Random thoughts in Japanese. All optinions are my own.

2022/05/31 (Tue.)

  • ようやく自分の研究が少しずつ進みつつある。先週実装しかけて動作が安定しなかったコードを弄っていて、いくつかバグが取れて安定して動くようになってきた。実はnumpy.powerが結構遅い気がしていて、「xa = exp(a ln (x))」の近似を使ってみたら1.5倍くらい速くなった。

2022/05/29 (Sun.)

  • 河合『宗教と科学の接点』を読み終えた。間違いなくこれは今年読んだ中で一番良い本だと思う。自分が現代自然科学に対して持っている課題意識をすべて言い当て、それに対して宗教方面からのアプローチを試みる。西洋的自然観と東洋的自然観の違い(これに関しては半年前になんとなくブログに書いたりもしたが)や西洋的自然観における自我の確立と世界からの疎外などが印象深いのは言うまでもないのだが、特に自分が新たに大きな学びになったと感じるのは、因果律を超えてあたかも超常現象のように偶然の出来事が重なって起こる、ユングの共時性の考え方だった。素人目には一見単なるオカルトにしか見えないのだが、河合の語りに辛抱強く耳を傾けていくと、「偶然の出来事に主体がどのような意味付けを与えるかによってそれが共時性として浮かび上がってくる」という点に真骨頂があることがわかる。決して霊的なものとして片付けられるものではなく、むしろ我々個々人の世界の見方、価値観に依ってくる現象だという。ここまでくると科学や哲学の俎上に載せることができるし、因果律という論理に縛られない世界の見方ができるようになってくる可能性を感じる。
  • 河合にせよフロイト、ユングにせよ、この手の人たちは心理療法に携わっていたからこそ、人間の意識・無意識、ないし自我というものについて考察することになったし、特に河合が言うには、心理療法なしにはこういった研究すらも空虚なものになってしまうという。そうした心理学者の姿には憧憬を覚えるし、同時に自分が機械学習の研究をしている傍らで抱いている自然科学に対する問題意識には果たして本質的な意味はあるのだろうか、と心細くなってしまう。

2022/05/27 (Fri.)

  • 水曜日から突然体調が悪くなって、お腹を下したり、しまいには38度後半の熱が出て、これはいよいよコロナに罹患してしまったかと思ったのだが、PCR検査の結果が今日返ってきて結局陰性だった。どうやら普通にストレス性の急性胃腸炎のようだった。パソコンも職場に置いたまま自宅療養をしていたので、おかげで2日ほど何も仕事をせずに寝込んでいた。これだけ寝込んだのは一年ぶりだけど、一年に一回くらいこういうふうに体を崩すのはある程度仕方ないかもしれない。
  • 河合『宗教と科学の接点』を週明けから読み始めたが、おそらく今年読んだ本の中で最も良い本になる直感がある。ひとつひとつの思想が西洋的宗教観・科学観に対する鋭い批判になっていて、自分が目指そうとしている方向性の遙か先のマイルストーンを指し示してくれている気がする。しかも原著は80年代に刊行されている。先人の知恵に圧倒される日々だ。

2022/05/23 (Mon.)

  • 昨日は大阪港で開催されていたCraft Beer Liveに行った。2700円でクラフトビールが7杯も飲めるすごいイベントだったけれど、ちょっと調子に乗って飲みすぎてしまった。大阪や和歌山、兵庫の知らないブルワリーのビールを色々と試してみた。やはりディレイラのビールは際立っている。

2022/05/21 (Sat.)

  • 幡谷くん、大西くんとオンラインで2ヶ月ぶりに雑談した。アメリカにおける「二重の格差」、つまりアメリカ社会で「成功」するためには資本主義的搾取構造に乗じるべく他者と競争しなければならないし、そもそもその競争をしなければならないのは移民のようにアメリカ社会で元々地位の高くなかった人たちであり、そういう意味で二重に格差が生じている、という話が興味深かった。なかなか言われるまで気づかない構造だった。
  • 僕も僕の方で、喋っているうちに「極端な合理性・効率性・論理性の怖さ」を言語化することができた。単一の価値観の下で合理性を極端に追求すると、蓋し社会秩序としては効率的なものになるかもしれないけれども、多様性の排除の裏返しでしかなく、その先には価値観の敵対的矛盾が顯然する、血で血を洗う衝突に行き着いてしまう。その未来は絶望的だ。先週幡谷くんと話していたディストピア的世界観とかなり似た話でもある。
  • お風呂に入りながらひとりで考え込んでしまったのでノートに書き出した。まずは非敵対的矛盾に着目してそれを解として抽出するのが大事だと思う。でも敵対的矛盾から逃れられなくなったら?パレート最適以外にはあり得ないのか?お互いに自分の効用を下げることなく価値観の合意を行うことはできないのか?まだまだ究明すべき疑問は残る。

2022/05/20 (Fri.)

  • 久しぶりにリバイズをすることもなくゆっくりと論文を読めた日だった。先日大塚さんから誘われた因果推論の勉強会で今度読む因果表現学習のサーベイをじっくりと読んだ。この様子なら、週明けには細々と自分の研究の時間が取れるんじゃないだろうか。
  • 前々からずっと気になっていた、吉田キャンパスから荒神口の間に伸びている謎の斜めの道が、調べていたら実は室町時代頃に開削された京と近江を結ぶ志賀越道に由来していることがわかった。そもそも荒神口は(現代で有名なものだと鞍馬口や丹波口に代表されるような)京の7つの出入り口(七口)のひとつで、その荒神口から比叡山の麓を通って琵琶湖に出るおよそ12km程度の街道が志賀越道らしい。幕末期に現吉田キャンパスの前進である尾張藩の屋敷によって分断されてしまって残ったのが今の形。だから地図を遠目からよく見ると、吉田キャンパスの東門を出たところから吉田山に沿って伸びる奇妙な斜め道は志賀越道だった!東門からなら琵琶湖まで10kmくらいらしいし、いつか時間のあるときに歩いて行ってみたいなあ。

2022/05/19 (Thu.)

  • ずっと提案手法を原理しようと悩み続けてきた後輩の研究がようやく論文投稿できそうな形にまとまってきた。おそらく足掛け8ヶ月くらいディスカッションを続けてきて苦労したけれど、自分としてはPAC-BayesやBayes推論を研究としてやるのは初めてだったのもあって、かなり理解が深まって嬉しい。投稿前の大詰めであるここ数日もアブストのストーリーを考え直している過程で経験Bayesに対する再解釈をする機会を持てて、様々な視点からBayes推論の枠組みを眺め直すことができたのは良かった。良いストーリーに仕上がったと思うので、成仏してくれると嬉しい。
  • 連休後は自分の研究が止まったままだが、このままいくと6月も他の仕事で忙しい予感がしている。カレンダーを眺めていると、翻訳プロジェクト、イベント幹事、勉強会準備と出張、ICMLの発表準備、査読、そして空き時間で人工知能学会やFAccTに参加する予定になっている。どれも基本的に自分にとって有益だけれども、研究時間の確保という意味ではなかなか厳しい。少なくともこれ以上は絶対に予定を増やしたくない。

2022/05/16 (Mon.)

  • ICLR落ちしていた論文がICMLに通った(これ)!五分五分のリジェクト寄りだと思っていたので、これは運が良かったとしか言えない。ここで落ちたら新規性の観点から今後の再投稿は本格的に厳しくなってくるし、新しい研究をしたい傍らでリバイズにリソースが割かれ続けて嫌だなと思っていたので、ほっとした。
  • 論文が通るとあまり思っていたので開催地のボルチモアに行くことをほとんど考えていなかったのだけれども、通ったら案外行ってみてもいいかもしれないという気持ちになってきた。それに前後にシアトルやボルダーに寄れたらとても良い。知り合いに会えるのだとしたらワクワクしてくる。

2022/05/14 (Sat.)

  • 今週は論文をリバイズしてリバイズして細切れの時間で他の仕事をして、大変な一週間だった。週末にあまり何もする気が起きなかったので、レンタサイクルで京セラ美術館に行った。二条通を東に進んでいくと鴨川を越えたあたりで途端に眼前に山が広がる。さっきまで街の中だったのに不思議な気分。京都はこれが良い。

2022/05/13 (Fri.)

  • 昨晩は幡谷くんと一緒に、だいぶ前から気になっていた四条大宮の田歌で飲んだ。ジビエだということだけは知っていたのだけれど、京都美山で自給自足して毎日どんな肉や山菜が入荷されているかもわからない、一期一会なお店だった。お肉もだけれど、特にコシアブラ、ウド、コゴミの天ぷらが本当に美味しかった。
  • グローバリズムの下で価値観が統合されていくディストピア的世界観の怖さと、その逆の価値多様な世界の下でどのように全体幸福を追求すればよいのか、自分が考えているどうしようもないそんな難しい問題の話などをしていた。人生であと50年くらい仕事する間でなんとか少しくらい貢献したいものだけれども。

2022/05/12 (Thu.)

  • NeurIPSの締切が近いのもあって、今週は他人の原稿のリバイズ、コメント、ミーティング三昧。朝からずっとコメントを無心に書いている。GW前から止まっている自分の研究を進めたい。いつになったらできるだろうか。
  • 後輩の原稿添削をやっていると、本当にこのまま教育の道に突き進んで良いのか全くわからなくなる。受けた指摘の意図を理解していれば、コメントを踏まえて修正した時に生じる前後文脈の齟齬を直したりとか、同じ指摘が当てはまる他の箇所も直すだとかするのは自然なことなのに、前後の一貫性なく受け取ったコメントだけを機械的に修正して戻ってくる。それを修正するだけだったら機械でもできる、というかそもそも僕が直せばよいのだから。この作業が本当に教育に繋がっているのかわからない。それでも自分の指導の仕方に悪いところがないか、真摯に反省するしかない。

2022/05/10 (Tue.)

  • ランチに研究室すぐ近くの中華料理屋の火楓源に行った。内装やメニューの雰囲気もかなり本場中国に近くて、久しぶりに中国に帰ったような感覚を覚えた。これは頻繁に訪れたい。

2022/05/09 (Mon.)

  • 白眉内部のイベントで、ギアの演者さんによる身体の使い方・パフォーマンスに関するレクチャーに参加した。三条のギアのシアター前はよく通るし気になっていたけれど、まさか公演を観に行く前に演者さんとこんな形で会う機会が訪れるとは思わなかった。「(体の使い方について)無意識を意識化する」を念頭に、両脚の重心の使い方、視線・鼻の向け方、動きの緩急・静動を使った注意の引き方、そして何より「聴衆の『あるある』(内在的経験)を利用してメッセージを伝える」あたりは参考になることが多かった。
  • 幡谷くんが一週間滞在に来た。3月の卒業式ぶりに会う。河原町周辺をぶらぶらしながら僕が連休中にぼんやり考えていた「個人のカテゴライズへの忌避感」とそれに動機づけられた「n=1の自然科学」を取り留めもなく議論した。データにもし時間的・空間的なリッチな構造があるのなら、もしデータが1点しかなかったとしても構造を引き出すことができる可能性もあるんじゃないか、といったことを話したりしていた。こんなオチもない話をできる相手は本当にいないので貴重だ。

2022/05/08 (Sun.)

  • 映画『見えるもの、その先に 〜ヒルマ・アフ・クリントの世界〜』を観てきた。京都では僅か二週間しか上映期間がなかったので滑り込めた。美術史に対するドキュメンタリー映画として価値が高いだけでなく、純粋にスウェーデンの自然を収めた美しい映像作品としても楽しめる、とても良い作品だった。19世紀の科学によって「人の目に見えるものだけが実存の全てでない」ことが明らかになってきた背景があって、そこに対して抽象画家たちは「見えないものを創造する」ことで事物の本質に迫ろうとしたのだ、ということが体で感じられた。
  • ジェイムズ『プラグマティズム』を読み終えた。元々アメリカ的実用主義に辟易としていて、それでいて食わず嫌いは良くないと思って読み始めたのだが、(パースが科学方法論として標榜した)実用主義と(ジェイムズが哲学的態度として打ち立てた)プラグマティズムの微妙な差異、特に後者の「『それ』はどのような差異をもたらすのか?」という問いかけの姿勢がわかりやすく描写されていて、漠然と持っていた偏見を少し排除できたように思う。また、(僕が「役に立つ論」に対して生理的嫌悪感を覚えるように)ジェイムズはプラグマティズム以前の合理論が持つ「絶対的真理」の傍若無人さや無用性に心の底から嫌悪を覚えていたのだろうというのが節々から感じ取れて、これも自分のプラグマティズムに対する見方を幾分か公平に修正するのに役立ったと思う。

2022/05/07 (Sat.)

  • ミルを衝動買いしたので豆を買わねば、ということで、近所にあって気になっていたニシナ屋珈琲を訪れた。なんと本店は広島の牛田で、ほとんどの店舗は広島市内にあるにもかかわらず、なぜか京都と福岡に一店舗ずつあるらしい。見たことのない珈琲豆の品揃えで、先日飲んだスマトラ・マンデリンもあったし、珍しそうなところでいくと中国雲南やベトナムの珈琲豆もあった。今日はマンデリンを買ったけど、これだけ近くにあるのだから色々な豆を試したい。
  • 先週東京で友人に会ったときに「日本国籍を取ればいいんじゃない」と言われたときに言葉に詰まったのを思い出して、しばらく考えていた。帰化したほうがビザの観点から言うまでもなく合理的なのはわかるのだけれど、そう簡単に帰化したくない・できない気持ちがあって、それが言語化できないでいた。ここ数日考えていて思った理由の一つは、自分が日本国籍を取得して付随する便益を享受する権利が先天的に感じられていないことがある気がしている。自分は日本人として生きるのに相応しいのか。権利を主張する前に社会に対して果たすべき義務がまだあるのではないか。本能的にそう思っているような気がする。
  • もう一つ思ったのは、国籍という括りで人がグルーピングされることに微妙に忌避感があるのかもしれない。人間をラベリングしてしまうことによって、その人が個としてではなく「集団の一人」としてしか認識されなくなってしまう怖さがある。僕は国籍上は中国人でありながらも中国人アイデンティティはないし、日本に住みながらしかし日本人でもないし、だからこそ国籍で簡単に割り切られない立場にあるというのが、なんとなく安心感があるように思う。そんな気がした。

2022/05/06 (Fri.)

  • 連休中盤の仕事日。相変わらずメールを返したりミーティングをしたり、研究自体は何もしていない。広い意味で人とコミュニケーションをすること(コミュニティ運営とか、学際的な議論とか、研究者間の雑談とか)はとても大事だと思っているけれど、やっぱり思い切り自分の研究の時間を取りたいという気持ちもある。
  • 一昨日、気になっていた近所のカフェでコーヒーを飲んだ。スマトラのマンデリン・タノバタックという豆で、中深煎りのすっきりした味が美味しい。しっかり苦いのにそれが一杯の中盤になっても後味が嫌にならずに依然すっきりとし続けているのが印象的で驚いた。Kieloのニカラグア (Limoncillio)ぶりに美味しい豆だと感じた。家でも手挽きコーヒーが飲みたいと思っていたので、その場の勢いで(豆ではなく)自宅用の電動ミルをネットで買ってしまった。
  • 今日は京都に遊びに来ている元同僚とBungalowに飲みに行く。先月ひとりで高野麦酒店で飲んでいたときに隣のおじさんに教えてもらった、四条堀川の良さそうなクラフトビールバー。少しずつ京都のクラフトビールの開拓が進んでいて嬉しい。

2022/05/02 (Mon.)

  • GWの最初の2日で東京を往復してきた。大学時代の同期に会ったり、家族に会ったりした。折角東京に来たからということで予定を詰めてしまって、後半から早く帰りたさをずっと感じていたので、次からはやめる。
  • 三連休明けでとりあえず大学に来て論文を読んだり査読をしていたが、全く身に入らない。頭がぼーっとする。論文を読んでも頭に入ってこないので、やめて根性で査読コメントを書き終え、ミーティングを終え、メールやSlackを返し、スライドを作った。仕事のクオリティはダメダメだけど。休み前に研究で煮詰まり気味になっていたのと、地味に仕事が積もっていたので、仕方ないということにしておく。研究の軟着陸の方向性は何かしら見えた気がするので、連休明けにゆっくり研究を軌道に乗せる。せかせかしても仕方ないので、休むことにする。