人生で初めての講義を終えて


Rennes 市街地を流れる Vilaine 川

 今年の2月から3月にかけて、3週間ほどフランス西部、ブルターニュ地方の街である Rennes(レンヌ)に滞在した。Rennes にある統計・データサイエンスの単科大学である ENSAI に最近先輩が着任して、その伝手で研究滞在と集中講義をしないかと半年ほど前に誘われたのがきっかけだった。僕はちょうど1年前に博士号を取得したばかりで、コンピュータサイエンスという分野柄もあって非常勤講師の経験も含めて講義経験は全くなかったので、はじめはどうするか悩んだが、初めて訪れる大学に知り合いが既にいるという機会はそうそうないだろうし、誰だって初めてはあるものだと思って、引き受けることにした。ここでは僕が人生で初めて講義するまでに至った準備の過程や考えたことを書き残しておく。

経緯

 ENSAI は CREST(注: JST CREST ではなく、フランスの統計・経済系のスクールをまとめる上位組織)の1つの大学で、CREST が海外研究者を呼び込んで活性化を目指そうとしているらしく、その一環でたまたま知り合い伝てで自分に声がかかった。2時間×3日間で計6時間の集中講義を大学院生向けに行うのがメインの用務で、それ以外の時間は自由に ENSAI の研究者とディスカッションをして良いとのことだった。講義に関しては大学院生向けと聞かされており(実際は参加者の半数以上が教員だったような気がするが)、内容は僕の一存に任されていた。

準備

 渡航日は2月20日だった。渡航準備自体はかなり早くから始めていた。研究者招聘用のビザ書類があるらしく、原本をフランスから郵送してもらったりで結構時間がかかった。だいたい去年の12月中旬(つまり渡航2ヶ月前)くらいから先方とやり取りをしつつ、フライトや宿、その他書類の手続きを進めていったと思う。あと、自分の場合はちょうどパスポートの更新時期に被ってしまい、それも相まって想定以上にドタバタしてしまった。

講義ノートの雰囲気

 そうこうしているうちに2月になり、論文添削や投稿などが落ち着いてきたタイミングで、2月中旬になって本格的に講義の準備を始めた。講義内容自体はその前から頭の中でなんとなく考えていた。3日間ということだったので、凸解析の背景からはじめて proper loss や Bregman divergence といった機械学習理論において凸解析が重要な役割を果たしている場面の紹介ができれば、ちょうど自分の最近の興味にもつながるので良いかと思い、概ね次のようなスケジュールを想定した。

  • 1日目: 凸関数、未定乗数法、ロジスティック回帰、proper loss
  • 2日目: proper loss と凹関数の関係、Bregman divergence、凸共役
  • 3日目: Danskin の定理、canonical link、Fenchel-Young loss

1〜2日目は丁寧に説明してできるだけ消化して帰ってもらいたい内容、3日目は Blondel et al. (2020)Bao & Sugiyama (2021) あたりの Fenchel-Young loss に関する最近の研究を触れるところまでいこうと考えていた。

 まず、講義ノートを3日で作った。だいたい15時間くらいかかったはず。板書の量もどれくらいなのか検討がつかなかったため、自分が学生時代に受けた講義のノートを参照しつつ、およそ1コマでA4にして5、6ページくらいが書いて喋ることのできる限度だと見積もった。そのため、6時間分の講義ノートとして17ページほど用意した。

 その後、渡航直前にホワイトボードを使って板書の感覚を掴むべく練習をした。さすがに全内容をシミュレートする余裕はなかったので、前半をおおよそ4、5時間くらいかけて練習したかと思う。僕はヨビノリたくみさんがかなり好きで、彼がいつかの動画で「収録前に黒板をどういう配分で使って、どこに何を書くか、事前に全て練習している」と語っているのを見たので、できるだけそのスタイルを目指したいと思っていた。

 講義の各日朝には、講義内容をできるだけ頭に叩き込むために、それぞれ3時間ほど手元でシミュレーションをしていた。ここまでの準備時間を全てあわせると、約30時間ほどかかったことになる。6時間の講義に対する準備時間なので、単純計算では講義時間の5倍ということになる。これが一般的に見て多いのか少ないのかはよくわからない。

講義本番

講義中の筆者

 講義室は30〜40人くらいが入る小さめな部屋だったが、当初僕が聞いていた大学院生向けの講義の想定とは異なり、半数以上の参加者は ENSAI の教授、准教授だったので、緊張感が高まってしまった(序盤は未定乗数のようなベーシックな内容を多く含めていたから)。学生の方はといえば、ENSAI の博士学生(ENSAI は数年前から博士課程学生をとれるようになったらしい)に加えて、Rennes 大学の方からも何人か ENSAI まで聴講に来ていた。単位交換制度があるとのことで、今回のような集中講義も課程単位として認められるとのことだった。全体ではざっと見渡した限り20〜30人ほどの聴講者がいたような気がする。

 講義をしていて難しいと感じる点が2つあった。1つは「数学としてどこまで厳密に話すべきか」という点だ。例えば自分の今回の講義で言うならば、凸関数の最適化を議論する際に最適解の存在を保証するためには本当は閉凸性の仮定をしなければならなかったりとかするわけだけれども、そういう細かい点を全て拾おうとすると、話の筋から見たときには本質的でない些末な議論で時間を使い尽くしてしまう。かといって、数学の話をする以上、厳密性を犠牲にして飛ばしてしまうのは誠実でないような気持ちにもなってしまう。しかし、こればかりは自分が講義全体を通して伝えたいことを一度定めた以上、限られた時間の中で到達すべきゴールから見て必要性の高い事項を中心に講義を組み立てていくしかないとは思う。この点は講義も普段の研究トークも変わらないと思っている。

 2つ目の課題は、講義中に突然思いがけない質問をされたときに瞬発的に適切な回答ができるか、という点である。僕の場合、未定乗数法の説明をするときに「等式制約を含む制約付き最適化問題」は「不等式制約のみを含む制約付き最適化問題」への帰着方法を聞かれたり、(細かい話になるが)Lp loss が p=3 の際に proper loss にならない直感的な説明を求められたりして、当日その場ではうまく答えることができなかったので、持ち帰って翌日の講義で改めて答えるなどしていた。でも、できればその場でスマートに答えたいと思うし、その方が学生からしてみたら時間効率も良いのではないかと思う。僕はたぶん生意気な学生だったと思うので、その場で即座に質問に答えられないようでは教員としては不足しているとか、そんなことを考えていたような気がするが、実際のところ僕自身が人の質問にその場ですぐに答えられるほど頭の回転が速い人間ではない。逆に言えば、自分が教壇に立ってみてどれだけ教員が努力と才能に支えられているのかが身に沁みてよくわかる。

 ともかく、非常に幸いなことには学生からも教員からも質問をいくつも貰う程度には興味を持ってもらえたような気がしている。3日間の講義を終えた後の解放感はひとしおであった。

Rennes という街

Rennes の旧市街の夕方

 さて、順番は前後するが、Rennes での生活に関して簡単に触れておきたい。Rennes は人口規模は20万人程度で、Paris(Montparnasse 駅)から西へ TGV でノンストップの場合は1時間半ほどで着く。国際都市である Paris に比べるとフランスの地方都市の香りが強く漂うが、大学や政府機関も点在しており、活気に溢れている街である。そして何より治安と清潔感の面では Paris に比べると格段に良いため、まるで日本にいるかのような感覚で住める街だと思う。個人的に難点をひとつ挙げるならば海外へのアクセスであり、地方空港は一応ひとつあるにはせよ直行便はフランスとポルトガルのいくつかの都市に限られてしまうので、フライトとなると基本的にはシャルル・ド・ゴールをいつも経由するしかない。Paris での乗り換えも考慮すると、Rennes 中央駅からシャルル・ド・ゴールまでアクセスするには4時間を見積もっておく必要はあるだろう。この点は Lille の立地が羨ましくなる。しかし、それを差し置いたとしても十分に魅力的な街であると思う。

 ENSAI は厳密には Rennes ではなく、その南にある Bruz(ブリュ)という別の街に位置する。Rennes からは2022年に新設されたメトロの line B を使って Bruz 方面のバスターミナルにアクセスし、そこからバスに乗る。メトロもバスも新しくて十分に広いので快適であり、Rennes 市街地からは基本的に30分あればアクセス可能である。

教育について

 雑感となってしまうが、最後に僕が博士卒業後1年目で初めて講義を経験した時点での、研究者と教育の関係などについて書き残しておきたいと思う。大学の研究者というのは、多くの場合は大学院を通じて研究の研鑽を積み、その後もアカデミックな研究活動に邁進していきたいと思った人たちが目指す職業であることから、研究に専念したいと思っていることは当然であるし、ほぼ自明視されている。しかし、必ずしも研究者が教育に携わりたいかというと、それはケースバイケースであり、学生の目に映るのは教育機関であるはずの大学なのに、実態はそうでもないという認識のズレが多かれ少なかれある。

 僕は、一般論としては大学の研究者が教育にも同時に携わることに対しては肯定的な立場をとる。なぜならば、第一に大学における研究が即時的にマネタイズできるのは非常に限られたケースであるから、大学組織運営上でどこから収入を得るかと言われたときに教育はひとつの有効な手段であると考えるから。また、大学組織の研究活動を持続可能なものとして保つためには社会全体の理解が必要なので、必ずどこかでアウトリーチ活動が求められるわけだけれども、研究者が草の根の活動として個別にサイエンスカフェをはじめとしたアウトリーチ活動をするのはスケーラブルではなく、大学の講義を通して若く意欲のある学生たちに教育の形で還元していくことには多大な意義があると考えているから。そして最後に、これが最も重要かもしれないが、最前線で研究に打ち込む研究者の姿、語る言葉というのは、それ自体ある種のドラマとしての価値を持っているから。ここに本当は「市民的科学の成立のための研究者と市民の双方向コミュニケーションのひとつの形としての教育が求められる」といった視点が加えられればよいのかもしれないけれども、残念ながら僕自身の経験が浅いため、市民との双方向コミュニケーションから何かが生まれた、何かを受け取った、と印象強く感じた場面があまりない。

 さて、それでは僕自身が一研究者として教育にどのように向き合っていきたいかと言われると、それは難問である。もちろん無限の体力と時間があるのであれば研究にも教育にも全身全霊で向かい合いたいと思うけれども、現実そういうわけにもいかない。ではどうするかとなると、自分の持てる知力をできるだけ多く研究に注ぎ込みたいと思うのが正直な気持ちかもしれない。誰も考えたことのないアイデアの芽を見つけて、そして水を注ぐという行為は、自分にとっては何にも代えがたい喜びを感じる。ひょっとすると、それは「誰も考えたことがない」ことに裏付けられた自己表現の一種なのかもしれないが、今の僕にはまだ断言ができない。とはいえ、これは全くもって「広義の教育」からすらも距離を取りたいという表明ではない。「狭義の教育」は教壇に立った教員から学生への一方向的なコミュニケーション、あるいはシラバスやカリキュラムを鉄の原則とした一つのパッケージであるけれども、教育の形はそれだけではないように思う。「背中で語る」タイプというか、教員の生き様から滲み出るメッセージが、実は教育の中で少なくない重要なファクターなのではないかと最近思うことがある。むしろ、シラバスやカリキュラムに基づいた「教育」の方が枝葉であり、教壇を舞台装置としたアクターとしての教員に本来教育に含まれているべきである、価値観を形成する要素があるのではないか。その意味では、仮に直接的な形で教鞭をとらなかったとしても、教育にコミットしていくことは可能なのではないかと思う。この言説はただの詭弁かもしれないし、僕自身もまだ強い確信を持って自分の信念を敷衍できているとは言えないのだが、今の自分には研究と教育の関係を見つめる時間が必要であることは確かである。