読書録・2022年9月


旅行先の電車やバスでひたすら本を読むと、その本を読んだ記憶が旅と結びつく。去年のこの時期には嵐の吹き荒れる中ひとりで外房まで電車で行きながら無心にキルケゴールを読んでいた。今でもキルケゴールの名を聞くとあのときの嵐を思い出す。この連想に客観的に何か意味があるわけではないだろうし、むしろキルケゴールと外房に結びつきを作った方が内容の解釈の上ではバイアスがのるだろうけれども、それでも僕という個人にとっては本と旅が結びつけることは、徒然なるままに流れていく人生の時間軸の上にひとつのくさびを打ち込むような行為に等しい。これは自分の人生の有意味化とも言えるかもしれない。

最近は本を読むのは専ら通勤中のバスの中が多く、あまりそういった体験を味わっていない。そろそろ当てのない電車旅を身体が欲しているのを感じる。

大森荘蔵『思考と論理』(ちくま学芸文庫)

 言語以前の経験、この場合は言葉以前の思考なるものがあるとしてもそれは全く無定形(アモルファス)な経験、無形の思考でしかないだろう。なぜならばそのような経験や思考は一切のかくかくしかじかを言うことが不可能なものだからである。 (37ページ; 9月6日)

この部分は本書の中で最も大森の哲学が反映されている、いわばハイライトかもしれない。我々は無邪気に表象から言語化以前の「生の思考」、そして言語化された思考という順序を辿って思考が形成されるように思いがちだが、大森はこの中間段階における「生の思考」の存在を切り捨てる。仮に「私はあのときこのように考えていた」という形で「生の思考」の存在を主張したとしても、その言語化を行った時点でそれはもう「今の私が過去の自分を振り返って叙述した思考」、言語化された思考になってしまうからだ。つまり、言語を抜きにした思考というのはあり得ず、思考は常に言語を前提とする。

この考え方はヴィトゲンシュタインの系譜を強く感じさせ、大森の弟子である野矢茂樹(cf. 読書録・2022年3月)からも感じる思想だ。ここまで聞くと「そもそも思考とは何か」、上の主張の妥当性は思考の定義にも依存するように感じられる。本書で大森は思考を読んで字のごとく「思い浮かべ、考えること」であるという。思考というと「考」の方にウェイトを置きがちだが、「思」の要素も多分に重要であるというわけだ。「思」の部分は、たとえば「今日の花火は綺麗だったなあ」といった、比較的生の知覚のレイヤーに近い「思考」も含み、それらは言語化以前の思考の存在を示唆するように感じられるようにも思うが、それを否定しているのである。

これは人間とそれ以外の生物を隔てる思考の有無を考える上で興味深い論点だ。3月のときのように再びユクスキュルを持ち出すと、人間も含む全ての生物には環世界というものがある。たとえばある種の昆虫は走光性を持つが、これは彼らの環世界においては光の占める「意味」が大きく、自然と引き寄せられてしまうのだろうけれども、決してそこには「光があの方向から差し込んでいるからこっちに進もう」といった思考はない。重要なこととして、当然言語的に「こっちに進もう」という思考はないわけだけれども、言語化以前にも「こっちに進もう」という思考はない、と考えている点である。人間にしても生物一般にしても各々の環世界に支配されていることに変わりはないけれども、人間の場合は環世界について思考を行うことができる一方で、言語を持たない生物は環世界の作用について思考することが許されていないと言える。

果たしてそうなのだろうか。最近では京大の鈴木さんはシジュウカラの研究を通じて精力的に動物言語学の創出を行っている。鳥の言語は(それが確固として存在するとして)素人が想像するに人間の言語ほど論理空間が広くないのだろうけれども、人間の言語も鳥の言語もはじめは知覚と経験から生み出されたシンボルの羅列にすぎないだろう。もし思考が言語の存在を前提とするのであれば、言語の存在をア・プリオリに措定することになるけれども、言語とて知覚や経験から生み出されたものであるならば、知覚や経験と思考の間に線引きをする謂れはあるのだろうか。それとも単なるシンボル列がある時点で相転移を起こして、思考を支えるのに十分な論理空間を備えた言語となるのだろうか。思考の起源を議論するには、シンボル列の生起と生の知覚の間の関係とメカニズムについてより考察を深める必要があると思われる。

今西錦司『自然学の提唱』(講談社学術文庫)

 私の進化論のルーツは、これでほぼ見当がつきましたけれども、これにたいしてダーウィンの進化論のルーツを、もすこしはっきりしておきたいですね。京大の教育学部にいる河合隼雄君がよく使う言葉に、父性原理と母性原理というのがあります。そして、あちらの人は父性原理でものを考えるけれども、日本人は母性原理でものを考える、というのです。そして、あちらの人の父性原理には、一神教であるキリスト教の厳しい唯一神の影響がある、といっています。 (52ページ; 9月12日)

父性原理対母性原理と西洋対東洋の対立自体は、鈴木大拙や河合隼雄の著書をいくらか読んだ自分にとっては既にさして新しい考え方ではないけれども、この部分に関しては何よりも今西錦司と河合隼雄のつながりが今西の講演の中でぽろっと垣間見えるところが好きだった。この時点は1982年、今西もほぼ80歳近いはずだが、現代の我々からすれば分野の垣根で隔たれた遠い二人が、いくら同じ学び舎のもとにいたにしても、どうやって交流を持つようになったのかが気になってしまう。

 ルーツを洗ってみたところ、これではやはり氷炭相容れずで、妥協の余地がありません。私の進化論を翻訳して、海外に紹介せよといってくださる方にたいしては、申し訳ないのですが、何分にも相手は父性原理にたち闘争原理にたっているのですから、優劣をつけ選択しないことには治まりません。私の方は母性原理であり、共存原理でありますから、進化論などいくらあってもかまわない、とおもっているのですけれども。それで無理をしないで機が熟するまで待ったほうがよいのではないか、とも考えています。二つの相容れない進化論が、東西にわかれて棲み分けしていたら、それでよいのじゃないでしょうか。 (60ページ; 9月12日)

鈴木大拙を読んでいたときに感じていた大きな違和感のひとつとして、なるほど東洋思想ないし禅は排他的になることなくすべての対象を総体として包摂した全体的な場の捉え方をするのはわかったけれども、結局西洋思想のアンチテーゼとしてしか東洋思想を定立しているのではないか、という点があった。二項対立させない世界観であると言いながら、西洋対東洋の二項対立を話者から感じ取ってしまうような。その違和感を今西が取り除いてくれた。はっきりと、両者は共存していて良いのだ、と言う。自然淘汰に基づくダーウィニズムに対して今西の進化論は(個体と生物世界の中間層として存在する)種社会の「棲み分け」に基づくものであり、この思想は紛れもなく東洋的な着眼点から生まれているのと同時に、この思想ゆえに東西思想の調和を堂々と標榜できたのだろうと思う。

 ダーウィンと私は肌があわないというのか、私は学生時代から反ダーウィニズムだった。それでもダーウィンの名声と権威に押されて、若いうちは小さくなっていた。六十歳を過ぎてから私の進化論のルーツを求めて遍歴したが、けっきょく見あたらない。しかし、それである程度まで自信を深めることができた。そして、検証のきかない進化論のことだから、さまざまな進化論が存在していてよいのだ。俺は俺の進化論でいく、という気持ちになり、ダーウィンの進化論にたいしてインディフェレントになった一時期があった。つぎに三転して、どう考えても、俺の進化論の方が正しくて、ダーウィンの進化論は誤っていると思うようになった。 (99ページ; 9月13日)

この部分からは今西の自然学観(今西を尊重して敢えて「科学」観と言わないことにする)の変遷を窺うことができる。当初は西洋科学的な唯一の真理の存在に違和感を覚えつつもそれに抗えなかったところから、次第に真理の共存的な世界観へと移行する。そして、さらに弁証法的にダーウィニズムとの決別を宣言する。この変遷のダイナミクスは、まさに脱構築と秩序の間を行き来する東洋思想の真髄の一端が見られるように思った。

また、ここに進化論の学問としての特殊な立ち位置が見えている。生物学という意味では自然科学のようにも一見見える進化論だが、「検証できないのだから諸説あって良い」という立場からは自然科学に囚われきらない進化論としての特殊性がある。「科学と非科学の境界は反証可能性である」と言ったのはカール・ポパーだが、その立場からは進化論は非科学と言えるかもしれない。しかし、そもそも反証可能性の措定自体が真理の唯一性を念頭においた西洋思想的な考え方であるから、もっと自由に様々な説を楽しみながら考えても良いではないか、という今西のおおらかな考え方が見て窺える。

井筒俊彦『イスラーム文化』(岩波文庫)

 こうしてイスラームは最初から砂漠的人間、すなわち砂漠の遊牧民の世界観や、存在感覚の所産ではなくて、商売人の宗教——商売取引における契約の重要性をはっきり意識して、何よりも相互の信義、誠、絶対に嘘をつかない、約束したことは必ずこれを守って履行するということを、何にもまして重んじる商人の道義を反映した宗教だったのであります。 (29ページ; 9月18日)

ひとつ上で読んだ今西の本とはまた趣向を変えた見方を提供してくれる。今西では「父性原理」「キリスト教」「一神教」「砂漠的」が二項対立の片側に置かれるのだが、井筒の卓越したイスラームに対する解像度をもってすれば、イスラームの起源はそもそもアラビア商人文化に由来するものであるという。コーランの中でも節々に損得勘定にもとづく信仰の考え方が現れていたり、そもそもムハンマド自身が商人の出自であったという。ともすればユダヤ教・キリスト教・イスラームが起源の近さゆえに一緒くたにされてしまいがちな中で、この点は着目したいポイントである。

 アッラーは唯一無二、これと並ぶものは他にまったく何もないし、ありえない、という。絶対的唯一神教の宣言はコーランの至るところになされていて、枚挙にいとまがありません。セム民族特有の一神教としてはむしろ当然のことかもしれませんが、イスラームではそれが実に徹底しているのであります。あらゆる形での二元論、多元論、それをかすかに示唆するものすらことごとく否定されます。イスラーム以前、アラビアの宗教でありました多神教、つまりいわゆる偶像崇拝、これが否定されましたことは言うまでもありません。 (66ページ; 9月19日)

「神対人間」の二項対立を置くキリスト教とは大きな違いであると言える。「イスラーム」「ムスリム」という言葉自体が「絶対帰依者」ないし「隷属者」に由来するそうであり、とにかく唯一神が世界の全てであり、そこに人間という第二の主体が現れる余地がない、これがイスラームの世界観であるという。この意味では(極東的)東洋思想と対置したときにイスラームはキリスト教よりも「西洋的」であると言えるかもしれない。この点を踏まえておくと、無節操に東洋と西洋を対置する前に踏むべきブレーキとなってくれるだろう。

 これに反して、イスラームの共同体はもっと冷静であり、合理的です。たしかにイスラーム共同体=ウンマは、神に選ばれた特殊な共同体ではありますけれども、それ自体が神のミステリウムである、神の秘儀であるというような興奮はそこにありません。この選ばれた集団は、選ばれた集団でありながら、しかも外に向かって大きく門を開いている。開放的であって、排他的でない。ユダヤ共同体のように民族的に閉鎖された社会ではありません。誰でもその一員になることが許されるのです。この意味でイスラーム共同体の宗教は、仏教やキリスト教と同じく一つの開かれた、普遍的、人類的宗教であります。 (124ページ; 9月20日)

宗教である以上は信仰共同体の特殊性を意識するのはひとつの自然な態度であるが、ユダヤ教のように血縁を重視する比較的閉鎖的な共同体とは異なり、イスラームは血縁による共同体の結束を廃し、信仰を主体とした共同体を形成した。これは上の「神対人間」的二元論から一元論への移行でもあるとみなせる。あくまでイスラームとそれ以外を隔てることなく、来る者拒まず、そしてムスリム以外に対しては税金を課しつつも信仰の自由は担保する。そこには商人根性的な姿も見て取れるし、また、覇権的になることなく、しかし閉鎖的になることもなく、というバランス感覚が見て取れる。この態度に関しては、イスラームに学ぶべきものは少なくない。

 「イジュティハードの門の閉鎖」、ここに至ってイスラーム法体系は完全に固定されてしまいます。そこには柔軟性を欠いた、そして冷酷なまでに整然たる体系があるだけです。聖典の自由解釈を禁止してしまったおかげで、イスラームが収拾すべからざるアナーキーに陥ることだけは避けられました。それはたしかですが、しかしその代り、活発な論理的思考の生命の根を切られてしまったイスラームは、文化的生命の枯渇という重大な危険に身をさらすことになるのであります。事実、近世におけるイスラーム文化の凋落の大きな原因の一つでそれはあったのです。 (163ページ; 9月22日)

イスラームではキリスト教のように聖と俗の区別をしない、教会の中と外では違う世界が広がっているわけではない、生活の中にイスラーム法の命令と禁止が浸透した世界観が広がる。そのイスラーム法は9世紀までには人間生活の主要な部分に対する解釈をすべて終えてしまったため、それ以降は共同体の秩序を保つために、現在に至るまで個人によるイスラーム法(シャーリア)とハディース(コーランの次に重要な聖典)の再解釈(イジュティハード)を禁止した。この禁止のことを「イジュティハードの門の閉鎖」という。この帰結として文化、科学の発展が著しく遅れるのは想像に難くない。古代ペルシアやメソポタミアで文明が大きく発達したにもかかわらず、近世以降は西欧列強に圧倒された理由のひとつはここにあるのだろう。欧州の中世の混沌とした世界を思い浮かべると野放しに優れた社会だったとも言えないが、全体主義的な手法を用いた秩序の安定化の副作用は見過ごすことができない。ヒューマニズムを軽視して社会システムが保身に走ってしまうとこのような事態に陥るのだろう。

(…)まずそれの邪魔になる自我意識を払拭してかからなければならない、それがさし当たっての目標であります。自我の意識、我の意識の払拭とは、単に我を忘れるというような消極的なことではなくて、自分のうちに自分ならぬものを見出そうとする積極的な努力です。自分とか我とかいうものを深く深くどこまでも掘り下げていく。その極点において、我の内面に、我でなく、潑剌と創造的に動く生けるハキーカ、つまり神を見出し、神に会うということでありまして、これがスーフィズムのいわゆる「内面への道」の第一段階なのであります。 (211ページ; 9月22日)

 人格的一神教の神秘主義、スーフィズムの、この問いにたいする答えは、おおよそ次のとおりです。私が我の意識をもつ限り、我と神とが対立する、それが悪なのだ。私が神に第二人称で汝と呼びかけるにせよ、あるいは神を第三人称で彼と呼ぶにせよ、ともかく存在は二つの極に分裂し、意識もまた二つに割れてしまうからだ、と。 (218ページ; 9月22日)

スーフィズムはイスラーム神秘主義であり、スンニ派に対してイマーム論を認めるシーア派、そのさらに向こう側に位置している派閥だ。ここに現れているスーフィーの修行の目的には、イスラーム的一元論の考え方が濃く反映されている。通常の宗教のように神を信仰する二人称としての私が、ここでは神と対立する主体として顕然と現れるため、神と一体になり、あくまで一元的な世界を目指すことを主眼とする。個の発見を強力な基盤とする西洋科学とはやはり対立する考え方である。いずれにしてもこの一元論的な信仰がイスラームの強力な共同体秩序の保全に寄与したことは疑いの余地がないだろう。