Random thoughts in Japanese. All optinions are my own.

2020/08/31 (Mon.)

  • 安倍首相辞任の一報の後から数日間で在任中の成果に対する様々な評価が飛び交っている。それらを見ていると、多々思わずにはいられないことがたくさんある。
  • 第一に、政権の問題点と成果は切り分けて考えることはできないのか。批判側の意見としておそらく最も大きい声は森友学園・加計学園・公文書改竄・河合夫妻問題をはじめとした、政権に対する不信感のように見える。本邦は法治国家である以上、これらの問題に対する説明責任を果たさないことは許されない。この主張には反論の余地は一分たりともない。しかし、だからといって政権の成果の評価をせずに問題点にのみ焦点を当てることは政権評価の観点からは公平ではないと思う。こうした不公平性が政権運営の「やりがい搾取」を生み出し、政界のフレッシュな人材不足を引き起こしているのではないか、と感じる。批判すべきは批判し、評価すべきは評価すべきだ。
  • 第二に、客観的事実からは読み取ることのできない邪推が跋扈しているように思う。なるほど公文書改竄は許されることではない、しかしそれを首相や政権与党による「国家の私物化」だ、と言い切れる根拠はどこにあるのか。国家や行政組織は一枚岩ではない巨大な構造物である故に、どこか一箇所で生じた歪みが全体の欠陥として露呈する。それを政権の意思と断ずる根拠はあるのか。しかし一方で、行政組織において不祥事が生じたときに責任を取ることになるのはそのトップである首相であろうし、また公文書改竄問題においてはとりわけ行政に関する証左が捻じ曲げられているから、一個人が外野から客観的な判断を下すのが困難である、とも思う。いずれにせよ、「罪を憎んで人を憎まず」というか、事象に焦点を当てるべきで特定個人の人格に対する議論は少々ナンセンスに感じる。
  • 第三に、個人の感覚の一般化がされすぎているように思った。今回の政権に対する肯定的評価の一つのポイントとして、日経平均株価の大幅な向上が挙げられている。また、失業率は政権期間中に半減している(注: 実は非正規雇用の増加によってそう見えているとの情報も見た)という。一方でそれに対し、「庶民の感覚として生活水準が向上していない」という市中の声が取り上げられている。それはその当人の生活水準に大きな変化が見られないのであって、目に見えないところで職にありつくことができた人もいるわけだ。そうした全体的な経済の評価指標の一つとして日経平均株価の向上、という数値的な結果が現れている。数値的な評価指標は必ずしも実態を反映しない、という批判は重々承知だが、一方で企業業績などの客観的な評価を行うためにも完全に軽視して良いわけでもないと思う。また、7年半という比較的長期間をかけて水準が向上してきたために一朝一夕的な変化として実感しにくく、結果として生活水準の向上が体感できない、というのもあると思う。プロスペクト理論というやつだ。僕は人間個人の感覚というのは概してアテにならないことが多く、長期的・客観的な分析が肝要だと思う。
  • とりあえず最近感じたことを軽くまとめると以上のようになった。これらを言語化すると同時に、僕自身も積極的に政治に関する最新の情報を収集しているわけではないので、客観的な評価ができないことをもどかしく感じた。それでも僕個人の目からは客観的には見えない意見をいくつも見た。総じて、今回の一連の世論を見てもっと客観的な判断材料を自分の中に揃えなければならない、と強く感じた。

2020/08/30 (Sun.)

  • 一人越後湯沢旅行から帰還した。今日は土合駅にはじめて降り立ってみたりした。468段の階段は写真で見たことはあるけど、現場で見る迫力にはやはり及ばない。行ってよかったスポットだ。電車が2時間間隔なので暇になるかと思ったけど、今月新設されたカフェとか、駅を出たところにドライブインがあるので、意外と時間を潰すのには困らない。今日は行かなかったけど、徒歩圏内に滝もあるらしい。機会があればまた来てもいいと思える。
  • 久しぶりの一人旅行だった(注: と思ったけれどナイアガラシカゴ/アーバナシャンペーンに行っていたので半年ぶりくらい)けれど、帰ってきて気分は高揚している。自分にはこういう時間の過ごし方が合っていると改めて実感できた。ややもすれば精神的に鬱屈としがちな日々なだけに、思い立ったときに一人旅に出る思い切りを保ちたい。

2020/08/29 (Sat.)

  • 一人で越後湯沢の温泉宿に泊まりに来た。魚沼の日本酒を口に含んで郷土料理を嗜み、早々にチェックインして露天風呂を満喫する。一人で温泉旅行をするのなんて初めてだけど、いろいろなことを忘れてただぼーっとしながらくつろげてとても良い。昔バイト先の人間に爺臭い趣味だな、と言われたけど洒落臭い。こういうのは自分が好きなように時間を楽しんだものがちだ。
  • 昼ごはんを食べすぎてぽんしゅ館で立ち呑みできなかったのがとても心残り。冬期のスキー温泉旅行にもとても惹かれるし、越後湯沢にはまた来たい。

2020/08/28 (Fri.)

  • タイムゾーンを勘違いしてAISTATSの自分の番をすっぽかした。。ただ、発表システムがインタラクティブチャットによるリアルタイムQ&Aだったので後からも見れるのだけど、別に誰も質問なんてしてなかったのでセーフ(?)。まあそりゃ質問するだけなら普通にメールしますよね。わざわざ学会のチャットを使うインセンティブがない。
  • というわけで明日はLive Q&Aを終えてそのまま温泉につかるべく宿をとったのだけど、特に何も理由なく温泉に入る人になってしまった。まあこんなご時世だし息抜きだと思って。

2020/08/27 (Thu.)

  • ひょんなことから突然先生と話すことになった。マンツーマンで2時間も喋ったのは一年以上ぶりじゃなかろうか。
  • 僕の与り知らぬところでやはり研究室にも精神的に不調をきたしている学生がいるようだ。さもありなん。日がな家に閉じこもって誰と話すでもなく、黙々と進捗の出ない作業を続けているわけだから、精神的に不調をきたさないほうが難しいというものだ。
  • 話の流れで進路相談的なことにも言及した。とりあえず現時点で考えている進路は共有できたのでひとまず安心ではある。時間は刻一刻と着実に過ぎるもので、あと半年もしたら就職の準備をはじめないといけない刻限になる。僕にもついに就職活動のときが訪れるのか。

2020/08/26 (Wed.)

  • 少しでも思考力の必要な考察になると途端にやる気が出なくなってしまう。ほぼ丸2日、やる気が起こらず無為に溶かしてしまった。
  • とはいえ、もしAISTATSに投稿するのであればあまり時間に余裕はない。なんとか家を這い出てカフェで少し考えてみたりした。少しだけ推せるポイントがあるかもしれないな、と思い始めたが、こればかりは実験で検証する必要がある。そろそろ重い腰を上げて数値実験をしなければならないタイミングか。

2020/08/24 (Mon.)

  • 帰京。帰りも18きっぷで。また浜松駅でさわやかに寄ってしまった。10日ぶりでも変わらぬ美味しさ。
  • 一日中ぼんやりと車窓を眺めるだけの日だった。名古屋駅の駅ビル群を遠目から見ていたときに、なんとなしに年始にシカゴに寄ったときにGooseを飲みに行った帰りに一人でAshlandからシカゴの摩天楼を眺めてるときの情景を思い出した。景色が似てたからだろうか。あのときの、異国の地で雪の降り積もる中、薄暗い路地に照らすナトリウムランプの雰囲気がとても印象的だった。
  • 岐阜、愛知、静岡、あたりはまだ序盤から中盤なのでそうでもないけれど、やはり終盤にかけて、熱海とか、荒川とか、県境を越えて東京に近づく高揚感は、自分の中では18きっぷ特有の感覚だと思う。上野駅に着いたとき、自分の家まで地続きなんだという当然の事実を確認する作業と、それに伴う得も言われぬ不思議な納得感が日常では得難く、僕がなんとなしに求めてしまう旅情なんだと思う。

2020/08/21 (Fri.)

  • 後輩の発表練習を眺めたり、外部のセミナーに顔を出してみたりしたけど、全然おもしろくない。発表がダメなわけではなくて。オンライン飲み会とか雑談会とか試してみてもまたやりたいとはならなかった。中身はほとんど同じなはずなのに、オンラインと対面で合うのってそんなにも違うのか。不思議だ。

2020/08/20 (Thu.)

  • Heaven's Feel最終章を観てきた。いろいろありますけど、終盤のライダー vs. セイバー戦は圧巻の戦闘シーンで見惚れてしまった。信奉すべきはufotable。ありがとうございました。

2020/08/19 (Wed.)

  • いまの研究、ちゃんと手を動かして計算しているのでproper lossの細かい部分の理解が少しずつ深まっていて、勉強としての自己満足度は高い。けれど、研究としてはイマイチ押しが弱いのが悩み。動機はハッキリしているし、適切に新しいinsightも与えているのだけど、核になるアイデアは気づいてしまえば(知っていれば)とても単純。本来良いアイデアというのはシンプルであるべきだとは言われているけど、いざ自分がそういう研究をやっているととても心許なくなる。

2020/08/18 (Tue.)

  • AISTATS2021のCFPが公開された。あとちょうど2ヶ月弱くらいか。いま書きかけのドラフトが間に合うといいけど、どうかな。
  • 今日もまあまあ集中して作業できたような気がする。定期的に筋トレをするのは、作業の合間の休憩や気分転換にもなって、やっぱり良いのだと思う。だんだん居候先での作業にも慣れつつある。
  • しかしこうやって部屋に閉じこもって自分の作業だけ粛々とやっていると、生きるってなんだろうな、と考えずにはいられない。毎朝起きて、ひねもす部屋に籠もって誰のためでもない作業に手を付け、ご飯を食べて夜になったら寝る。その繰り返し。僕が人生に求めているものって何なのだろうか。
  • 部屋に閉じこもっているのは感染予防というのもありますが、単純に死ぬほど暑いという方が大きい。

2020/08/17 (Mon.)

  • 流れ星を見て、風鈴の音色を聞いて、お寺の本堂で涼んで、川で水浴びして、温泉に入って、、何の気無しにお出かけしたらかなり夏っぽい週末になった。いい思い出だなあ。
  • しかし暑い。暑すぎる。今日は一日家にこもって作業に戻った。連休引きずって戻ってこられるか心配だったけど、思ってたよりは手が動いてくれたので安心した。

2020/08/13 (Thu.)

  • 今年のペルセウス流星群の季節。人生ではじめて流星群を眺めたなあ。丘の上に立って夜空を見上げると存外に星は見えるものだし、街に近づくにつれて白んでいく黒、山の稜線のシルエット、陽炎で揺らめく街の光。ぼんやりと眺める夜景の良さ。

2020/08/12 (Wed.)

  • 上野から京都まで鈍行で。浜松で初めて途中下車。目的は初・さわやかのハンバーグ。あれほどまでに肉汁の旨味と絶妙な焼き加減で仕上げられたハンバーグを食べたことがなく、言葉も出なかった。。何度でも静岡で途中下車して食べたくなってしまう。
  • およそ8時間の旅路、ほとんどは今やっている研究のことを頭の中でぼんやりと考えながらたまにラップトップで数値実験してみたり、あとは車窓を眺めながら何も考えることなくぼんやりとしたりといった感じだった。文庫読むかと思ったけど、やっぱりページは捲らなかった。このただひたすらに物思いに耽る時間、定期的に必要だ。

2020/08/11 (Tue.)

  • 某国某特区の逮捕事案、色々考えさせられることがある。大前提として言論の自由は尊重されるべきだが、一方で「民主主義」は無条件で善しとされるべきなのだろうか。民主主義は数ある政治体制の中で最も自由主義的なものの一つだが、民衆が主権を行使することを前提とした体制である以上、それはどれくらい個人の独立した自由意志の集合体足り得るのだろうか。間接民主主義は少数の政治活動家によって動かされるが、どれくらい民衆の思想を不偏的にサンプリングできているだろうか。さらに、個人の思想自体が教育や啓蒙によって醸成される以上、どの程度「真の自由意志」というのは存在するのだろうか(この辺は教育と洗脳の違いの話で、自分がかなり興味のある話である)。アテネの民主主義がどれほど現代に適用可能なのか、自分としては少し懐疑心が残る。
  • 今日はだいぶちゃんと作業できて安心した。きちんとランニングした翌日は寝覚めも良いし、集中力も散漫になりづらいと感じる。お盆前にやっておくべき計算は一応方がついたように思うので、ある程度落ち着いて休みを満喫できそうだ。
  • そういうわけで、明日からはまたしばらく京都にこもる。数年ぶりに青春18きっぷでのんびりと行こうと思う。

2020/08/10 (Mon.)

  • リバッタル案完成。ひとり酸っぱいコメントをつけてきた査読者がいて一晩頭を抱えていたけれど、よくよく考えたら査読者の指摘が理論的に崩壊していることに気づいたので、これは説得可能な気がする。ちゃんと読んでくれさえすれば。
  • 査読でもよくwell-written等のコメントがもらえるし、自分でも論文やリバッタルが読みやすく書けているという感触がある(自画自賛)。系統立てて言語化することはまだうまくできないけど、technical writingの最中でどうすれば論理構造がハッキリするか、なんとなく直感的に意識できるようになっているように思う。
  • 今朝未明はあまりにも暑くて寝付けず、今年初めて冷房を入れながら寝ることにした。夜中でも室温が30度を下回らないのは厳しい。毎年夜涼しくなるのんはお盆過ぎてからだろうか。待ち遠しい。

2020/08/09 (Sun.)

  • NeurIPSの査読結果がひどい、、、とSNS上で荒れている。僕の論文はいつもどおり割と想定内で的を得た内容だったけど、査読者の引きがいいのだろうか。それにしてもこんなに大勢の人間がcomplaintをつらつら述べている(当然出版バイアスはあるものの)にもかかわらず、依然人々は投稿し続けるのだよな。いくらNeurIPSがトップ会議とはいえ、毎度査読で泣かされてる人間がいるし、採択されたところで論文数が多すぎて肝心のプレゼンスもないし、不思議。不満なら自分の望む別のしかるべき投稿先を選べばいい。
  • というわけでリバッタルを書いている。お盆にもかかわらず。。やる気がでないのでカフェに出てきて書いている。カフェに出ると不思議と作業が手につくものだから、本当に作業したい日は毎日出るべきだと最近強く感じる。

2020/08/07 (Fri.)

  • ああ、気を遣わなくていい相手と一緒にいられる時間は本当に貴重だ。今日は何よりも相手さえも自分に対して気を遣わなくて良いと思ってくれていたのがわかってとても嬉しかった。人生でそんな相手と果たして何人巡り会えるだろうか。
  • おそらく3回目のアンナチュラル再視聴を始めた。第1話がMARSコロナウイルスの話だったことをすっかり忘れていて、それはそれで新鮮な気持ちで見れて相変わらずとてもおもしろかったのだけど、当時放送されたのが2018年だったにも関わらず今の世相を言い当てているものがあって、野木亜紀子恐るべし。。そういえば今期も野木亜紀子ドラマがあるのにアンテナが張り切れていなかった。今から間に合うだろうか。

2020/08/06 (Thu.)

  • 今年もこの日。今年は梅雨が長くてまだあまり蝉の鳴き声を意識してなかったけど、テレビ越しに聞こえてくる鐘の音に溶け込む蝉の鳴き声は今年も重々しかった。

2020/08/04 (Tue.)

  • 家での作業が捗らない反動で、カフェに行くとものすごく進捗が出るこの日頃。。2時間くらい作業してるだけで家で1日やる分の作業量を軽く超えてる気がする。行きつけの蔵前のカフェは採光良好、人入りも特に平日は多くなく、PC作業もしやすいのでとても良い。真夏日の中、家から歩いて15分くらいかかるのだけがネックだけど。もっとガンガン課金したほうが精神衛生的にも良いよね。
  • 論文を読んでいてるときにスッキリする瞬間の一つに、過去の研究の歴史が一つの道筋として見いだせたときがある。この四半期はCPEっぽい話をやっていたので必然的にlink functionに関する統計の古めの論文を眺めてたりしていたのだけど、Czado & Santner (1992)とかChen et al. (1999)Kim et al. (2008)あたりのlink misspecificationとかflexible linkの話と、GEV linkの話をそれぞれ別々で追っていたのが繋がった。元々どちらもMing-hui ChenやDipak Deyあたりの(UConnの?)派閥が絡んでいたみたいだ。こういう風にちゃんと派閥とか系統として見える研究スタイル、自分はまだ確立できているとは言えないので、少し憧れるなあ。

2020/08/03 (Mon.)

  • コロナに関するいい感じのまとめ資料を見つけた。これだけの量の情報がまとまっていて、かつ言っていることが理に適っているように見える資料はなかなかないと思う。
  • 結局企業や飲食店の人たちは仕事をせざるを得ないし利益のために多少体調が悪くても無理して職場に行こうとするし、検査を信奉してる人たちは症状もないのに謎の安心感を得るために病院に行ってリスク取るし、行政が何やっても叩かれるので何もやらないのが最適になってしまうし、正直八方塞がりですよね。

2020/08/01 (Sat.)

  • 日記が1年続きました。1年前の8月の出来事なんかを眺めたりしてるけど、そんなことあったなあ、と懐かしくなったりした。1年前のこの時期は今と全く違って、いろいろな講演で駆け回ってたり、人と会ったりしていたなあ。全く1年でこうなってしまうなんて誰が予想できるだろうか。
  • CMで見かけた「劇場」がAmazon Primeで観れるみたいだったので、観てみた。話は演劇脚本家が夢破れて恋人と共依存になっていく話。こういうアーティスト系の仕事、考えれば考えるほど仕事の本質に研究事と共通点がとても多くて、例えば同世代でも業績に格差がつくとか、頑張っても頑張っても成果が出ないとか、見てると切なくなる。
  • それに比べて研究が(かなり)マシなのは、人間社会的に役に立つと信じられているため、国や一部の企業が積極的に投資していて、それによってある程度のセーフティネットが張られている点。いや勿論高齢ポスドク問題とか課題は山積しているわけだけど、「役に立つ」の一点で生活のために肉体労働せざるを得ない状況からは免れているとは思う。少なくとも僕の見識が及ぶ範囲では。
  • 最近友人と似たような話をして、「研究職は仮にも高度技術職なのだからある程度待遇はよくあるべき」という意見を聞いて、まあそれは部分的には的を得ているのかもしれないと思ったけど、やはり自分としてはアートとかエンターテイメントに携わる人たちに比べて待遇が保証されている手前、これ以上の公的な待遇保証を積極的に求める気持ちにならない。いや、求めるのはいいと思うんですけど、頭ごなしに「科学立国を標榜するなら大学に投資しろ」と声高に叫ぶのにはとても抵抗感がある。少なくともあなた方が提供できる対価を明らかな形で提示する必要があると思う。資本主義的な需要と供給の関係で世の中が成立している以上、人々が求めていないものに対する投資を当然視するのには違和感がある。世間でお金を稼いでる人たちは、お金になることをやっているから稼げているんですよ。