Random thoughts in Japanese. All optinions are my own.

2025/03/31 (Mon.)

  • 3人くらいの学生と一緒にやっていると、タイミングによってはやるべきことが一気に押し寄せてきて大変になる。実験方針の見直しとリバッタル。どちらもそれなりに精神力を要する仕事なので一日中気が重い。特に実験方針の見直し。もう散々いろいろなアイデアを試してはうまくいかず、を繰り返している。本当に学生の貴重な時間をこの方向性に費やし続けてもいいのか。責任が問われる。いままで見てきた周囲の教員が敢えて学生に研究テーマを与えないのがよくわかる。だって教員が研究テーマを与えたら教員が責任を持たないといけなくなってしまいかねないから。とてもじゃないけれど、そんな案件を何個も抱えていられないのが正直なところだろう。
  • さて、僕自身が自信を無くしている研究の方向性をいつまで学生と続けるべきか。実験の方向性もアドホックになってきつつある。たぶん僕自身の興味の根本から考え直さなければならないフェーズに入っているのだろう。

2025/03/29 (Sat.)

  • 円山公園に桜を見に行った。やや肌寒い気温に戻ったけれども、日差しは暖かく、桜は綺麗に咲いていた。
  • さすがに立川から仙台経由で京都に戻ってきて多少の疲労感を感じている。明日休めば回復するだろう。

2025/03/28 (Fri.)

  • 昨日雑談で「理論・mechanistic interpretability は何のためにあるのか」という話になって、「システムを測る座標軸を入れるため」というのは返せたものの、その so what に対して昔考えていた「解・システムの妥当性・尺度を入れるため」(2023/12/20) を咄嗟に思い出せなかったのが悔やまれる。そう、理論はシステムの絶対的な予測を与えることを目的とするものではなく、そのシステムが僕たちの目指している価値にどれだけ近づいているかを記述するための座標軸を与えるものなのだ。

2025/03/27 (Thu.)

  • 研究会で仙台に来たけれど、今回はそこまで気分が乗らない。何のためにこの研究会をやっているのかわからなくなってぼんやりとしていた。

2025/03/26 (Wed.)

  • Villani の教科書の14章に手を付けることにした。リッチ曲率の章。語り口が並の数学書に比べるとラフで親しみは覚えるものの、微分幾何に対する前提知識がそれ相応に要求されているようでうまく読めない。たぶん共変微分と測地線はうまく扱えるようになる必要がある。はやくも挫折気味である。焦らずにもう一度微分幾何の導入まで立ち戻るか。
  • 異動直後で生活にまだ慣れきれず、今日はそもそも外部イベントで所内に人が少ないのも相俟って人と会わないし、そういうのが重なって意味もなく少し情緒が不安定なのだが、Matthew さんの criterion collapse 論文の勘所を理解すべく午後をかけて読んでいたら落ち着いてきた。地道だけど綺麗な証明だった。それと同時に、regret bound を出すのが以外に面倒そうだということがわかった(CVaR もといその一般化である OCE は最小化問題を内部に含むが、その最小解が選んだ仮説に依存しそう)。

2025/03/25 (Tue.)

  • Gneiting らが5年前に properization という論文を書いているのに気づかなかったのだが、ちょうどカメラレディの締切を過ぎてしまった calm composite loss 論文でこれは引用すべきだった。Properization 自体は proper とは限らない scoring rule に Bayes rule を代入することで proper 化することとして導入されているのだが、そのコンセプト自体は非常に近い。僕らの論文では(分類問題というある程度限定された状況で)strictly proper になる十分条件を与えたりしたので別に貢献が消えるわけではないけれど、アカデミックな研究の系譜として良い位置づけがもっとできたと思うと、いままで知らなかったことが少し悔やまれる。
  • 京大の卒業式で卒業証書授与を拒否して壇上で執行部との対話を求めるべく啖呵を切った学生がいたという話を聞いた。どうだろう、現場の空気感の中にいたわけではないのでわからないけれども、匿名の批判ではなく自分の名前を掲げて正々堂々と声を上げたことにはまず称賛を送りたいと思う。求めていた対話の内容とは何なのだろう。授業料か、入試改革か、吉田寮・熊野寮自治問題か。執行部は卓越研究大学認定に躍起に・必死になっており、それが現場の学生の教育環境と乖離があることは否めないとは思う。難題ではある。結局は財政難に尽きるのだ。財政的自立を果たさなければ教育環境を十分に整えることはできないのに、財政的自立を目指すことが眼中の大部分を占めてしまっているがゆえに、現場は無視されているという印象は拭えないのだろう。これは過渡期の問題なのか、はたまた恒久的な問題なのか。だとしてもやはり声を上げなければ「現場の想い」は蔑ろにされていくのだろう。

2025/03/24 (Mon.)

  • 研究会の後にシニアの先生と晩ごはんを食べながら話していたら、絶妙に家族観であわなくて少ししんどい気持ちになった。でも一周考えると、結局自分の優柔不断さがいまのこの二拠点生活を招いているのだとは思う。口ではパートナーとの時間を大事にしたいとは言いつつ、本当にそれが第一義ならこういう選択はしていないだろう、と。帰り道立川から歩きながら「二足の草鞋」の言葉の重みを反芻していた。正解のない道程なので自分を信じて歩んでいくしかない。

2025/03/23 (Sun.)

  • 共同研究のコードを修正して、ゲラ直しをして、猛烈な効率で作業を進めながら、昼下がりに家を抜け出してヒトクチヤで珈琲をいただく小さな幸せ。春めいてきて仕事も捗るようになってきた。休日だけれども捗るのであれば仕事をしたって良い。

2025/03/22 (Sat.)

  • 岡本『フランス現代思想史』を読み始めた。ソーカル事件から構造主義、フーコー、疎外論まで、僕が興味を持っている事象を通時的に貫くように記述されていて、「これが読みたかった!」と感じる。読みながら、アルチュセールの自己疎外、フーコーの精神疾患と疎外論の関係、本質的自己の前提など、原著で深堀りしたほうが良いような気がしてくる。
    • 構造なき構造主義、人間の「消滅」。フーコーのこうした論考は、僕が現代西洋思想に欠けていると思っていた「キリスト教中心的主客二元論の思考のフレームワーク」(2023/02/19) の外側に位置するもののように思える。フーコーの思想をきちんと抑えておかなければ、僕の思考は宙に浮いたままになってしまうような気がする。『言葉と物』、ちょうど注文したばかりだから読みたい気持ちが高まってきた。

2025/03/21 (Fri.)

  • 何か夢を見た。はっきりは覚えていないけれど、self-esteem が過剰な夢だったような気がする。自分の根底にそういう気持ち悪さがあるのを見せつけられるのが嫌なのと、根底にそれがあること自体にやや辟易とする。目が覚めた時にどっと疲れが押し寄せた。
  • 新快速が大幅に遅延して彦根に着くのが小一時間ほど遅れてしまった。南彦根や能登川あたりの田園風景を眺めながら電車に乗っていると、セノハチを毎日往復していた高校時代の記憶がフラッシュバックする。あれが原風景として心の奥底に刻みつけられているのを実感する。どこか落ち着くような気もしつつ、自分がここに縛り付けられているような気もしつつ。
  • メモ: Github を眺めていたら突然 SzegedyLoss という謎の損失が実装されていて、出典が Szegedy のツイートだったのでやや驚いた。
    • 簡単に要約: 言語モデルを分類損失なしで作れるか?(画像のように)語彙集合が陽に定められないシナリオを考えたいのが動機。基本的なアプローチはかなり単純で、予測対象の embedding に対して DNN の出力を L2 回帰させること。ただしそのままだと collapse するので、予測対象の embedding に stopgrad を加えて2倍しておくこと。
    • まあ言ってしまえば(predictor なしの)SimSiam に近いかもしれない。出典元も2022年なので、当時はまだあまり浸透しきっていないアイデアだったのかもしれない。
  • 高津さんから教えてもらって2年越しに(!)(2023/02/03) displacement convexity を多少は勉強しようと意を決して、初めて Villani の教科書を開いて読み始めた。しかし前提知識が足りない。連続の最適輸送の定式化、測地線、Ricci 曲率。教養程度には知っておきたいとは思っていたし、毎日少しでいいから時間をとってゆっくり読み進めてみるか。
  • 彦根では同室に幾何学者の同僚がいる。集中しているときに話しかけるのは気が引けつつも、折角だからちゃんと雑談をしたほうが良いだろうなと思って意を決して夕方のタイミングを狙って話しかける。話してみると、広い枠組みでは「指数型分布族の向こうに見える情報幾何」に共通した興味があることがわかる。僕は凸解析の視点から、彼は分岐写像の視点から。幾何学者の目からは何が見えているのだろうか。気になる。こういう繋がりができると、ただ椅子を借りるためだけに彦根に来ているわけではない、正当化ができて、時間と体力を使った甲斐があるなと思う。
  • 献本が続々と知り合いの手元に届いているとの連絡が入ってくる。献本するなんて人生で初めてだから緊張する。人は突然本が送られてきたらどう思うのだろうか。迷惑にならなければよいのだけれども。

2025/03/20 (Thu.)

  • 日がな共同研究のことを複数考えているとなかなか自分の研究に戻ってこれない。共同研究は共同研究で楽しいのだけれど、時間がいくらあっても足りない。3月も終わりが見えてきたタイミング、そろそろ自分の研究の進捗を本腰を入れて出したい時期ではある。
  • 裏を返せば「良い意味で」全く暇ではない。独りで研究に没頭するしかない環境だと本当の孤独でそれはそれで難しいものがあるけれど、適度に他人の研究に巻き込まれて、それで時に自分自身の興味のある問題を考えて、ということを繰り返していると、孤独感はないものだ。それは立川のような環境ではやはりありがたいことである。

2025/03/19 (Wed.)

  • 着任早々博論審査の依頼がやってきた。自分の博論審査すら終えて3年 (2022/01/12) しか経っていないのだから審査するなんて高慢なこと甚だしいが、しかし審査対象の方の論文は非常に面白そうである。僕自身が単純に勉強するのには非常に良い機会ではある。こんなので良いのかという気はするけれど、僕個人にとってはいい機会なので、できることを精一杯頑張るしかない。
  • 久しぶりに GPU を使うコードを動かしている。去年の下半期の研究はみな理論研究だったから、コードを書いても numpy で済むようなものしか動かしていなかった。知り合いから教えてもらった言語モデルのミニマルな実験コードをセットアップして少し調整して、サーバー上で動作するようになってきた。ログを見る。何かが進んでいる気持ちになれる。
  • 3月の雪。東京はもっと降っているらしい。この時期の雪といえば、緊急事態宣言直前 (2020/03/25) に当時の自宅裏の西町公園で桜咲く中雪が降っているのをぼんやり眺めていたのを唐突に思い出す。あれは5年前なのか。5年ですっかり違う世界にやってきた。

2025/03/18 (Tue.)

  • 査読対応をして、共同研究のコードを動かそうと試みる(まだ動いていない)。特にこれといった目に見える進捗はない地味な一日。
  • 底冷えする。流石に3月の中旬だからここを越えれば春になるか。

2025/03/17 (Mon.)

  • 気づけば統数研に移ってから3週間。途中沖縄に行っていたのもあるけれど時間はあっという間だ。入所直後の手続きも少し落ち着いてきて、研究する時間もそれなりに取れている。良い感じだ。

2025/03/16 (Sun.)

  • なんだか久しぶりの京都でのゆっくり過ごせる週末、家の細かいところを掃除したり必要なものの買い出しに行ったり、やらないといけないことをできた。気持ちがスッキリした。天気が良くないのは生憎だが、おかげで週明けから気持ちよく仕事ができそう。

2025/03/14 (Fri.)

  • 初彦根出勤。とりあえず、ということで堀を歩きながら大学まで。朝の8時半過ぎ、堀の周りは全く人はおらず、鳥の鳴き声だけが響く。青空の下、空気も澄んでいて気持ち良い。30分弱歩くと大学に着く。こんな気持ちの良い出勤があるのか。これだけでも彦根に来たくなってしまう。
  • Soudry et al. (2018) を読んでから logistic loss 以外の損失に拡張できないか1週間弱くらい考えていたら、proof sketch の段階でしかないけれども、どうやら収束レートもどきが導出できたらしい。前作では結局有限時間収束が言えなかった (2025/01/21) のだが、少なくとも stable regime ではきちんと指数収束を言うことができそう。既に実験的には logistic loss よりも Tsallis entropy の方が圧倒的に収束レートが良いことは確認していたので、それが割とすんなりと導出できたのはかなり嬉しい。問題は証明をもう少し精緻化して、そして勾配流ではなく離散ダイナミクスに拡張する必要がある。光明は見える。

2025/03/13 (Thu.)

  • いつもの7号館メンバーの明石さん、吉田さんに送迎会をしてもらった。ありがたい限り。対学生だと放言しづらいような研究の意義、向かうべき方向性、身体性、意識、恒常性、価値観の科学、こういった話を隔てなくできるというのが年々貴重になっている。口で言うのは簡単だが、価値の科学、僕にできるか。人間の主体性を取り戻す数理、挑戦できるか。毎日考え続けなければきっと一生はすぐに終わってしまう。

2025/03/12 (Wed.)

  • 昨晩は久しぶり (2023/02/25) に野田さんと会って、なんとなく秘書業務の待遇に関する話をしていた。その場で僕は秘書の待遇の悪さについて熱弁したし、実際業務量と業務内容の高度さと比してそれは事実だと思っているのだけれども、でもやっぱり後から計算してみると、時給換算でこれ以上秘書の待遇を向上させてしまうと簡単に正社員の待遇を上回ってしまって、本部事務に対して説明がつかなくなってしまうんだろうなと思った。じゃあ本部事務の待遇も上げないのですかと言われると、おそらく基盤経費不足なのだろう。結局ここに話は戻ってくる。準国家組織でやっている以上この足枷からは逃れられず、民間資本を入れなければ現状に留まるしかないのだろう。
  • 午前中は福水先生が立ち寄ってくれて、先週の FIMI の続きの議論をした。この距離感で立ち寄って議論ができるのはやはり嬉しいし立川にいることの意味だろう。肝心の議論だが、前半は「表現学習は結局何をやっているのか」という問い。同変性 vs. 不変性による捉え方に対しては概ね意見の合致を見たものの、その場で僕は同変性による表現学習の定式化になぜか本能的にそこまでワクワクできなかった。なぜだろう。僕の従来のアプローチは下流タスク性能による probing であったり、学習ダイナミクスから見える特徴学習だったりした。いまから振り返ると、Wen & Li がやっているようなスパースモデル上での特徴学習よりは、同変性を捉えられることを理論的に言えたほうが面白いんじゃないか。
  • 後半は、福水先生の昔の線形二層ネットワークのダイナミクスから発展する話。僕は真面目に SimSiam のダイナミクスの解析解を得ようとしてこなかったのが、その場で福水先生が考えていたら解けてしまった!どれくらい意味があるかどうかは別にせよ、これは普通に真面目に議論してアーカイブしておく価値のある結果だと思う。そういえば最近見つけた JEPA のダイナミクスをうまく変数変換して解いている論文もあったし、関連を議論する価値はあるだろう。さて、誰か一緒に巻き込んでできそうな人はいないものか。

2025/03/11 (Tue.)

  • 薄々は感づいていたけど立川は人が少ない。単に学会シーズンで研究者が出払っているのもあるが。自分の研究に集中するのには良い。ただ学生が来たときにどうするかきちんと考えておきたい。少なくともランチをできるだけ一緒に取るとかから始めないと。そういえば去年チュービンゲンに行ったときに Bob のチームは学生が和気あいあいとしていた (2024/07/29)。彼の人を惹き付ける魅力といまの僕では到底比較にならないけれども、目指したい姿ではある。
  • Soudry et al. と引き続きにらめっこを続けて、なぜああいう形の implicit bias になるのか、式の上で段々と直観が深まってきた。パラメータの余剰項が有界であることを言うためだけであれば、リンク関数の有界性・劣乗法性から余剰項などをキャンセルして単純な時間積分をしやすい形に持っていける。またもや exponential tail (a.k.a. self-bounding property) が綺麗に活用されている形だ。いつもそう。だからそうでない損失関数に関する研究が進んでいない。
  • そろそろ理論屋であることを自称することに躊躇もなくなってきたけど、自分の頭の中ではいまだに僕がやっているのは理論なのかどうか逡巡している。今でも覚えているが、2年前の IBIS (2023/11/01) の会場で何人かと雑談している折の自己紹介で「*どちらかというと*理論寄りのことをやっています」と口走ったときに、伊藤さんに「包さんがやってる研究はかなり理論寄りですよね」と言われたのがキッカケで、自分は理論屋なのか、と自認したと思う。でもそういう意識が抜けないからこそ、理論とは、そもそも科学とは何なのかをずっと考え続けている。そう、科学哲学に対する興味は畢竟自分自身のアイデンティティを巡る思考でしかない。

2025/03/10 (Mon.)

  • 菅原さんがまたすごく良さそうな文章を書いている。毎回菅原さんの論考を見るたびに、自分なんかよりも何百倍も勉強して、そして自分自身の自然言語処理の専門を言語学、科学哲学まで地に足をつけながらひと繋ぎにしようという貪欲さを感じる。これを見せつけられると、何が学習理論だ、数学のおもちゃじゃないかと悲しくなってしまう。僕がやるべきことは本当にこれなのか。
  • オンラインも含めると4年ぶり (2021/03/05)、対面で会うのは高校生のとき以来10年ぶり以上?高校の後輩の石井くんに会った。僕が立川に来たことを聞きつけて立川までわざわざ来てくれた。このたった数年で LLM の最先端にキャッチアップし、なんと ChatGPT を駆使しながら僕の博論を読んで今日臨んできてくれた。頭が上がらなさすぎる。「ネットワーク科学における数理モデルの “乱暴さ”」の話をしてくれて、それがちょうど僕の思う定量化の限界や個別歴史の捨象に対する課題意識をくすぐってくれた。そう、やっぱり僕はこれに取り組むべきなんだろうと思った。価値の問題に数理で切り込めるところまで切り込む。できるか。
  • Implicit bias 研究に入ってから重要だと思っていた Soudry et al. (2018) の肝要な部分を読んだ。証明はわかるのだが、肝心の「w(t) = w log t + residual」の式が演繹的ではなく天下り的に突如登場しており、証明を読んでもなぜこの式に至るのかという直観がわかない。こんなことがあるのか。どうやら implicit bias の研究は AdaBoost からの文脈があるようで、もしかしたらそちらの文献に通暁していたら何かが見えてくるのかもしれないけれども、僕には全く非自明に思われる。
  • 「好奇心はもっとも純粋なかたちの不服従である」— ウラジミール・ナボコフ
  • メモ: 大知「歴史学と生成AI」—「AIが確率に基づいて並べた文字列には誰によっても意味が付与されていない」「読まれることで意味が生じている」「事実と誤謬の弁別のよすがとされてきた科学が、単にイデオロギーの一種であったことが暴かれたとしても、現状では経験的証拠以外の方法で幅広い合意形成は不可能」「科学性は[…]経験的な観察と再現性・反証可能性の担保および飛躍の無い論理的な解釈という手続きの中に存在する」

2025/03/09 (Sun.)

  • 中国行ったり敦賀行ったり沖縄行ったり、昨日はシンポジウムやったりしていたので、何もない週末の休日というのは久しぶりのように感じる。朝からのんびりとフランス語をやる。
  • 「聖なるイチジクの種」を見た。事前の噂通り3時間でヘビーな内容の映画だったが、イランの現代的な文化、思想、家族観がリアリティを持って迫ってくる内容で良かった。仕事をしていると少なからずイランの人と接する機会があるから、彼らの文化的バックグラウンドをもっときちんと理解したいと思っていた。思ったことを簡単に書いておく。
    • 全体主義的な陰鬱さが漂っているのは文化大革命期の中国と非常に通ずるものがあると感じる。作中中盤で誰につけられているかわからない恐怖、疑心暗鬼、そして家族さえも信頼が置けなくなっていくその陰鬱さは、まさに自分が父から聞いた文化大革命の光景と重なる。ところが、現代のイランと中国では徹底的に違う点がひとつある。それは、イランでは個人が抵抗を見せようとしているのに対し、中国では諦念が浸透しきっていることである。間違いなく置かれている経済的状況の違いは一つの大きな要因であろう。とはいえあまりにもその前提は違うように思う。
    • 何がその違いを決定的に生み出しているのか。自分の想像するところではあるけれども、思想統制の徹底差の違いがあるように思う。イランでは警察権力を陽に活用し、それこそ大衆的に見せしめにすることによって恐怖を植え付け、抵抗心を打ち砕こうとする強権的野心がある。中国はそうではない。xxxxxxxxxx。
    • 作中中盤から後半にかけてはイランの伝統的家族観が色濃く漂っている。端的に言えば親による子の、夫による妻の所有物化が生々しく描かれている。でもこの一点に限って言えばイランだけの話ではない。おそらく世界中のどこでだって程度の差、時代の差はあれど、経験してきた・していることであろう。この作品は、イランというレンズを通してそうした封建的社会を描き出している。
    • やや話は逸れるが、年末の NeurIPS (2024/12/16) で Rosalind Picard が中国人蔑視発言をしたことで大炎上した件があった。あのときは在米中国人研究者を主要な勢力として、少なくない韓国人研究者を含めたアジア人研究者が反対声明を相次いで表明した。それはポリティカル・コレクトネスの問題ではあるのだが、一方で居合わせた僕はエスニシティ的イデオロギーを薄ら感じた。もちろんアジア人研究者の彼ら彼女らの多くはリベラルで合理的であり、この一見を延焼させることで国家間イデオロギー対立にまで持ち込むような個々人ではないのは重々承知しているのだが、ここに思想統制的な力学が働くと容易に体制によって利用されてしまう危険性を感じた。当時感じたというよりは、なぜか今日映画を見たあとにふと頭をよぎった。僕のこの考え方はトーンポリシングであると謗られるだろうが、こういった危機感を感じることはポリティカル・コレクトネスに反することなのだろうか。
  • アメリカ関連で暗いニュースばかりが流れてくる。数年前はまさか米中対立がこのような局面を迎えるとはあまり想定できていなかった。欧米と中露の対立軸が明確だったときはある種の秩序の均衡が取れて、良くも悪くもそれなりの安定が保たれていたと思うのだが、それが崩れようとしている。研究者をやっていると国際情勢には割とダイレクトに翻弄されてしまうから、なおのこと緊張感が走る。イデオロギーがなんだというのか。戦線はすなわち流血を意味する。為政者は戦線に一度でも立たされたのか。

2025/03/08 (Sat.)

  • 「『事実』の交差点」の出版シンポジウムを無事に終えた。最初に小俣さんとやろうと話が始まってから足かけ2年 (2023/05/02)、ついに物理的な版を拝むことになった。こんな無理難題な本をきちんと形にまとめるところまで伴奏してくれて、担当編集者の方には本当に頭が上がらない。これが自分の中での白眉の3年間の大きな区切りだ。
  • なんとシンポジウムに心理学者の松井さんがいらっしゃっていた。しばらく昔に深層学習時代の心理学を読んで、すごく印象に残る文章だったなという記憶がぼんやり残っていた。そのまさか本人が来るとは。自分はモーガンの公準とオッカムの剃刀の対比に興味があるという話をしたのだが、モーガンの公準は結局深化的に先に獲得した順に心理過程を措定すべきだろう、という主義ということで、いままでよりもスッキリ理解することができた。貴重な機会だった。

2025/03/07 (Fri.)

  • 坂上さんが京都に来てオンライン逆線形最適化についてトークをしてくれた。僕も正直 ONS の細かいところまではよくわかっていなかったので、勉強になった。O「N」S と言いながら別に Newton 法ではなかったり、penalty vs. stability の後者のナイーブな T 依存性を修正するためにノルムの計量を修正して rank-1 update 風になっていることとか、そのリグレットを抑えるときの本質は ellipsoidal potential lemma であることとか。

2025/03/06 (Thu.)

  • 京都に帰ってきた。これで敦賀、立川、沖縄、京都と2週間で一回りしてきた。まあ今のところやっていけるんじゃないかという気はする。生活はなかなか落ち着かないのでもう少し様子見が必要だけれども。
  • 帰りの空港のラウンジで self-concordance 論文の要点はなんとなく把握した。Francis Bach のブログも改めて読み直した。要するに、ある関数の最適点付近での漸近挙動を考えるとき、可微分連続性以上の仮定がなにもないと Taylor 展開をするしかなく大域的に上下界を得ることはできないのだが、self-concordance があると最適点付近でタイトかつ大域的な上下界を得ることができるというのがポイントらしい。そしてこの大域的な上下界を得るときの証明が Simonenko index に基づくレート関数評価 (2022/11/28) と全く同じである!ここまでくるとだいぶ self-concordance に対する理解が深まった。Francis Bach のロジスティック回帰の非漸近汎化解析の証明の詳細はもう少し詰めて読む必要があるけれども、これで人に self-concordance の気持ちを喋れるくらいには理解した。そして僕がこれまで Simonenko index を使ってきたケースでは self-concordance も使えるんじゃないかと考えると良さそうだ。

2025/03/05 (Wed.)

  • ワークショップ後に Sebastian と large stepsize について色々と議論を重ねた。最適化のバックグランドからだと確かにまだまだ理解できそうなことがあるように思う。正直これまでなんとなくの苦手意識があったのだけれども、3日間ワークショップで話を聞いたり議論したりランチを食べている間に段々と苦手意識が薄れてきた。もしかすると今回の沖縄の最大の収穫はこれだった、まであるかもしれない。
  • 沖縄から帰ったら少しだけ暇になる?発表も終えたことだし、ICML のチェア業務もまだ少し先だから、研究するなら今しかない。Implicit bias の理解を一気に進めたい。それで夏前に再び(蔵本モデルとかの?)勾配流解析ができたら嬉しい。

2025/03/04 (Tue.)

  • Frank と Legendre-type の必然性について話し合った。先日の自分たちの勾配法収束レート解析 (2025/01/23) しかりだけれども、僕はどうも Legendre-type でない凸生成関数の方が良い性質を備えているような気がしているけど、その核心的な理由がわからない。情報幾何的には Legendre-type の方が綺麗なのはわかりきっている。やや一般性の高い疑問だけれども、non-Legendre-type の良さを理解する、これはひとつの重要な課題のように思える。
  • 学会に来ているのでこれ見よがしに出会ったフランス人にフランス語で喋りかけてみるのをやっている。若干はた迷惑なのだろうなというのは覚悟しつつ、、今日も「フランスのどこから来ましたか」と言いたかったのに “Où est-ce que vous être allée du France?"(フランスのどこに行きましたか?)と言い間違えてしまった。なぜかちゃんと「パリ」という答えが帰ってきたけれども、まあ自然言語のコミュニケーションなんてこんなものだよなと思う。先日も “J’ai beaucoup des amis du France” と言ってしまったが、後で復習したら文法的に正しくは “J’ai beaucoup d’amis du France” だったらしい。まあでも雰囲気では伝わることはわかってきた。これを繰り返して上達していくしかない。ドイツ語を一年やって喋れるように全くならなかったのに比べると、この一年のフランス語学習は相当に頑張っていると思う。次のフランス出張までに果たして最低限の日常会話を身につけられるか?

2025/03/03 (Mon.)

  • 久しぶりに会う人会う人に NTU の学生とやった今回の仕事 (2025/02/05) でいかに自分がエキサイトしたかを語ってしまっている。やはりそれだけ僕自身にとって自信がある研究ということだ。意外に短くない期間研究を続けていると良いこともあるものだ。
  • お昼時にはじめましての銅谷研の学生とたまたまベンチに腰掛けて一緒にランチを食べていたら、なぜだかよくわからないが国際社会における歴史認識のギャップ、ゼノフォビア、科学における主観性と客観性のような話をしていた。はじめましてからの1時間でこんなに踏み込んだ話をするまでの瞬間速度は経験したことのない速さ。たまたま居合わせた学生がドイツ系スイス人で、僕が昔 Gölitz に好き好んで行った話から突然ドイツにおけるゼノフォビアの話になったような気がする。でも僕はすごく重要な話だと思う。若い世代がこうやって社会問題・歴史問題を認識しておくことがまずは第一歩だと思う。フェミニズム的には声を上げないのは黙殺と言われてしまうかもしれないけれども、僕はまず一人一人の認識の変化が世界を変えると信じている。理論家として認識論の重要性を痛感しているから。

2025/03/02 (Sun.)

  • 朝会場に着いたときに外で Arnaud と初めて話して、フランス語で話しかけてみたが割と会話が弾んで嬉しかった。僕は語彙不足であまり相槌が打てなくてもどかしいが、それでも Arnaud のフランス語を(100% 文法的に即座に理解できなくても)単語を拾いながら雰囲気を感じ取ることができたのが何より嬉しい。英語とフランス語が近いからアドバンテージがあるとはいえ、1年弱毎日コツコツやっているとこれくらいのレベルまでは達するものなのだな。
  • FIMI を終えて、恩納村まで来た。バーベキューで参加している学生さんたちと交流する。自分も結構歳が上の方になってきたので緊張感がある。僕の発表が面白かったと言ってくれる学生さんがちらほらといてくれて、本当にやり甲斐があったと思える。たとえ多少のお世辞だったとしてもそれでも嬉しい。今後もちゃんとした研究と発表をしていこうと元気づけられる。

2025/03/01 (Sat.)

  • FIMI の朝イチのトークを終えた。1時間枠のトークはまたもや半年ぶり、久しぶりなのでうまくいくかどうか若干不安だったが、行きの飛行機の中でも頭の中できちんとシミュレートしていたので、喋った後の感覚としてはそれなりにうまく喋れたように思う。
  • しかし3月にもかかわらず湿度が高い。早速体力がじわじわ奪われている感じがする。