Random thoughts in Japanese. All optinions are my own.

2023/03/31 (Fri.)

  • 稀に「現代応用数学はほとんど全て線形代数と微積分に帰着される」という風説が頭をよぎることがある。でもそれは実感を持って確かにそうであると言える気がしている。抽象化するならば、線形代数の本質は基底展開にあって、スペクトル分解からフーリエ変換まで包摂していると言えるし、微積分の本質は摂動解析にあって、微小変化に対する対象の連続性への興味に端を発する。だから、認識論的には人間は「分解」と「摂動」によってシステムを捉えているといえる。これくらいの抽象度で捉えると、いまの科学で何が見えて何が見えないのかという限界も朧気ながら浮かび上がってくるような気がする。
  • ふと、そういえばここ半年以上 (2022/08/29) は精神的にまあまあ健康な状態を保っている気がした。大学院生のときはコロナも相俟ってか3ヶ月に一度以上の頻度で寝込んでいたのを思い返すと、日々いろいろ大変なことがあるにはせよ、自分の性に合っている生活ができているのではないかと思った。
  • 昨日はふとしたキッカケで洛南高校の教師と飲むことになった。俳句に非常に熱のある面白い人だった。自分は文学とか詩といった類のものに対する感受性が常日頃から低いと感じていたものだが、彼の語り口は饒舌でかつ惹き込まれるところがあり、墓石に陰る蜜柑の樹の影を詠んだとある句を生徒が「それは本来であれば時間の経過とともに忘れられていく故人が認識の中に蘇ってくることを間接的に表現したのではないか」と解釈したその面白さを丹念に語ってくれた。それは確かに風情があって静かな情景が眼前に広がるようで、つい感心してしまった。
  • 今日は1本微分方程式を解いたので何かをやった気分になった。去年の夏に少しだけ勉強したgradient flow (2022/08/02) の知識がこのタイミングになって役に立ち始めている。興味を持ったときに勉強をしておくものだなと思った。

2023/03/30 (Thu.)

  • 年に一度の研究室見学。学生さんも学生さんで10人規模でまとめて見学に来るので、お互い萎縮してしまってあまり話が盛り上がらない。それはまあいいとして、「どこの研究室に行きたいですか」という質問に対して「できるだけ楽な研究室に行きたい」と開口一番で返ってくるのはどうなのだろう。大学院への進学も控えているのに、研究のことを考えずにどれだけ楽ができるのかを真っ先に考えるという発想が受け入れられないのは、研究者視点のエゴなのだろうか。
  • 学生さんと関わる機会が増えつつあるので、研究者としての学生さんだけではなく、純粋に20前後の若者としての学生さんに接することもまあまあ増えてきているわけだけれども、果たしてこれは世代間のギャップなのか、5年も経つと人の考えもいろいろ変わる影響なのか。どうにも違和感が拭えなくなってしまうことが少なくないが、果たして自分自身の振る舞いは他人から見たときに受容可能なものなのだろうか。

2023/03/29 (Wed.)

  • 研究室のレイアウトを少し改善して、粗大ごみを処分して、スペースを広々とさせた。他にやりたくないことがあると、普段は気乗りしないこういうことに精が出る。
  • 学生さんの論文添削をどうすべきか、すこぶる悩む。正直一から書き直してしまった方が良いんじゃないかという気すらする。Slackの通知も鳴り止まないし、どこかで一度エイッとまとめて時間をかけて、本人にステップバイステップの指導をするフェーズが必要そうだけれども、気が進まない。結局のところ、教育はこういうスケールのしない一歩一歩から成り立っているのだとわかっていつつも。
  • しかし、たとえば北米の大学だとPhD選抜の段階で論文の書ける人だけが選ばれているのだと思うと、結局北米以外の国での教育リソースの搾取になっているんじゃないかと思ってしまうが、でも誰かがやらなければいけない教育であることは間違いない。それに我々だって義務教育や初等教育は前提として教育を捉えているのだから、同種の論理で義務教育の教育リソースの搾取といえなくもなくなってしまう。自分の立場で粛々とできること、やるべきことをするしかないのか。

2023/03/28 (Tue.)

  • またこの研究の初期段階の「うまくいくかどうかまだわからなくて、それはそれで調べることがあって良いけれど、そこはかとない不安」を感じるフェーズにいる。
  • 世の中がChatGPTで大盛りあがりしていて、流石に少々食傷気味になってきている。革新的な技術で盛り上がるのは良いのだけれども、それだけに没頭して追いかけてしまうのはアテンション・エコノミーに巻き込まれ、下支えするのに貢献してしまっている気がする。

2023/03/27 (Mon.)

  • 週末は静岡へ。伊豆以外で静岡をまともに観光したのは初めてかもしれない。あからさまに観光客然した人たちが(京都に比べれば)圧倒的に少なくて落ち着いているのが良くて、偶然立ち寄った人宿町の再開発されたエリアに面白い店と工房が集まっているのが印象的だった。
  • 理論研究の意味とは何か、ふと考えたりする。「現象の理解は科学として重要である」と主張するのは簡単だけれども、ではなぜ理解は重要なのか、ともう一歩踏み込むと、話はそれほど単純ではなくなる。そこで一般的な回答は「理解することは予測することにつながるから」というプラグマティズムに基づく見方が自然と出てくるのだろう。自分が最近考えていたのは「理論が物の見方を支配するから」という認識論的な見方で、これはサピア・ウォーフの仮説に見られるように我々が世の中をどのように認識するかは言語・理論的基盤に支配されるということになるわけだけれども、じゃあその認識論のオルタナティブを与えることにいかなる意義があるのか、と問われると、結局先程のプラグマティズムに基づく見方に帰着されてしまうのかと思うと、やや腑に落ちない気持ちである。プラグマティズムを乗り越えることはできるのか、はたまた乗り越えられるべきものなのか。

2023/03/24 (Fri.)

  • 学生さんから論文添削を頼まれると、どういう方針で添削すべきか、どの程度口出しすべきか、どれくらい時間をかけるべきか、いろいろ考えることがあって、僕自身も学生から職業研究者になって考える内容もフェーズシフトしているような気がしているので、その時々で思考のスナップショットをとっておくべきだと思う。だから少し書いておく。
  • 職業研究者として自分の研究哲学の追求、自分自身による作品・自己表現としての研究を追求することを優先するとなると、学生さん(を含めた共同研究者一般)と研究するときに方針の齟齬がどうしても埋まらないことがあって、それは別に悪いことではないのだけれども、じゃあその共同研究で自分が名前をそこに連ねて良いのか、という気分になる。自分はこういうモデルが良い、こういう書き方が良い、と思っているのに、できあがった論文はそうではないとなれば。そうすると、共同研究では全力で自分自身が進めたいように(半ば強引に)研究方針を捻じ曲げる必要が出てくるかもしれないし、でもそれって学生さん相手だと教育としてどうなのだろう、と思う。
  • そもそも日本のアカデミアを見渡すと、教授で学生さんの研究方針に口うるさく一から言う人はあまり多くないように見える。それが良いかどうかは完全に立場次第だけれど、細かい論文の書き方、研究の進め方を逐一レクチャーするよりも、ひょっとしたらもっと大事な、やや大袈裟かもしれないけれど、その人の人生観に関わるような大事な考え方を、数年の間に伝えるほうが大切かもしれない。そうだとすると、あまり細かい研究の話をしてもしょうがないという可能性もある。
  • まあ多くの研究者がそんなことを根っから考えているわけではないだろうし、そもそも人の人生観に気軽に影響を与えようなんて思わない方が吉であることに間違いはないだろうし。思考実験としてはこういうことは考えるにはせよ、実践するかどうかは別問題である。
  • お昼をひとりで食べながら、たまたま坂本龍一に関する記事を読んでいたら、「自己表現ではない音楽」という面白いキーワードが見えた。でも、いかに主体を疎外化して客体を見つめたからといって、生活音を読み解く主体がそこにいる以上、それはある種の自己表現になるんじゃないだろうか。やや詭弁な気もする。でも本当に「自己表現ではない何か」があるのかどうかは問うてみてもよいと思う。

2023/03/23 (Thu.)

  • 久しぶりにWisteriaのGPUノードを立ち上げて、昨日議論した結論を計算機上で検証する。あまりに久しぶりだったもので、コマンドを思い出しながらパッケージの依存関係のトラブルを解決して、そしてコードに必要な修正を加えてなんとか回せた。「ちゃんと回った!」と思ったのも束の間、計算機を回し終わった後に計算方法を間違えていることに気づいたので悲しい。明日もう一度やり直す。しかし、この計算結果がどうなるかは見ものだ。早く計算結果を確認して、そして我々の仮説がある程度妥当そうだということがわかった暁には、理論解析の続きに取り掛かりたい。

2023/03/22 (Wed.)

  • 来客や学生さんの相談事をテンポよくさばいた。こういうのは「1時間でやります」と心に決めて、その時間でできる範囲で全力を尽くすのが良い気がする。
  • 隙間時間でもう少しNCEのことを考え続けたら、NCEとInfoNCEがうまい形でつながりそうな糸口が見えたので、長野さんのところにいそいそと向かってフィードバックをもらう。すると長野さんはやはりアイデアマンで、自分が見えていなかった別の見方を提示してくれて、「これさえ実証されれば確実に面白い!」と思える理論の青写真ができあがった。この青写真のピースが本当に埋まるのかどうかは今から検証することだけれども、僕は少なくともこの見方を見せられた時点で相当ワクワクした。ちゃんと形になってくれると嬉しいのだけれども。

2023/03/20 (Mon.)

  • フランスの最後の一週からずっと、最適輸送とNCEを組合せられるんじゃないかということを考え続けている。フライトの中でも考えて、一度supervised WMDとつながりそうな気がしたのだけれども、今日ようやく久しぶりに落ち着いて少し考えてみたら、それはどうやら間違っていたらしい。そのかわり、もう少し考えていたらcontrastive learningの未解決だった問題が解けるのではないかという気がしてきた。思い立ったが吉日、さっと長野さんの部屋にいって軽く話してフィードバックをもらった。こうやって歩いて十数分の距離に気軽に相談できる相手がいるというのは、だんだん歳を重ねてきている中で本当にありがたいことだと思う。

2023/03/19 (Sun.)

  • 1ヶ月ぶりに京都に戻ってきた。今日は病院に行ったり、美容院に行ったり、1ヶ月溜め込んでいた日常生活をこなした。この1週間の東京出張でも多くの宿題を持ち帰ってしまった。やることがたくさんあるのは嬉しい。あとは自分の限られた時間でいかに面白いことをできるか。

2023/03/16 (Thu.)

  • 本郷と立川を行ったり来たり。昨日の自分のトークの時間とFIMIでのTengyu Maのトークの時間が丸かぶりしていてTengyuに直接会えなかったのが大きな心残りだったのだけれども、今日立川に行ってみたらご本人がいらっしゃっていた。Tengyu周辺の自己教師あり学習の解析には気になるポイントが前からたくさんあって、グラフを使って解析したくなった動機とか、最適化をあえて考えない動機とか、そういった彼の研究哲学的な側面を(根掘り葉掘り)聞いたり議論したりできて、あまりにも貴重な時間だった。おそらく一緒にいられたのは学会時間のたった8時間くらいだったと思うけれども、時間に対する体験の濃密さは頗る高かった。そもそも論文上の名前としてしか知らなかった人なので、日本の立川まで来たというのが未だににわかに信じられない(ご本人は初来日らしい)し、とても気さくな人柄で親しみやすさを覚えた。
  • FIMIで今回初めて出会った海外研究者たち、みんな誰も彼も良い人ばかりで、ヨーロッパや西海岸に行くタイミングでまた立ち寄りたいと思わせられる人たちばかりだった。

2023/03/15 (Wed.)

  • 今日は続けてWorkshop OTでのトークを終えた。これで第1四半期の予定していたトークを全て終えた!今回のワークショップは物理を含めた異分野の人が多くて、正直本当に面白がってもらえるか未知数過ぎてナーバスになっていたけれども、しかるべき人に自分の仕事を伝えることができて、しかるべき人(情報幾何の人)に面白がってもらえて、少なくとも自分の収穫としてはもう十分だと思う。この四半期もよく仕事した。
  • 明日はまた立川に戻る予定。まだまだ昨日積み残したディスカッションがあるので、できれば遅くても明日の朝の中央線の中でアイデアを練ってからコーヒーブレイクに望みたい。

2023/03/14 (Tue.)

  • 今日はまずはFIMIのトーク。今日のスピーカーは偶然みなgradient flowとneural netsの話をしている中で、ひとりだけproper lossの話をした。正直かなりの時間をトークの準備に割いたわけではないし、元々トピック自体がマニアックめだったり、必要な概念やその間の依存関係が多くて一度に理解するのは用意ではない話であることは自覚しつつ、自分の中でトーク準備のコスパを上げながら本番の空気感で押し切った。もちろん、まあトークだけでは伝わりきらなかった人や、そこまで内容の面白さが刺さらなかった人もいたけれども、今日だとたとえば(相当久しぶりに会った)Songさんには思っていた以上に面白がってもらえた。そうやって潜在的に面白がって貰える人にちゃんと届けることができれば、十分に成功だと言って良いと思えるようになってきた。大学のカリキュラムが定まった講義とは異なって、普段のプレゼンは自分がやりたいことができればそれで良いわけだから、全員に伝わらなければダメということは毛頭ない。

2023/03/13 (Mon.)

  • 13時間のフライトの末、日本に帰国した。帰りは意外と時差ボケに耐えている気がする。が、明日と明後日立て続けでトークがあるので、そこまで体力が持つか、そして自分のトークがうまくいくかどうか、ややナーバスではある。けれども自分のトークの成否を他人の評価に委ねて気を揉む必要はない。自分の喋りたいように喋れば良い。
  • フライトの中でフランスで得た着想を頭の中で整理していた。ひとつ大事なこととして、長い間 (2021/03/02)自分がどちらもstabilityの帰結でしかないと思っていた(しかし論文化していなかった)ロバスト性 vs. 汎化の話、前者は推定量の連続性であるのに対して、後者はアルゴリズムの連続性を言っているので、概念としてはメタレベルが異なることに気づいた。ここでもベイトソンの箴言 (2023/01/17)を想起する。しかし、この見方をきちんと言語化しておくのは面白いことなのではないかという気がしてきた。

2023/03/09 (Thu.)

  • 本当にありがたいことに、オフィスに座っているだけで色々な新しい議論に巻き込まれる。フランスまで来た甲斐があるもの。しかもどのトピックも自分の興味によく刺さる。なんといっても、ENSAIの人たちが自分の過去の研究をなんとなく把握してくれているので、ちょうど良い感じに興味のインターセクションにあるトピックが議題に上がる。
  • そんなわけで、もう大学に行くのはあと1日。本当にあっという間の3週間だけれども、相当な量のディスカッションができたと思う。研究者たるもの、1年に1ヶ月くらい、他の仕事を全てストップして、純粋にディスカッションし続ける時間というものが必要なのではないか。

2023/03/07 (Tue.)

  • バルセロナからブルターニュに戻ってきた。今朝までバルセロナにいたのか、まだ夢うつつ。今回は本当にホテルが良かった。今朝もホテルから出た瞬間にカサ・バトリョの美しいトレンカディスが見える。今まで都市型観光のやり方があまりわかっていなかったけれど、自分にとって今回のバルセロナ旅行のようなスタイルがあっている気がした。
  • 明日からまた大学に行く。滞在もなんだかんだで残り3日。やはりあっという間と言えばあっという間だった。いくつか湧いてきたアイデアをもう少しディスカッションして、見える形にして持って帰れれば幸いなのだけれど。

2023/03/06 (Mon.)

  • バルセロナに来た最大の目的であるLOEWEでの買い物を完遂。今回はLOEWEも含めて、ガウディ建築などの主要な観光地や、ワイン・ビール・タパスバーがすべてホテルの近くにあって、買い物したらホテルに直行、飲み食いして満足したらホテルに直行、と、我ながらにパーフェクトな位置にホテルを構えられたものだ。
  • 昨日のカサ・バトリョに続いて、カサ・ミラ、サグラダ・ファミリアを巡った。昨日のカサ・バトリョの時点で頭を殴られるかのごとくの衝撃を感じたので、ガウディ建築に対する称賛はもう言葉にするまでもない。むしろ、自分が実物を間近で見て、その胎内に飲み込まれて、全身で空間を体験したことで感じた批判的視点を残しておく。
  • ガウディの建築に見られる、言うまでもないひとつの大きなキーワードとして「自然」が挙げられる。実にその有機的な曲線と構造は自然のインスピレーションを強く感じるのだけれども、同時にいくつかの違和感を感じる。ひとつは、いかに構造の有機性に芸術性があろうとも、それはあくまで人の手によって創り出された模倣、虚構でしかないという無念さを感じる。それは特に素材が石膏と火山岩をベースにしているからこそ、より強く感じる。また、サグラダ・ファミリアの受難のファサード、カサ・バトリョに見られる竜骨を想起させるファサードのように、「骨」をモチーフにした意匠が多い。カサ・バトリョの胎内でさえも、構造曲線自体は有機的なのだけれども、ベースとなるモチーフがクジラだったりカメだったりの骨を想起させる。その壁面に誂えられた有機的な模様が24金の金メッキでできているのだから、なおさらだ。そのような節々は、東洋的な純然たる自然との共存とは甚だ異なる、自然との対立、抜粋、再構築、非人間的で冷酷な一面をときおり感じてしまった。
  • もうひとつの違和感も全く関連したことなのだが、人の手によって自然が再構成できるというキリスト教的な傲慢さを感じた。サグラダ・ファミリアの最後に建設予定であるイエスの塔の高さは、バルセロナ市内の山の標高より少し設計されており、それはガウディの「人間の技術は神の御業を超えるべきでない」という意思が込められているという。しかし、その思想はそもそも人間の特殊性を前提とした考え方であり、神と人間、自然と人間といった、極めて西洋的な二元論に基づいた考え方である。おそらく、彼らの根底にある自然観というのは、創られた対象である自然を通して神へと至る道であり、実態としての自然の本質には目が向いていないのではないだろうか。
  • 自分のこの批評はプラグマティズムとは相容れない虚しい観念論なのだろうか。しかし、自然に向き合う心にプラグマティズムは無用であると自分は言いたい。そこにはロゴス的ではない世界があるからこそ、観念的な機微に触れるものがあるわけだし、別にそうした「もののあわれ」は何かの役に立つ必要はない、ただ各々の心のなかにあるだけで良いのだと思う。

2023/03/05 (Sun.)

  • ポルトガルからスペイン(カタルーニャ)へ。こちらも初めてのスペイン。あまりにも旅程を何も決めていなくて、モンセラートに行こうと思ったら時間が間に合わなくなってしまい、ピカソ美術館に行ってみたら当日券は売り切れていたし、何をしにきたんだという感じ(僕はそれでも良いんだけれど)になってしまったけれども、最終的にたまたまホテルの近くだったということでカサ・バトリョに行ってみたら、これが本当に良かった!ガウディなんて建築家であることくらいしか知らなかったけれど、建築に機能性と有機性と芸術性の3つを両立させようとした強い意志をはっきりと感じることができた。こんな建築、全く見たことがない。安藤や隈の建築とは対極である(皮肉にも終盤の展示は隈によるものだったが)。
  • 休日にもかかわらず共著者の友人は次の論文に向けた論文修正をしているし、学生さんはoverleafを日曜日の夜中(日本時間)まで更新し続けているし、こういうのを見ていると自分も仕事をしなければという気持ちになってしまう。が、よくよく考えれば、僕の目先に今ある仕事を少し進めるのに比べれば、今こうやって西欧の土地を踏んでいるこの瞬間を最大限に活用するのに勝る時間の使い方はないだろうと思う。新しい研究だって時間があるのなら今すぐにでもやりたい。けれども、この土地の人と言葉を交わして、この土地に根付く文化を肌身に感じて、それが数年後に大きなレバレッジがかかって返ってくることは、自分がよくわかっている。

2023/03/04 (Sat.)

  • 今週末も旅行へ。今回はまずはPortoへ。これが初めてのポルトガル。先週のノイシュバンシュタイン城は-5℃だったのに、Portoはかなり暖かくて17℃とか。しかも日差しが照りつけるので、まるで日本のGWかのような天気。そんな中で街中が音楽に包まれていて、そこかしらでテラス席を並べているのだから、もう酒を飲めと言わんばかりの空気感。北欧側の人たちが来たくなる理由はとても良くわかる。パステルカラーの可愛らしい建物が坂道に並んでいる様子はEdinburghをにわかに思い出す。まるで迷路のような街の中をぐるぐると登ったり下ったり、ひたすら歩き回って疲れてしまったが、海鮮とワインが美味しくて陽気な街だった。

2023/03/03 (Fri.)

  • 今日も夕方にコーヒーを飲みながらAdrienと山根さんとなんとなく差分プライバシーやロバスト性の話をしていたら、Adrienが摂動に関する「双対性」のアイデアに思い至って、なるほどと思わされた。曰く、摂動はその摂動半径の大きさとサンプル全体のうちどれくらいの割合に摂動を加えるか(便宜的に摂動量とよぶ)のトレードオフであって、摂動半径を先に決めてそのもとで有意味な最大摂動量を求めるか、摂動量を決めてから最大摂動半径を求めるか、の裏返しの関係が考えられると。コンセプトレベルでは最急降下法と信頼領域法の裏返しの関係のようでもある。例えば、影響関数やbreakdown pointは摂動半径を無限にとると決めてから最大摂動量を求める解析であり、敵対的攻撃は摂動量を全サンプルにとると決めてから摂動半径を決める話であるとも言える。さらに、algorithmic stabilityの観点から言えば、Lipschitz連続性の不等式において入力側の距離を先に固定する(= 摂動半径を固定する)か、出力側の距離を先に固定する(= 摂動量を固定する)かの違いであるとも言える。この双対性は面白い。

2023/03/02 (Thu.)

  • 昨日は日を跨ぐまでだいぶ飲んでいたので、今日はなかなか本調子に戻らなかった。そういう日もある。ちょうど滞仏の期間も半分を過ぎて、講義も終えて、だんだんfacultyの人たちとも仲良くなってきた。ENSAIは教員同士の距離が(物理的にも)近いので、教員の同僚が身近に感じられるのが良い環境だと思う。
  • 夕方には完全に集中力が切れて、山根さんと積分とinfの交換について雑談をしていた。自分はSteinwart (2007)をすぐに思い浮かべて、選択定理の適用をしないと可測性すら言えなくて大変だと思っていたのだけれども、山根さんはRockafeller (1968)を参考文献で教えてくれた。この論文では端的に言うと凸汎関数に対する凸共役関数の存在性を言っている。そして、凸関数のみを対象としてしていることから凸共役の可測性を言うだけで良くなって、凸共役は本質的には(方向)微分で書けることから、可測性は割とかなりシンプルに言える。そうか、凸関数だけに絞って良いのであれば、意外と簡単な話になるのか。この見方は自分は持っていなかったので、また一つ解像度が上がった。

2023/03/01 (Wed.)

  • 講義最終日。Danskinの定理の途中で自分のノートの証明が間違っていることに気づいて考え込んでしまったのが、なんとかその場で証明を修正して講義を続けられた。こういうことをやると、いかに自分の普段の理解が怪しいかがすぐに炙り出される。本当は人の前で喋る前に自分で気づくべきであることに違いないのだが、案外練習でホワイトボードに無言で書いても気づかないもので、本気でやるならばやはり講義中のように喋りながら書く必要があるのだろう。いずれにしても3日間計6時間の講義をやりきった!反省点は数えだしたらキリがないけれども、一旦喋りきった自分を労いたい。
  • 全体では渡仏前の準備時間15時間 (2023/02/16)と、講義各日の講義前の準備約3時間と講義の2時間をあわせて15時間、全体で30時間くらい使った感じだろうか。コスパが良いかというとかなり微妙だが、日本の最低時給は(驚くべきことに?)超えている。自分で既に喋りたい内容が頭の中にあって、完全に一から勉強をする必要がない内容を喋るなら、これくらいのスピードで準備ができるということはわかった。
  • 夜はオフィスメイトのSebastienのアパート(Rennes中心部にある、なんと築500年以上の木造アパート!)に数人で集まってパーティーをした。たった3週間しかいない人間なのに、こうやってちゃんとcultural eventsに誘ってもらえるのはありがたすぎる。フランス人の勧めてくるチーズはどれも美味しい(特にブルーチーズが美味しかったが名前を覚えられない)し、個人的に気になっていたフランスの出生率とか、そういう社会問題についてフランクに話ができたりして、これとない機会になった。