうような、そういうアイデアだった。そんな素直な言葉と向き合っていると元気が出てくる。心のなかではどこかしら「たかが自分が反省会をするためだけに東京に行くのか」と思っている自分がいたけれども、今日ばかりは来てよかった。気の置けない友人と喋ることによって得られる精神的エネルギーは計り知れない。

2023/07/27 (Thu.)

  • シンポジウムの反省会。結局のところ、なぜ自分が技術権力を語らなければならなかったのか。ひとつには、(情報)技術を最前線で研究している自分が、外野の人間ではなく当事者の一人として語ること自体に、一次情報としての価値が生まれるであろうということ。そしてもう一つがより重要なのだと思うけれども、自分が携わっている機械学習の研究コミュニティ自体が数少ない価値基準(これは誤解なくパラダイムと言い換えることができる)によって支配されており、それ以外の研究の意義が認められづらいということ。いわば自分自身がある種の権力構造の中での非支配者側の人間であるから、それに対するせめてもの抵抗をしたいという気持ちがおそらく無意識に湧き出たのだろうということ。
  • これが言語化できたのは悪くなかった。であれば、先日のシンポジウムの語り口を変えて、上のようなことを動機として語る方がより自然に動機づけできるだろう。少しは原稿に起こせそうな自信が出てきた。道のりはまだ長い。

2023/07/26 (Wed.)

  • まだ原稿にしていない手元のノートに残っている計算 (2023/07/08) を紐解きながら、少しずつ原稿に起こした。3週間近く経つと記憶が朧げで、ノートを解読するにも時間がかかる。もっと早めにやっておくべきだと痛感。
  • お昼にオンラインのセミナーで昔インターンのときに同期だった高木さんのトークを聞いていた。インターン以来一度も会わないうちに 7年も経ってしまった。研究の話はそこそこに、「当初は自分で本当に意味があるのか自問自答していた研究が、いずれ誰かに興味を持ってもらえるかもしれない」というありきたりな言葉が沁みた。最近の自分の研究は数理的にやや細かすぎるきらいがあるような気がしていて、本当にこんなものに価値があるのか自信が湧かないことがある。そういうときだからこそ少し元気がもらえた。

2023/07/25 (Tue.)

  • シンポジウム発表資料をとある STS の専門家に共有する約束だったので送ったところ、かなり手厳しく(しかし建設的に)批判的なフィードバックが返ってきた。自分ででも未熟だと痛感していつつも言語化できないところを、非常に的確に鋭い言葉で、そして専門的背景を踏まえて教えてくれた。正直長文のフィードバックメールを読んでいるときは、専門家でもない素人である自分の未熟な発表原稿に対してこれほど丁寧にフィードバックしてくれている事実に対する申し訳無さ、雑な論考に対して、言葉にならない重苦しさを感じていたが、一方で博士号をとった人間に対してこうやって一から手解きしてくれているのはありがたい以外の何物でもない。
  • 日頃からも常々感じているが、議論が下手すぎる。「過度の一般化・抽象化」、昔も友人に言われたのを思い出す。悪い癖が治らない。
  • こんな調子で本なんて書けるのか。自分の専門でない領域に踏み出して良いのか。

2023/07/23 (Sun.)

  • 昨日のことを思い出す。佐藤さんの講演の質疑で僕が「魚の『こころ』を操作主義的に定義する立場もあり得るが、それでも*Gallup や de Waal らが*自己認識能力を認めようとしなかったのはなぜなのか」と問うたときに、宮野先生が「それは『(通常科学的な)研究』であって『(答えられない問いに挑戦し続ける)学問』ではないから」と割り込んできたことに対して、まだ納得がいっていない。自分はあくまで Gallup や de Waal の立場を客観的に分析したかったのだが、その質問を自分自身の立場の主張にすり替えたように思える。多分ご本人は無自覚的なのだろうけれども、それは対話ではなくて自己主張に過ぎないのではないか。
  • それにしても佐藤さんの講演はよかった。心の底からあふれる動物心理学と行動生態学の狭間の矛盾に対する疑念が感じられて、問いと自己の連続性ゆえの主張の「堅さ」がある。その一方で、自分のしたかった主張は何なのか。権力構造、たしかに自分は問題だと認識しているが、自分ごとではなく、客観的でやや冷ややかな目線で見つめているのではないか。トマス・クーンだって、レヴィ・ストロースだって、力強い主義主張を感じ取れる論者たちは、皆心の底から溢れ出る想いがあり、自己の背景との連続性がある。自分にはどうもそれが欠けている。なぜ、僕は問うのか。

2023/07/22 (Sat.)

  • 「物語」シンポジウム、ようやく終わった。肩の荷が降りる思い。とにかく、自分がこんなにも文献読解量が足りない中(フーコーさえもまともに読破していない状態で)「権力」なんかを語ってよいのか、その自責の念がひたすら強かった。人生の有限の時間ですべての準備を万全に整えてから仕事に乗り出すことなんて土台無理なのはわかっているけれども、足元が覚束ない。でも自分が語るべきだと直感的に思ったことは語らなければならない。そのアンビバレントな感情に揺り動かされる。

2023/07/21 (Fri.)

  • 白眉年次報告会を終えた。まずは仕事を一つ。帰り道で「多様な説明が与えられる現象はまた普遍性が高いのではないか」という話になり、印象に残った。普段は法則が多くの観察に当てはまるかどうかという意味での普遍性を気にすることが多いが、現象を逆に法則に当てはめるという意味では「逆」方向の普遍性のように感じられた。少しアブダクションに近いかもしれない。アブダクションは仮説演繹であるわけだが、どの仮説がもっともらしいかはその場その場に変わり、より多くの仮説がもっともらしいのであれば少ない仮説で観察を支持できるとも言える。そういう意味での普遍性がある。

2023/07/19 (Wed.)

  • 帰国後 2日経って、段々と生活を平常運転に戻している。しかし今週はまだシンポジウムが 2件あるし、その間に査読などの仕事がじわじわ山積されていく。きっと来週の中頃になれば解放されているはず。そのときに研究に戻れるのが待ち遠しすぎる。
  • COLT 期間中に少し気になった multicalibration の論文を読んだ。以前も少しだけ multicalibration 関連の論文を読んだことがあるのだが、基本的なコンセプトとして、fairness の文脈では sensitive attributes が所与であるというのは仮定が強い嫌いがあるので、いかなる attributes の割当に対しても各集団内で calibration が達成されていてほしい、と定式化を行う。どうやらこれが肝らしい。このあたり、理論的には最近別文脈で提唱された outcome indistinguishability とも関連があったりと、少し勉強してみる価値がありそう。特に、自分は proper loss 関連に興味があるから、proper loss の専門知識を持って OI 関連の研究を眺めると何か新しい研究につながるような気がする。

2023/07/16 (Sun.)

  • あっという間に 5日間のインド滞在が終わった。今はチャンギ空港で乗り継ぎ待ちをしている。
  • 主著論文を自分で対面の国際会議で発表するのは本当に 2018年の ICML が最後だったので、あまりにも久しぶり過ぎる。自分の論文を持ってきて発表するのは良い。学習理論、TCS を含めた COLT のコミュニティの人たちとたくさん話ができたし、COLT の研究から見ればやや傍流感のある自分の研究でさえも、コーヒーブレイクでたまたま会った学生が知ってくれたりしていて、それは本当に嬉しい。5、6年もこうやって仕事をしていると、じわりじわりとネットワークが広がっていく感覚がある。決して大々的ではないけれども、興味を持ってくれる人が海の向こうにまでいるというのは何にも代えがたい喜びだ。
  • 結局 2日目くらいからずっとお腹を壊し続けていた。想定され得る要因が多すぎるが、やはりカレーの油と香辛料なのだろうか。

2023/07/14 (Fri.)

  • コーヒーブレイクの隙を見て、話してみたかった人たちに話しかけることに成功している。この感覚、本当に久しぶりの国際会議の醍醐味で、達成感がある。昼休憩に Tim と Wouter と他数人とこっそり抜け出して、近所のクラフトマーケットに潜りに行ったのはいい思い出になりそう。

2023/07/12 (Wed.)

  • COLT 1日目。知り合いがほぼいない状態でどうやってカンファレンス期間を過ごせばよいのか、と思ったりしたが、コーヒーブレイクのときに自分が棒立ちしていても誰かは話しかけに来るし、興味があるポスターの前まで行って著者の話に傾聴しながら気になったことを聞いたりしているとまあまあ盛り上がるし、今のところなんとかなっている。それにしてもボストン界隈の学生はこちらに来る前からローカルなコミュニティがあるし、ああいう繋がりがない日本の研究者はどうしてもネットワーキング上不利だと感じてはしまう。
  • 5年前に現地で COLT に参加したときよりは流石に解像度が上がっているので、理論の話を聞き続けるシャワーを浴びても興味を持てる割合が増えていると思う。今日聞いた中で印象に残ったのは、地味に準ニュートン法の non-asymptotic global convergence の保証かもしれない。去年 BFGS の収束証明を追っていた (2022/07/25) から、話を聞いていても数式の理解の解像度が高く勘所がよくわかる。

2023/07/11 (Tue.)

  • バンガロール到着。まさかの半年で (2022/12/11) インド渡航 2回目。今日は滞在中の唯一の自由時間がある日だったので、Iskcon Temple と Bangalore Palace をざっと見てきた。衝撃の度合いで言うと(インド旅行が 2回目だからというバイアスもあるかもしれないけれども)前回のハイデラバードの Charminar のカオスのインパクトが大きかった。今日はインドの街の雰囲気に対して心の準備が既にできているというのもあったので、どちらかと言えば純粋にエスニックな雰囲気を感じていた。
  • インドの街は大都会でも歩道を人が歩くことが想定されているのか怪しいほどボコボコで砂埃だらけだけ。歩道に手入れが行き届いていないのは欧米もまあそうだけれども、インドではまた別種の無秩序が感じられる。この道を歩いているだけで、前回ハイデラバードで一人で Birla Mandir まで行き帰りする途中に闇雲に歩いていたときの記憶がフラッシュバックする。

2023/07/10 (Mon.)

  • 20年以上ぶりの関西空港へ。当時はまだ小学生になってもいない年齢で、近代的なはるかやラピートが並ぶ関西空港の地下ホームに降り立ったときの高揚感は今でも手に取るように思い出すことができる。20年以上経った今でさえも、関空連絡橋をわたるときに感じる興奮は衰えることがない。
  • まずはトランジットでシンガポールへ。といっても到着してすぐに空港のラウンジで原稿を書いているが。6時間程度のフライトだと体への負担も大きくなくて良い。昨日に引き続いてクーンを一気に読み上げる。

2023/07/09 (Sun.)

  • 街を散歩しながら次のシンポジウムで話す内容の構想を練っていた。書き始めると頭の中でクリアになっていること、なっていないことが可視化されていく。問題提起とフレーミングに関しては大枠が出来上がっているように思うが、後半の議論パートのピースがまだはまっていない感じがある。明日のフライトの中で考えてみるか。
  • クーン「科学革命の構造」を読み始めた。「パラダイム」という言葉を「通常科学」と繋げて「専門家集団の中で共通認識が確立された前提」と定義しているところが、科学と非科学を隔てる境界を明確に定めつつも、(通常)科学自身に対する皮肉とも取れる内容になっていて、非常に痛快である。オルテガ然りだが、僕はこういう自己批判的な論述が好きなのだろう。まだ2章しか読んでいないが、この時点で傑作であるという直感が働く。

2023/07/08 (Sat.)

  • 沖縄から帰ってきた。微分方程式の解が発散するのを道中ずっと悩んでいたら気分が悪くなってしまった。今日は出張の合間に10時間以上寝たので多少は回復したけど、微分方程式の修正ができなくて、喉に骨が刺さったままの状態が続いて他のことに集中できない。なんとなくオーダーの評価で間違っているような気もするけれども、まだ確信に至っていない。
  • 晩ご飯を食べ終わってからなぜかスイッチが入り、机にかじりついて計算を繰り返していたら、どうやらうまくいかなかった原因がわかってきた。固有値の 0 極限で集中不等式の裾確率が無視できなくなっているのが、解が発散していた原因らしい。今週の後半はずっとこの計算結果に悩まされ続けていて、全く原因が解明できるような気持ちがしなかったのだけれども、こうやって必死にかじりついていると最後のわずか数分で何かが見えるときもあるものか。ひとまずこの計算から解放されたことに安堵している。これで一応心置きなく次の出張にも行ける心持ちになれる気がする。

2023/07/06 (Thu.)

  • 導出した微分方程式から想定していたような解が得られない。符号が一箇所反転しさえすれば非常にキレイな結果になるのに、何度計算過程を見直してもどうやら符号に間違いがないらしい。しかしそんなはずはないので目を細めて確認をひたすらするものだから、疲れてしまった。
  • 昨日くらいからまた耳が聞こえにくくなってきている。突発性難聴でなければよいのだが。

2023/07/05 (Wed.)

  • Han Zhao さんの滞在最終日だった。本当に気さくな人で、素直に人柄の良さを見習いたいと感じる。半年後の MLSS には会えるだろうけれども、近いうちに Urbana-Champaingn を再訪する機会も作りたい。Urbana-Champaign は僕にとってはとても居心地の良い中西部の街だった (2020/02/07)

2023/07/04 (Tue.)

  • 前回の沖縄滞在で仕上げた研究 (2023/06/09) の続きを進めている。前回の滞在中は高次元線形変換のノルムの集中不等式をなんとか示して、その後京都にいる間は主に査読、それ以外は Transformer のサーベイに時間を少し割いていたので、この研究に戻ってくるのはそれ以来。いくつか解析的に計算できるか不安要素があったけれども、想定よりはすんなりと固有値モードのダイナミクスの導出ができた。解の定性的な挙動は理解したつもりになっているので、次はこれを先行研究と比較して、自分の解析の位置付けをする必要がある。それさえできれば今度こそ論文にまとめるフェーズのはず。流石に見通しが立ってきたのではないだろうか。

2023/07/02 (Sun.)

  • 折角沖縄に滞在していることだし、少し観光を、それも普段の週末観光だと余裕がないような場所に行こと思って、名護市街地から古宇利島まで往復 30km のサイクリングをした。30km をシティサイクルで走破できるかどうか、それもこの炎天下の中で、やや不安だったけれど、予定していたよりも全然早く、3時間もかからずに往復できた。古宇利島の海岸の景色が素晴らしいのは殊更に強調するまでもないけれども、古宇利島にアクセスするために通過した屋我地島の、人里離れた熱帯の農村の風景がよかった。アップダウンのある道路に沿って、誰もいない広大な斜面に広がるトウモロコシやサトウキビの畑。観光だったとしても、車だとわざわざ停まることもないから、なかなか見られる景色じゃない。

2023/07/01 (Sat.)

  • 夕方までホテルで仕事をしていたけれど、折角なので外の空気を吸おうと思って、万座毛までバスで足を伸ばした。カメラを持ち始めてから気づいたのだけれども、僕は海の風景が実は好きらしい。ここ最近を振り返っても、知床(2022年2月)、鳥取(2022年10月)、そして今来ている沖縄で、空と海だけが画角に入っている構図で写真をつい撮ってしまう。それも飽きることなく。自分が好きだと思える構図で写真を取り続けることで、Lenbachhaus で見たリヒターの心象風景 (2023/02/25) に到達できないものかと思いながら。
  • 万座毛に釘付けになっていた目をふと頭の後ろにやると、夏の曇り空にたなびく雲が綺麗だった。生憎の曇りだったのだけれども、逆にそれが幸いしてか、所謂夏空のような入道雲ではなく、フェルトのように柔らかな厚みがある雲が多層に重なって、その切れ目から空本来の薄浅葱色が、夕暮れ時の落ち着いた光とともに漏れ出ているのが良い。空だけで写真を撮ることはあまりないのだけれども、今日は無意識のうちにシャッターを切っていた。
  • そういえば昔、ミシガンスタジアムの近くの幹線道路に架かる陸橋の上から、ぼんやりと空の写真を撮っていたことを思い出す (2019/12/15)。当時はその足でこじんまりとしたカフェ(Black Diesel Coffee)でコーヒーを飲みながら本を読んでいた記憶が蘇る。Ann Arbor の郊外だったので、キャンパス周辺の喧騒を感じない雰囲気が良かった。結局一度しか行かなかったけれども。こうやって空の景色を通じて異国の地で暮らしたときの記憶が結びつくのは、言葉で表現できない複雑な感情を呼び起こす。