Random thoughts in Japanese. All optinions are my own.

2020/12/31 (Thu.)

  • 2020年も今日で終わり。COVID-19で散々だったけれど、まだ当面(1年くらい?)は続きそうなので耐え忍ぶしかない。決して良い1年だったとは野放しには言えない。
  • 研究面では主著2本(AISTATS、COLT)、共著2本(MICCAI、Neural Computation)通るなど、かなり成果は多かった年だと思う。これらの成果はすべて2020年3月以前のものなので、今年頑張ったとは言いづらくはあるけれど。下半期は小ネタではあるけれど、前から興味を持っていたFenchel-Young loss、proper loss関連で1本投稿できたので嬉しい。気乗りしない雑務に忙殺されている時間は長かったけれど、総じて見れば悪くなかったと思う。
  • プライベートでは、あらゆる活動のオンライン化によって生じた隙間時間で読書がそれなりに捗ったのが良かった。特に年の後半にかけて、科学哲学とか、社会科学とか、今まで興味が持てなかったりよくわからなかった分野に対しても少しずつではあるけれど理解が深まってきているのが実感できて嬉しい。これは友人たちとの談義のおかげでもある。こういった人文系の分野に対する教養はこれからもどんどん深めていきたい。それと、オンライン化によって幸か不幸か京都にある程度の期間、居候できたのは嬉しかった。緊急事態宣言やら感染者数の増加やらで思うように移動しづらかったけれど、平常時だったらこれほど長く居候はできなかっただろう。
  • 来年の抱負というかただの願望だが、早めに就職先を確定させて無事に博論を書き上げたい。抱負を立てるとしたら、忙しいのを言い訳に読書と運動の習慣を途切れさせないようにしたい。

2020/12/30 (Wed.)

  • 週末から大塚「統計学を哲学する」とデネット「心はどこにあるのか」を同時に読み始めた。後者が内容的に重めの本なので息抜きに前者も読み始めたのだけれど、たまたま内容的に相互にクロスオーバーしていて、知識の縦糸と横糸が交錯する感覚が味わえて楽しい。統計学を解釈する土台となる認識論と、心や知覚の解釈の一つである志向的システムの話が本質的に近い。こういったヒュームやポパー、デネットが展開する認識論は、「学習・知能とはなにか?」を至上命題とする計算機科学者もそれなりに理解したほうが良いのではないか。
  • 関連して、数日前にピアソンの科学史的評価に関する記事を流し読みした。唯物論・観念論とピアソンの思想の関係、熱心な社会主義者だったことなどが記されており、ピアソンの科学哲学的な思想に触れることができて興味深い。これはまた読み返したい。
  • 論文を修正する過程で、(正直なところ)数学的に自分の中で曖昧だった部分がどんどんクリアになっていき、拡張できそうなことが見えてきた。特に、関数下限の達成と下半連続性(cf. extreme value theoremの一般化)に関する理解が深まった。こういった地道な解析学は学部のときはかなり苦手だったのだけれど、こうやって自分の抱えている問題で厳密な議論を展開しようとすると多くが初等解析で見覚えのある話に帰着されるので、今ならモチベーションが湧く。きちんと解析学の基礎が身についていれば見える世界も大きく広がって気持ち良いことは十分体感できたし、次の春休みに解析学と測度論を地道に復習するのはとてもアリかもしれない。

2020/12/29 (Tue.)

  • 論文の修正が終わった!元よりページ数が10ページも増えて、期間としても20日くらいかかって、とても大変な作業だった。共著者とこれから確認作業に入るので、まだもう少し時間はかかりそうだけど。明らかにランニングしてから作業効率が向上したので、これからも気分が落ち込んだら思考停止でランニングに行くべきだ。
  • 東京にいるうちに行きたい場所としてJR貨物の隅田川駅と汐入公園があったので、仕事納め記念に上野から散歩でいった。上野、入谷、三ノ輪、南千住、隅田川駅、汐入、京成関屋・牛田、北千住で、合計してだいたい7.8km。以前から北千住まで徒歩で行ってみたいとも思っていたので同時に達成した。あと、図らずも京成関屋駅・牛田駅の非乗換隣接駅を拝めたのでとても満足。建物すらも隣り合わせなのに乗換駅ですらないの、すごすぎる。汐入周辺は交通の便がとても微妙な割に、小綺麗なマンションがたくさん並んでいて面白かった。都内にもこういう場所があるのか。泪橋周辺は通るのは2回目だけど、南千住の南口からあっという間なのにそこはかとない異世界感が広がっていて見入ってしまう。次は南千住・北千住駅周辺をもっと散策したい。

2020/12/28 (Mon.)

  • 昨日は気分を入れ替えるためにおよそ2ヶ月ぶりにランニングに出かけた。最近は全く気分が晴れないので、思い切ってハーフマラソンくらい走って何かの刺激にしようと思ったけど、15kmくらいを過ぎた頃から全く脚が動かなくなってしまい、18km手前で断念。それでも自分の最長記録は14km弱だったと思うので、更新できてよかった。
  • 上野から馬喰町、東京駅、日本橋、永代橋、東陽町、錦糸町、両国、スカイツリー、浅草でフィニッシュ。永代通りまで足を伸ばすと距離が相当伸びる。帰りに言問通りをちゃんと完走できていたらハーフマラソンになりそう。
  • そのおかげか、今日は幾分か気持ちがまし。論文修正を一日黙々とできた。

2020/12/26 (Sat.)

  • 外に出て気分転換するべきではあると思うが、寒いし、出るだけの元気があまりないし、感染状況も良くないしで、外出しない理由ばかりがある。積読を消化する良い期間と肯定的に捉え直す。今日と明日は思いのままに研究と関係のない本を読み続けるつもりだ。

2020/12/25 (Fri.)

  • 結局一昨日の講義でのプレゼンで大失敗してしまい、ひどく自信を喪失してしまった。ただでさえやるべきことができていない現状に加え、年末に京都に行く予定が飛んでしまった状況の中だっただけにこれは堪えてしまい、2日ほど何もせずに無為に過ごしてしまった。
  • あまりプレゼンのことは思い出したくない(それでも無意識にフラッシュバックする)のだけど、後に残しておくとすれば、自分の伝えたいことを洗い出す際に「何のためにそれを伝えるか」が明確になっていなかったために、説明の粒度感、聴衆の想定ミスが起こり、全く理解してもらえなかった。要するに細かすぎて伝わらないプレゼン。今年最後の最後で一番ひどいプレゼンだった。
  • 自分のプレゼンはだいぶ安定してきたと自負していたけれど、油断して準備を怠ればすぐにこうなる。思い返せば1年に一度くらいの頻度でひどいプレゼンをしてきたものだ。M1の研究室セミナー発表、M2の修論中間発表、ATRの招待講演、D1のCLASP!の招待講演、などなど。最近はコケる機会が少なかったので、心のどこかで慢心していたのだろう。
  • 昨日はそれで傷心して親友を呼び出して愚痴に付き合ってもらった。彼は科学コミュニケーションや教育にも造詣が深いので話し相手になってもらえて助かる。話を聞いてもらううちで改めて認識したのは、僕が本心でやりたいこと、僕が科学コミュニケーションしたい理由というのが明確になっていないのが、怪我を引き起こしているらしいということだ。しかし、数時間考えても結局わからなかった。僕は本当に一般市民に研究の面白さを知ってほしいのか?本当に科学技術の仕組みを知ってほしいのか?本当に科学技術のあるべき姿を一緒に考えたいのか?それを知ってもらったところでどうなるのか?僕自身が面白いことをやっているのを、大衆に興味を持ってもらうことで正当化しようとしていないか?面白さを共感してもらうことで気持ちよくなっている、自慰行為に成り下がっていないのか?
  • しばらくは考えてもしんどいだけだから、年明けまで忘れよう(とはいえ無意識に反芻しながら考えてしまっている)。本当にメンタルがボロボロのクリスマスになってしまった。年が明けても論文の修正は続きそうだし、先延ばしにしていた論文のICMLへの再投稿も控えている。そして科学コミュニケーション論の最終課題でまた上述の問題に向き合わなければならない。少なくとも1月中は心穏やかでは過ごせる様子ではなさそうだ。どれも自分の研究アイデアを正しく立証したり、自分のキャリア・思想を見つめ直す重要なステップであることは重々承知しているのだけれど、非常に心理的負担が大きい。自分の観念の世界を現実世界に投影するには多大なエネルギーの消費を伴う。

2020/12/22 (Tue.)

  • 科学コミュニケーション論の課題で自分の研究の展示企画を行うものがあって、最近忙しくてあまり乗り気ではなかったのだけど、手を動かしてブレインストーミングし始めたら自分の中で研究の方向性が整理されてきて、悪くない機会だった。機械学習の研究で何を伝えたいか、何が面白いのか、ということを考えると、いろいろあるけれど自分の中では「有限性と無限性の狭間」が面白いと言えると思う。有限の観測からの帰納推論、有限の計算資源で無限の探索空間を調べる、などなど。人間の認識資源でさえ有限なのだから、「この無限の世界をつねに有限にしか認識しえない」(三浦「弁償法とはどういう科学か」)という本質的な矛盾が内在するし、仮に無限の認識が可能ならそこに学習も存在しないわけだから「誤謬は人間の認識にとって本質的なもの」(同上)であるといえる。だからこそ、いかにして無限の事象を有限の資源で認識するか、何が認識の本質7日、という点について考えるのは非常に興味が唆られるし、折に触れて考えるべきことだと思う。
  • あと、推論とは何かについていろいろ考えていたときに、その昔に学部の生物統計で知った「アブダクション」を思い出した。つまり、A→Bという論理関係があったとき、「AとA→B」からBを導出するのが演繹、「AとB」からA→Bを導出するのが帰納、「A→BとB」からAを導出するのがアブダクション。演繹と帰納は計算機とも密接な関係が築かれているけれど、アブダクションはどうだろう。因果推論が少し関係ありそうだけど、完全にそうとも言い切れない気がする。ここを詰めて考えておくと、今までにない面白い推論機械が作れるのではないか、という気がした。
  • アブダクションを取り上げた近代の科学者としてパースの著作を5年も前に欲しい物リストに積んでいて、未だに買っていない。年末年始は一人で過ごすことになりそうだし、この辺の本を思い切りたくさん読みたい。
  • 話は変わるが、今年は記録によると現時点で25冊本を読んでいるらしい。概ね2週に1冊のペースだ。単純な計算では4年で100冊になる。そう思えば人生で読める冊数というのは多くないわけで、この観点に立てば時間があまりないんだなという気分になった。

2020/12/21 (Mon.)

  • 帰省するしない問題で家族とミスコミュニケーションを起こしてしまって疲れてしまった。相手を慮って婉曲的に表現することは、ときに余計に疲れてしまう状況を引き起こしかねない。
  • やらねばいけないことの重さとこの一件とで本当に疲弊してしまった。行くつもりはなかったのに、今日は大学の帰りにテイルズエールハウスに寄ってしまった。COVID-19の状況も当面良くなる気配はないし、自分の仕事もいつ精神的に落ち着くのかわからない。先行きの見えなさに辟易とする。

2020/12/20 (Sun.)

  • 三浦「弁証法とはどういう科学か」再読了。一度目に読んだときよりも圧倒的に興味を持って読むことができた。たぶんこの本を買ったのは4年前くらいだと思うので、4年の時間は自分が物事をじっくりと考える上では伊達ではないものだと感じる。まだまだ理解するのに時間を要したり理解できていない箇所も多々あるので、また数年経ったら読みたいし、一生自分の本棚に置いておいて何度でも読み返したい。
  • 科学的な社会科学観に触れられたことと、自分の科学哲学観をより醸成できた点において、この本を読んだ価値は非常に大きい。おそらく何度も引用されているエンゲルス「自然弁証法」の考え方に共感するところが多いのだと思う。本書が紙数を割いて説明していた「対立物の相互浸透」は勿論、エンゲルス的弁証法の根幹をなす「量質転化」「矛盾の矛盾」も非常に興味深い。特に、量質転化に基づく資本主義の合理性、すなわち、労働力や生産手段は集約することによってより生産効率が高まる(つまり「1足す1が3にも4にもなる」)ことは、なぜ共同体や国家が自然形成されてきたか、帝国主義的方向に向かってきたのか、に対する一つの腑に落ちる説明になっていて興味深かった。
  • 昨日は蔵前から人形町を通って銀座まで歩いた。久しぶりの散歩。小伝馬町や人形町、水天宮前はほとんど歩いたことがなかったので新鮮。

2020/12/18 (Fri.)

  • 一通り現時点で修正できることはした。だいぶ疲弊してしまったので、午後はバナナフィッシュを一気見した。この論文を書いていたときに見ていたのを思い出して見始めた。
  • 週末は何もせずに休もう。来週にもう少し頑張って論文を修正するために。

2020/12/17 (Thu.)

  • 結構ストレスが溜まっている。破滅的なほどではないけど、まずそもそも証明の修正における手計算が大変すぎて遅々として進まない(執筆当時もかなり苦労した記憶がある)のと、少し珍妙な仮定が加わったことで本当に意味のある結果になっているのかわからない不安と、これをやったところで他の研究が全く進んでいないのと、そして海外から来た問い合わせを留保しているのとで、気が休まらない。せめても他の負荷は下げるべく、自炊は効率よく、家事は最低限に保っている。しかし、この修正をやってしまわないと自分の気持ちとしても何も進まなさそうだ。
  • しかし考え方を転回すれば、急いで取り組んだってしかたないわけだ。自分の生活の質を担保することが何より大切だから。日々やるべき分は淡々とやるけれど焦って詰め込みすぎず仕事の後の余暇を楽しむ、くらいの心持ちを意識して保たなければ。

2020/12/15 (Tue.)

  • USの博士学生の知り合いと企画したオンライン講演イベントをこなした。最終的に日本とUSあわせて(他の国からも?)80人以上の聴衆が集まって感慨深い。自分はcalibration analysisはずっと愚直な計算に頼ってやってきたけど、彼らがやっているような確率単体へのlossの埋め込みみたいなアプローチは特に多クラス分類になったときに威力を発揮しそうだし、次に勉強しておいた方がいいかもしれない。

2020/12/14 (Mon.)

  • 先週、諸事情によりCOLTの論文の証明に間違いが見つかって、それを直すのに四苦八苦していた。最初に間違いが見つかったときは、もし証明が修正できなかったらどうしようかと、文字通り三日三晩くらい飯も喉を通らないような心持ちだったけど、週末に手を動かしていたらどうやら自分の示した結果はほとんど修正することなく、証明の修正だけでなんとかなることがわかった。いままではシミュレーション値がなんとなく理論と合致しなくて、まあ数値計算誤差かと思ってあまり突っ込まなかったけど、どうやらこれも今までの証明方法に誤りがあったことに起因していて、今日修正した式でシミュレーションを回したら理論値に限りなく近く合致した。まだ気は抜けないけど、かなり安堵している。
  • 今回は定理の主張自体はほとんどそのまま成り立つから良かったものの、もし主張自体が間違ってしまっていることが後からわかったら、勇気をもって撤回できるだろうか。そういうことを想像すると空恐ろしい。
  • 年始にこの論文を書いていたときもそうだけど、adversarialな設定になっただけで細かい計算が非常に煩雑になってしまい、手で計算をやり直すのに数日かかってしまっている。場合分けも複雑なので、(やったことないけれど)シンボリック計算も回せるのか微妙そう。今週中には直しきってしまいたい。

2020/12/12 (Sat.)

  • 「弁証法とはどういう科学か」を読み続けている。一行ずつ噛み締めて読みたくなるほど高揚する。19世紀のドイツ哲学におけるカント、ヘーゲル、フォイエルバッハ、マルクスの流れの中で唯物論的弁証法に昇華されてきた過程と、それによって同時期に形而上学的世界観が否定された科学革命(物理学のエネルギーの転換、生物学における細胞論、進化論など)とを見比べると、いかに唯物弁証法が人間の思惟に与えた影響が多いかを思い知る。観念論、形而上学的見方にはともすると陥りがちなので常に意識しなければならないと思う一方で、唯物論を正しいと思うのも一種の信仰なのではないか、正しさの客観的な根拠があるのかどうか、という点にも興味がある。
  • マルクスの思想を横目で見ていると、科学的社会主義をきちんと追ってみたくなる。「資本論」を原著で読むべきか?と思い見てみたら、なんと文庫で9巻あった。近い将来に原著で読みたいとは思うものの、何年後のことになるのだろうか。しかしまだまだ自分の科学に対する好奇心がついえることはなさそうであることは嬉しく、今後の人生でゆっくり時間をかけて楽しんでいきたい。
  • 今週末は積み残した仕事を細々と続けている。自分が蒔いた種から出た芽なので、自分の責任で早々に摘み取ってしまわねばならない。

2020/12/11 (Fri.)

  • 諸々の仕事を片付けてやることがなくなった、と思ったら次の重い仕事が舞い込んでくる。一つずつこなすしかないのだけれど、もっと心に余裕のある状態を保ちたい。
  • 様々な知人から本を紹介してもらってはリストに追加して購入にすら至っていない状態だったので、アマゾンで何冊かまとめて購入していた本が届いた。デネット、プラトン、ベルクソン。どの本も興味を掻き立てられるし(さらに岩波文庫の装丁が素晴らしいので)本当はいますぐ貪るように読みたいけれど、積んである本もあるし、いまの仕事を先に片付けてから。待ち遠しい。

2020/12/09 (Wed.)

  • 東京に戻ってきた。今回の京都滞在は13日にわたったから、京都の連続滞在期間はMLSS2015のときとタイになった。MLSS、5年前。。
  • ちょっとメンタルに悪い仕事が舞い込んでいる。その話は落ち着いた後に触れたいと思う。

2020/12/08 (Tue.)

  • 5年前に(おそらく「マルクス・エンゲルス小伝」を読んだ直後に弁証法についてもっと知りたくなって)買った三浦「弁証法とはどういう科学か」を再読し始めた。前によんだときはさっぱりわからなくて最終的には適当に流し読みした記憶があったのだけれど、5年経ったいま読み返すとただただひたすらに面白い!いくら5年経った間に多少本は読んだとは言えど、こんなに面白くなるものなのか。なんだろう、なんだかんだの4年弱の大学院生活を経て、自分の科学観が醸成されてきた所以なのだろうか。近代ドイツ哲学は自分の中では例外なく好奇心を掻き立てられるけど、この本もまだ4分の1しか読んでないとは言えども全く例外ではない。
  • 何が面白いかといえば、とにかく唯物論的科学観が明晰、爽快。自然科学の範疇にある対象だけでなく、社会科学を始めとしたあらゆる対象に徹底的に「科学的」な分析を適用し、概念の存在理由や意義という名のブラックボックスをこじ開ける。階級闘争、ビッグバン、宗教と神の存在だって例外でない。
  • なんで自分はこういう方向性に興味が持てるのかと考えてみたところ、やはり物事の動作原理を理解することが(何か新しいものを作るよりも)自分の性に合っているからだと思う。昔はコンピュータの動作原理、いまは数理工学の背景理論に興味があり、その延長として(幾段の飛躍があるものの)社会科学がありそうだ。唯物弁証論はこうした対象を詳らかにすべく、論証の段階を一層ずつ掘り下げていき対象の本質に迫るという意味で、自分の嗜好に合っている。このあたりは、昔コンピュータの動作原理を理解したい一心で、低級言語・システムへと興味の対象をシフトさせていった仮定に相似するものがある。
  • 夕方には、ずっと前から気になっていた三条まどべに立ち寄ってビールを飲んだ。今日はマスターが急用でいらっしゃらなかったけど、無理を言って軒先で立ち飲みさせてもらった。去年パリに寄ったとき振りに生La Chouffeを飲めて最高。普通のブロンドエールは自分の好みから外れると思うのだけれど、このビールはラガーとエールの良いとこ取りでコクがありのどごしもよく、万人にオススメのビール。二杯目に店員さんにオススメされたDuchesse de Bourgougneも、ランビックとバーレーワインの中間的な味で飲む価値あり。
  • こうやって好きな本を読んで考え事に耽って、たまにビールを飲みながら、大切な人と時間を過ごす時間がずっと続いてほしいな。

2020/12/07 (Mon.)

  • 同期とオンライン雑談で就職のことから(なぜか脱線して)ギリシア、ドイツ哲学の話をしていた。こういう話のできる相手は多くないので、見つけるとつい話してしまいがち。僕はドイツ哲学、特にフォイエルバッハからマルクスの唯物史観の進展の見事さについて語っていたし、彼はニーチェの積極的ニヒリズム、つまり何をしても無駄なら今の瞬間を創造的に生きるべき、という考え方について語ってくれた。ニヒリズムについてはあまり知らなかったのでとても面白い。そういえばニーチェを読んだことがない。絶対に早めに読みたいなあ。
  • そろそろ就活の時期なので、某研究所についにエントリーをしてみた。適当にボタン押しただけだけれど、これが自分の就活初エントリーだ。お世話係の人が早速アサインされたと思ったら、なんと5年ほど前に研究室インターンでお世話になった知り合いの人で、こんな縁が巡ってくるとは思いだにしなかった。これ以外にも最近は色々と面白い出来事がいくつかあって、とにかく人の縁というのは不思議だと思わされる日々だ。

2020/12/04 (Fri.)

  • 統計若手シンポジウムに参加しつつ、研究室の先輩、後輩とディスカッションをしながら、今度使うスライドを作り上げ、査読のディスカッションをこなした。かなり効率的に作業できているんじゃないか。素直にとても充実感があって嬉しい。
  • 後輩とのディスカッションが良い感じの軌道に乗りつつあって、少し安心。セミナー発表直前で火がついたというのもあって内心穏やかではないだろうけれど、面白い方向性に自走し始めているように見えるし、このまま研究活動を少しでも楽しんでくれたら幸いだ。また、今回は自分の指導(というと大層でおこがましいが)の仕方にも反省するところが多分にあって、もっとギリギリになるのを未然に防ぐことはできたように思う。円滑なコミュニケーションを(特にオンラインで)取るのは一筋縄ではいかないものだ。
  • というわけで、一人でビールを飲みに行く。京都にあるビアバーには以前からいくつか目星をつけていたので、少しずつ開拓していきたい。

2020/12/03 (Thu.)

  • 研究室の友達が京都に来ていて、どうやら近い場所に滞在しているようだったので、昼下がりに公園で落ち合って日光浴しながら最近の研究や研究室のマネジメントについてだらだらと話していた。三条大宮公園はこういうときでも居やすくて良い。
  • 思うに今の研究室の運営方法は生え抜き型の独立した博士学生を養成することを暗に陽に目指していて、(日本的な修士学生中心の研究室運営の観点からは)明らかにサステイナブルではない。新しい研究テーマを考えても、基本的には自分で仕上げるまでフィードバックはないし、フィードバックはほとんど否定的。生存した学生は結局自分で周囲の人間をうまく頼る能力があった人たちで、そうではない人たちは淘汰される。それって果たして本当に教育機関として「社会から期待されている」教育の役割を果たしている?
  • もちろん克己心のある研究者を育てるのは大切だし、今の方針は(それなりの経験を既に積んできた)博士学生にはある程度適していると言えるかもしれないけれど、日本の大学院に期待されているのはそういうことではないと思います(5年制大学院大学ならある程度そういう役割は担っているかもしれない)。むしろ周囲を見渡す限りでは、修士課程でその分野に関する知見を深め、興味を持ち、アカデミアと社会の接点を担えるような人材を輩出することが重要に思う。私見に過ぎないけれど。だから現状のように「敵対的」にフィードバックを与えるのは分野に対する興味、熱意、希望、自信その他を失わせるものであって、アカデミア側から見ても社会側から見ても有益でないし、若い芽を摘む行為に成り下がっていると言わざるを得ない。「国税で賄われているのだから公益的であるべき」なのは正しくそのとおりなのだが、前途有望な学生だって社会のリソースの一部なわけだ。それを(アカデミア的な狭い視野において「役に立つ」研究者を育てるための礎にするために)浪費してしまうのは、個人的には非常に非公益的で、ここまで考えてくるといかんとも許しがたく思う。何より、真面目に健気に頑張っていて、全くそういう状況に陥るべきでないような後輩が、自分の能力不足を嘆いているのは、本当に見るに堪えない。
  • 余談だが、僕たちは公園で喋っていたわけで、一般的に日本的組織でこういう話はよく「飲み」の席でしか話されながちだと思うのだけれど、これを組織の中でストレートに言えないのは看過できない風通しの悪さだと思う。自分の将来を賭すべき問題なのかどうかは決心がつかないけれど、僕はこういう状況を改善していきたい気持ちは結構ある。
  • (補足: 敵対的フィードバックは別にいいと思うんですが、その後に肯定的なフォローアップ、ある程度の適切な軌道修正がないのは、教育的視点からどうなのかと思っています。)
  • (補足2: 「お前がそう思っているなら直接言えよ」という話でもあるけど、所詮自分もあと1年程度しかこの共同体にいない予定の身なので、対症療法以上の抜本的な改革をやろうという気概がなかなかおきません。そういう改革をやったほうが、社会全体としてはたとえミクロスケールでも良い方向に向かうんだろうなあと思わなくもないですが。)

2020/12/02 (Wed.)

  • マキアヴェリ「君主論」(池田訳)を読み終えた。先月くらいに大学の書籍部に立ち寄ったときに目に入って、そういえば菅首相の愛読書とかだった気がするなと思って、少し興味が惹かれて手にとった。
  • 個人的には最近「国家とはどうあるべきか」に興味があるのでその視点で読み始めたが、16世紀当時の君主国家が乱立するイタリアの中でどうやって国家をまとめるか、軍を組織するか、君主として国を先導するか、といった事柄に焦点が当たっていたため、その意味では少し期待とは違う方向だった。多少ノウハウ集的な雰囲気がする一方で、マキアヴェリ自身が古代国家の歴史をよく勉強し、同時代の国家の盛衰を目の当たりにしてきた、その中から君主国家の一般法則を帰納的に導き出したもの、とも言えると思う。この辺は社会科学的なアプローチで、16世紀にしては先進的なようにも思えるがどうなのだろうか。
  • また、格言的な文言もたくさん現れるため、それも相俟ってよくビジネスマンに引用されるのかもしれない。個人的には「罰則は一思いで、報酬は小出しに」とか、「人間は性悪だから、愛される君主よりは恐れられる君主を目指せ」あたりが好きかもしれない。

2020/12/01 (Tue.)

  • 12月になった。例年のことだけれど、夏休みが終わってからここまであっという間だった。
  • 何もない日は三条大宮公園にふらっと立ち寄って本を読むのが定番になりつつある。立ち寄りやすくてそれほど混み合っておらず、長時間いても居づらさを感じにくい場所は結構貴重だ。そういう意味ではKAMEE COFFEEや二条のコロラドコーヒーはとても良い。この条件を満たすカフェはなかなか多くない。いつもありがとうございます。