Random thoughts in Japanese. All optinions are my own.

2026/03/31 (Tue.)

  • 講義資料が20ページを超えた。全体の 3分の1 くらいの量には達しているんじゃないだろうか。来週までにもう 3分の1 くらい作れたら嬉しい。昔勉強したことの細かい復讐になってとても良い。
  • 1週間自宅にいるのはかなり久しぶりな気がする。カレンダーを見返したら1月の中旬、彦根が大雪で滋賀大に行くのを諦めたタイミング振りだったけど、あのときはひたすら論文を書いていたからだいぶ焦っていた。日中はずっと事務作業したりリバッタル対応したり講義資料作ったりで仕事をしているが、気はだいぶ楽。

2026/03/30 (Mon.)

  • 昨日は御所や鴨川、今日は二条公園に平安神宮、白川疎水と、人に連れられて桜を見に出かける機会に恵まれた。帰国して気づいたら桜がもう満開になっている。それはそう、既に3月末なのだから。

2026/03/29 (Sun.)

  • 2023年の COLT と NeurIPS で会った (2023/12/12) Gleb が夫婦で日本旅行に来て、ありがたいことに声をかけてくれたので軽く京都を観光案内して日本酒を飲んだりした。数年経っても覚えてくれてて、そうしてこうやって尋ねて杯を交わせるのは、この職業の良いところだなあ。大変なことも本当にたくさんあるけれど、国内外の世界中の知人とたまにこうやって会って異国の文化や風土、政治について語り合えること自体が報酬の一つといえる。

2026/03/27 (Fri.)

  • 招聘手続きを進めていた共同研究している学生のビザ申請が無事に通ったようで、本当に一安心している。僕自身は日本国外のビザ申請に関してはそれなりの知見はあるものの、日本のビザ申請についてはよくわからないところが多く、今回の一件でも理由はよくわからないが申請途中で一度申請がサスペンドされて、それから再申請して無事に渡航一週間前に間に合わせられたが、ちょっと危なかった。しかし、僕自身が学生の身分でアメリカ留学して (2019/09/27) からもうかれこれ7年弱、今度は海外から学生を呼ぶ側になったのか。日々を漫然と過ごしているだけなのに人生が進んでしまっており、常々自分の認識と世界の速さが噛み合っていない。去年の Yutong の招聘 (2025/05/27) も結果的に Brenier isotonic regression だったり、その他にも研究の種がいくつも産まれたので、今回もそういう生産的な時間にできればなと思う。

2026/03/26 (Thu.)

  • 共同研究が多いと最早自分の主著のリバッタルに優先的に時間を割くのはかなり難しいな。こうやって PI はみな論文を自分の手で書かなくなっていくのか、という片鱗を感じられる。なんとしてでもそこに抵抗したいけれど。
  • 講義ノートを10ページほど作った。これで6分の1くらいの量にはなるんじゃないかと思う。6分の1と聞くとだいぶ encouraging な心持ちになってくる。あと1、2週間でどこまで作れるかわからないけれども、もう20ページくらい(すなわち全体の半分)作れたらだいぶ楽になれそう。NeurIPS の主著新規投稿は完全に諦めているので、そのかわりに講義ノートをゴールデンウィークくらいまでに作り上げられれば。

2026/03/25 (Wed.)

  • 二週間ぶりに京都に帰ってきた。正真正銘アゼルバイジャンから帰ってきた。3日経ってもまだ夢見心地で反芻する。良い国だった。
  • NeurIPS におそらく(新規)投稿するであろう共同研究をカウントしていたら少なくとも4件あった。気づいたら本格的に PI っぽくなっている。4件だとまだなんとかマネジメントできる範囲だが、とにかくこれから先は仕事を選んで絞っていくことを強く意識しなければますます首が回らなくなっていくのだろう。難しい選択である。

2026/03/24 (Tue.)

  • 重い腰を上げて講義ノートを作り始めた。まずはイントロなのでまだ筆がスラスラ進む段階だけど、概算1講義分を作った。といっても4ページほど。経験上90分の講義だと高々4、5ページ程度だろう。ちょうど classification-calibrated loss に差し掛かる手前のあたりだが、プレゼンをどうするか、どこまで厳密にすべきか悩む。というか自分が confortable に喋れる厳密さの加減がわからなくなってきて、原論文を読み返し始めて、理解が浅かった部分ないし忘れかけていた部分を思い出し始めた。大変ではあるけれど、こういう一瞬一瞬が講義をする側にとっての最大の報酬といえるだろうと思う。

2026/03/23 (Mon.)

  • 休暇明け初日、フランス大使館にビザの申請に行ったらイタリア大使館に行けと言われて突き返された。毎度思うがあそこの大使館だけやたらと日本人スタッフの態度が悪くて気分が悪くなる。最近はビザはだいぶ余裕を持った申請を続けられてきていたが、今回は予期せぬアクシデントで突然暗雲立ち込め始めた。
  • 学生とのミーティングで1ヶ月ぶりの NII へ。学生は LLM を駆使しながらも突如面白い研究の設問に辿り着いて、研究然としてきた。こういうときの指導はなかなか悩む。本人がどれくらい導出した理論の背景をわかっているのかどうかを外から測るか。どうにも共同研究者に結構投げてしまっているような印象がある。研究なので別に共同研究者と分担するのは全く良いのだけれど、全体は把握しておいて欲しい気持ちはある。今日は三人でのミーティングだったので少し突っ込んだ質問はしにくかったが、今度もう少し深堀りしてみるか。
  • 帰り道は流れで中国人留学生数人とペルシャ料理屋(偶然!)でディナーを食べた。とかく誰が何本論文を書いているという話が多く、時代背景的に仕方ないにはせよ、なんだか junior な世代にとっては本当にプレッシャーな時代だろうなと思った。解きたい問題が溢れんばかりで打ち込んでいるのなら良いのだけれど。下の世代の競争を見ていると、自分もどうすべきか考えさせられてしまう。論文をもっと書いたほうが良いような気もするけれど、もっと書いてどうすんのという感じもあるし。

2026/03/22 (Sun.)

  • イスタンブールを経由して東京まで戻ってきた。往復ビジネスクラスのおかげで飛行機の中で学生の原稿を集中して読むことができるし、着いた後も時差ボケもなくそのまま仕事に励める。しかしこうもシームレスに日常に戻ってくると、自分がアゼルバイジャンにいた一週間というのは、なんというか本当に夢物語のような気さえしてくる。本当に旅行の満足度が高い国だったなあと思う。

2026/03/20 (Fri.)

  • この数日間、毎朝早起きしてミーティングしてバスに乗り込んで、を繰り返していて、今日がはじめて朝ゆっくり寝られる日。多少惰眠を貪って、朝食をホテルでゆっくりと食べて、そして最終日でバクーのまだ見られていないところを見て回った。
  • 慣れてきたので路線バスを使って市内を移動する。するとあり得ないくらいの洗濯物が干された鉄錆まみれの雑然とした住居群が目に入る。場所で言うと Darnagul のあたり。まるで吉田寮をいくつも並べたかのような光景。どうやらこのあたりは旧ソ連時代の簡易大量生産住居(フルシチョフカ)らしく、ウォーターフロントの開発が劇的に進んでいる一方で、まだまだこうした旧ソ連時代の生活が根付いている地区もあるらしいとのことだった。思わず来た道を引き返してわざわざ写真を撮りに戻った。
  • その後ウォーターフロントのショッピングモールにランチを食べに行こうと思って、偶然通りがかった海辺の荘厳なモニュメントが気になって、ランチの後に戻ってきたところ Victory Museum、つまり2023年のナゴルノ=カラバフ紛争の勝利を記念した博物館だった。残念ながらノウルーズで休館だったが、殉職者の名前が外壁に刻まれており、アゼルバイジャンの少なくとも政府がこの紛争にかける想い(執念?)の深さが滲み出ていた。結局何がナゴルノ=カラバフ紛争の根本なのかが全然わからなくて調べて、「地理的にはアゼルバイジャン、民族的にはアルメニア」というところまでは良いものの、じゃあなんでアルメニア人はこの「陸の孤島」のような場所に住み着いたのかがわからなかった。完全にはわからなかったものの、どうやらアルメニア人は歴史的に山岳地域での定住農耕とそれに伴う防衛を好む生活様式、対するアゼリ人は元々がテュルク系の遊牧民だったゆえに平原を好む生活様式だったらしく、ちょうど高地になっているカラバフにアルメニア人が多い民族分布が19世紀頃までに成立していたらしい。その後はスターリンの鶴の一声によるゲリマンダーなどが決定的な火種になったりと、比較的情報の多い話である。

2026/03/19 (Thu.)

  • 早起きして片道3時間の道のりを往復して Lankaran への日帰り旅へ。Quba とはまた違った地方都市の雰囲気があって、活気がとてもある。最初に中央市場に飛び込んだので、人のごった返し具合とその中を無理やり車が突き進もうとするカオスがまるでインドかと思った。が、少し離れると小洒落たレストランが並んだ綺麗な通りがあって、たった徒歩5分の距離なのに温度差の大きさに唖然とした。
  • Khan’s palace、Heydar Aliyev Museum など、やはり Novruz の前日というのもあってどこも休館らしかったが、僕が入口で立ち尽くしていると地元の若者が僕を見つけて館長に取り合ってくれて、どちらもわざわざ建物を開けて僕一人のために付き添って説明までしてくれた。年配の方のホスピタリティの手厚さ、若者のどこかしらはにかみながらも興味津々に東アジア人とコミュニケーションを取りたそうに見つめてくる様子、この国の人達は魅力に溢れている。
  • お昼を食べてカスピ海も眺めて、時間も十分にあることを確認して、本当は予定していなかった Astara まで更に足を伸ばすことにした。イランとの国境の街。日本で生きている性として陸の国境には得も言われぬときめきを感じるし、しかもイラン、戦争がなければ国境だって越えたのに、本当に恨めしい。体制がどうであってもその国の文化と人は同じなのに。国境の 1km ほど手前でイランの方面にレンズを向けながらシャッターを何度か押し込む。大事を取って30分もしないうちに一応 Astara を離れたが、それでもこの地を踏みしめたことは忘れない。

2026/03/18 (Wed.)

  • Khinaliq で朝からハイキング。昨日は曇天に雪が舞う中で見通しがあまり良くなかったが、今朝は歩いているうちに段々と天気が良くなってきて、最終的には冠雪したカフカス山脈の壮大な山肌を独り占め出来ることになった。風もそれほど吹いていないゆえに、俄に鳥の鳴き声が聞こえる以外は無音。オホーツク海の流氷を一人で眺めていたときのことを思い出す。あのときと同様、3月という絶妙な時期にアゼルバイジャンの奥地でハイキングに繰り出す酔狂な人間はなかなかいないらしく、一人で歩いては景色を眺めることを繰り返していた。
  • 4時間ほどのハイキングを終えて Khinaliq を後にする。景色は壮大で綺麗なところだったが、ここに定住するのはかなり厳しそうだ。現地の人達は 4WD で山道を運転するのは必須だし、本当に逞しいと思う。Quba も2回目となると親近感が湧いてきて、車がビュンビュン行き交う外れの道を一人でボストンバックをぶら下げながら歩いたって平気になってきた。相変わらず市中では全く英語が伝わる気配はないけれど、昼ご飯を食べたり、チケットの手違いのトラブルを解決したり、気合いでなんとかコミュニケーションをする。どんな人も Çox sağ ol と言うと笑顔を見せてくれる。本当はもっと現地の言葉を知っているべきだったのだけれども。
  • Quba から Baku へのバスは疲れでぐったり寝ていたらすぐに着いた。Baku の Avtovağzal は市街地の洗練された町並みを全く感じさせることはないのだけれど、メトロに乗り込んで Nizami street まで戻ってくると、Khinaliq、Quba にいたのは夢だったのかと思えてしまう。あそこを人生でもう一度訪れることは難しいだろうけれども、オホーツク、El Chalten の景色のように、何年経っても心のなかで生き続けるのだろう。

2026/03/17 (Tue.)

  • 朝からバスに乗り込んで Baku から Quba、そして Khinaliq へ。Baku から Quba のバスは全く観光の気配を感じさせず、そもそも Baku のバスターミナルも巨大にして無骨で、外様にとってはデスクに聞きでもしないと所望のバスの搭乗口がどこなのかもわからない。デスクの人は若めなので英語は通じるが、それ以外の通行人は当然英語が通じるわけもなく、身振り手振りとスマホの画面を見せながら、あとは Çox sağ ol(アゼルバイジャン語で Thank you so much)で何とか乗り切る。大型バスの乗客も全員地元の人。途中で後ろの席の女性から英語で声をかけられたところ、どうやら日本のアニメファンらしく、それで僕が日本人然していたから気になっていたらしい。Baku で英語と数学の教師をしているそうで、だから英語が堪能なのだが、聞くところによると片親がロシアの Tyumen(チュメニ)の出身、もう片親がアゼルバイジャン人だそう。なので、ロシア語、アゼルバイジャン語が母語でありつつ、英語とトルコ語が出来るらしい。なんという才媛だ。Tyumen という響きが懐かしすぎる。シベリア鉄道に乗り込んだ9年前にほんの一瞬駅に止まっただけだが、たったその一瞬だけでも親近感が湧く。生粋のアニメファンということで日本語の挨拶や簡単な文法は知っており、僕が適当な日本語を教えるとすぐに吸収してしまう。チュルク語族はどうやら母音のバリエーションが多く、大抵の言語の発音は真似できてしまうそうだ。2時間の旅路話し込んでいると政治の話にもなったりするが、まあとにかくどうにか少しでも平和になってほしいと思う次第だ。アゼルバイジャン・アルメニア関係だってそう、日中関係だってそう、とかく当局によるプロパガンダの浸透が相互に激しく、少なくない割合の市民が過激化しているがゆえに、相互融和がますます難しくなっている。彼女は弟がじきに兵役に行くそうで、そのことをとても気に揉んでいた。本来は薬になり得るはずの「愛国心」が、昨今は毒としてしか機能していない場面が多すぎる。そんな話をしながら気づけばあっという間に Quba に辿り着き、そこで別れた。
  • Quba で降ろされた場所は想定とは違い、バスターミナルではなく車庫らしい。ただ道路が伸び、沿道にはぽつりぽつりと車屋やよくわからない建物が疎らに並んでいる。Baku の先進的な町並みと比べると、一気にローカルな都市になった。実際日本の地方都市の外れの方だってこうなのだが、言葉がまともに通じない国の地方都市でただだだっ広いところに取り残されると、突然不安が込み上げてくる。とぼとぼと歩いて「トビリシレストラン」という文字列を目にしたので、ここで腹ごなしをしなければ他に選択肢はない!と、建物に入る。幸い清潔感のあるレストランで、地元では割とランクが高めのところなのだろうか。いやしかし Google map には情報の気配も感じられない。そうか、(英語圏の)インターネットには存在しないレストランに来ることができたのか!途端に旅の醍醐味の味を噛み締める。昨晩 Quba 行きが突如不安になって LLM と散々レストランの相談などをしたけど、当然こんな店は出てくるわけがない(追記: インスタグラムがある。見るとなんと先月オープンしたばかりらしい。どうりで「インターネット」には存在しないわけだ!)。ウェイターのお兄さんはやはりほとんど英語はわからないようだが、メニューの写真と、あとは身振り手振りで何とかする。これくらいだったら翻訳アプリに頼るまでもない。頼んだのはシュクメルリっぽいような、でも結局よくわからずじまいのグラタンのような料理。Quba は Baku よりも一気に寒さが増すからありがたい。食べ終えて Bolt で少し街を巡り、泥道をゆっくり歩きながらバスターミナルに向かう。
  • Quba から Khinaliq に向かうために、予め予約していた 4WD に乗り込む。車校に通い始めて車の操作に多少の興味が湧いてきた手前、4WD の謎のレバーとフットペダルをまじまじと眺めるのだが、何をやっているのか皆目見当がつかない。道は半分を過ぎた当たりから山道がますます険しくなり、ヘアピンカーブに12度超えの坂道だらけ。ドライバーのおじさんはものともせずに40、50キロを保って走り続ける。道の険しさが増すにつれて、カフカスの峻険な岩肌、地層、岩壁が次々と目に飛び込んでくる。El Chalten に向かうとき (2024/02/17) の道中も景色が頗る美しかったが、カフカスはまた別の、険しさを備えた荘厳さと言うべきか、挑戦者を試すかのような山肌を見せつけてくる。ここまで来ると Quba で路頭に迷いかけたのが阿呆らしく思えてくる。このカフカスの景色、なんと贅沢な時間なのだろう。

2026/03/16 (Mon.)

  • ツアーで知り合ったドイツ人夫妻、特に奥さんの方が多言語に堪能らしくて(ドイツでフランス語の教師をしているそう?)、フランス語で少し雑談してとても盛り上がった。いや、本来であればドイツ語で何か喋りたいのだけど、僕の限られたドイツ語の知識では neunzig sechs くらいしか言えなくて(しかもこれも間違っていて、正しくは sechsundneunzig だった)。夫妻はなぜかロシア語もまあまあわかるらしく、ツアーガイドは英語とロシア語を度々切り替えながら説明してくれていたのだが、ロシア語の説明も楽しんでいた。いいなあ。フエゴ島のクルーズツアーでスペイン語がわからず「スペイン語がわかればなあ」と思っていたときの気持ちが蘇ってきた (2024/02/25)。いずれにしても、2年弱の継続的な勉強のおかげで突発的にフランス語で多少雑談するくらいのことはできるようになってきて、達成感は大きい。直近では急激な成長はもうあまり感じられないけれど、でも勉強を続けていくモチベーションにはなる。言語学習って楽しい。
  • 今日はバクーの外れ、ゴブスタンの火山やアテシュガ神殿をツアーで回った。自分で行こうとするとバスを乗り継いで、各観光スポットにたどり着くのだけで一時間はかかりそうで、本当にツアーの車には頭が上がらない思い。拝火教ことゾロアスター教、名前は耳にするものの、文字通りの land of fire で自然の火を目にしていると、確かにアニミズムの延長線上に帰依心が芽生えそうなのはわかるような気がする。多宗教が渾然一体となって共存する土地、アゼルバイジャン。

2026/03/15 (Sun.)

  • なんとかバクーに辿り着いた。深夜の間も便の振替手続きが何時間も続き、結局最終的にラウンジで1時間半くらい仮眠を取っただけだったのだが、昼過ぎにバクーに着いてなんだかんだ睡魔に襲われることもなく半日しっかり歩き回って観光した。今夜はいよいよ2日振りのベッドで(一昨日はビジネスフルフラットだから横に離れていたものの)嬉しさが込み上げる。
  • バクー、まず国際空港が異様に綺麗だし(予算を投下した結果派手になりすぎているとかそういうこともなく)、街に聳え立つ摩天楼は勿論だが全般的に清潔感の水準が高い印象。日本、韓国以外でこれくらいの清潔感の高さを保っている国はまず思い当たらないので、驚かされる。町中はオールドシティであれどこであれ、常にフレイムタワーは目に入るようになっており、場所によっては中世の町並みが麓には広がる中、超モダンなフレイムタワーが背後に見えるといった、新旧の融合が面白い具合に実現されている。ドライバーやスタッフ、誰と喋ってもリスペクトと優しさの両方があり、安心感を覚える。本当になんなんだこの国は、と思わされる。

2026/03/14 (Sat.)

  • イスタンブール着。降り立った瞬間、仕事でもないのに海外の空港に降り立ったことに対するワクワク感が止まらない。仕事で海外出張するのは当然嫌いではないのだけど、プライベートで空港に降り立ったときの高揚感はここまでだったか。思い返すこと2019〜2020年に延々とループしていたNulbarich の VOICEの MV が本当に好きで、いつかイスタンブールに聖地巡礼できたらと思っていたので、念願叶ってガラタ橋を拝むことができた。VOICE を聞きながらボスポラス海峡を眺める、なんと贅沢な時間なんだろう。後生ここに来ることがあるだろうかと思うと、人生大一番の一瞬なのではないかとさえ思う。
  • その後、通りすがりのブラジル人に飲みに行こうと誘われて、怪しいなあと思いながらなんとなくついていったが、案の定ぼったくられた。もう途中からはそうだろうなと思って諦めていた。10年ぶりのぼったくり、10年に一度くらいそういうことはあっても仕方ない、と思って諦める。しかも勘定に手間取ったせいでアゼルバイジャンへの乗継便を逃す始末。幸いにして明朝の乗継便でなんとか振り替えてもらえたし、仕事でもないのでこれくらいのトラブルを解決するのも醍醐味と言えるかもしれない(?)。いずれにせよ、その御蔭でメトロの中で意気消沈していたらしい僕を見かねたクルド人夫妻と仲良くなったり、ターキッシュエアラインズのオーバーブッキングの憂き目にあった台湾人と仲良くなったりと、まあこれはこれで良いのかもしれない。予定調和でないくらいでちょうど良い。さて、明日はバクーに辿り着けるのだろうか。

2026/03/13 (Fri.)

  • 出国前の大仕事で領域会議に来た。来る前まではなんでこんなに領域をするのかと思って気が立っていたが、来て知り合いと喋っていたら盛り上がって楽しくなってきてしまった。案外チョロい。まあ昨日で査読は終えたし、3月の大きな仕事は講義準備だけなので(これは全く手を付けていないが)、領域会議で半日くらいガス抜きしたっていいかもしれない。
  • お台場は半年ぶり (2025/10/25)。東京テレポート駅に降り立ってダイバーシティ東京に入ると、非日常感に包まれる。なにか理由のない特別感があるが、いつもそれなりに忙しいゆえにそそくさと通り過ぎてしまう。いつかゆっくりと時間をとって遊びに来たいものだ。
  • さて、京急線に乗って天空橋まで来るといよいよ旅に出るのだという意識が芽生えてきた。寝て起きたらもうフライトだ。全くどうなることやら。

2026/03/12 (Thu.)

  • COLT の査読7本終わり。論文によっては結構大変だったけど、技術的にもそこそこ重要なポイントを指摘出来たんじゃないかと思う。査読の質としては悪くなかったと信じたい。
  • ランチで学生指導について話し込んだ。教員目線で100%のクオリティを学生の研究に求めるべきではない、というのを先日 Web で見たのだけれど、やはり統数研の雰囲気では「むしろ100%を求めるのがあるべき指導ではないか」という立場の人が多かった。それは全くもって理解できるし、僕自身だって50%くらいのクオリティで相談された研究は100%に近いクオリティまで改善できるようにフィードバックするし、そうしない限り自分の名前をぶら下げて論文を出版することに対する生理的嫌悪感がある。そもそもこういう指導方針は教育をどこまでスケールアップさせたいか・させるべきかという内的・外的な圧力にも依存する話で、分野ごとに状況は全く違うゆえに統一的な議論は意味をなさない。ただ僕自身は100%とは言わないでも85%は目指したくなるし、それがアカハラっぽくなりそうだという危機感は時折感じるが、しかし言葉を変えて可能な限りマイルドになるように伝えるしかない。そして自分の指導学生でもない限り、究極的には僕自身が責任を持つ話でもないのだ。指導教員に責任を持ってほしいものなのだが、まあ社会がやたらと博士号の輩出数を増やそうとする外圧をかけてくる以上、量と質のトレードオフに直面せざるを得ないのも現実なので難しい。

2026/03/11 (Wed.)

  • アゼルバイジャン旅行が目の前に迫っていると思うと途端にホームシックになってきた。次に京都に帰るのはもう2週間後だし。旅行に行きたい気持ちもある。体がバラバラに引き裂かれそうな感覚。
  • しかし、今回のイランの件は様々な立場があることは理解できるにせよ、あからさまに中間選挙向けのパフォーマンスの要素が強く見え隠れする点に辟易とする。選挙のために戦争する、あまりにも馬鹿馬鹿しい文字列でしかない。
  • 修了生を送る会で雑談をしていた。「自分の武器を作るべき」という話があって、偶然 Montanari の論文を読んだりしていた。Montanari の出版論文を見返すと、mean-field theory でニューラルネットの理解を進めたいという激烈な意志が感じられて、逆に言えばそれ以外のテーマには脇目も振らず、自分の全エフォートをそこにつぎ込むスタイル。どんなにより新しい流行のテーマが出てこようと、自分が重要でやるべきと思うテーマにひたすらフォーカスする人間は、僕みたいなランダムウォークをしてしまう人間よりも遥かに遠くまで行けるのは自明なことであろう。5年も経てばその差は歴然とする。1テーマに固執した方が、例えば学生指導という面でもより dense な議論ができるのは間違いないだろうし。悩ましい。きっと Montanari だって2層ニューラルネットよりも新しい流行りのトピックに移り気が無いことは無いだろうと想像する(例えば Transformer や Muon に関しては少なくとも出版履歴からは我関せずのように見えるが、周囲の盛り上がりを考えると移り気がないことはありえないだろう)が、それでも2層ニューラルネットにあまりに多くの open question が残っており、それが彼の心を掴んで離さないのだろうか、と想像する。まあそういう観点で言えば、僕は一見移り気甚だしいが、凸解析を通じた汎・問題構造的なメタ構造に興味があって、それは僕の心をずっと突き動かしている。単純に2層ニューラルネットよりも競技者人口が少なくて一抹の寂しさを覚えることが少なくないということで。ああ、結局は「寂しさ」が自分の根源的な悩みの一つなのかもしれない。でもそれは研究者として生きているからには最先端で誰も知らない現象を自分だけが掘り進める以上、多寡の差はあれど耐え忍ばなければならないことであって、仕方のないことなのだろうとも思う。

2026/03/09 (Mon.)

  • 気づいたら今週末にもうアゼルバイジャン旅行が迫っている。今回はビザも不要だし、驚くほど何も準備をしておらず、航空券以外と言えばホテルも現地交通機関も、何なら目的地すら決めていない始末。ようやく腰を上げて情報収集をしはじめたら、アゼルバイジャンに驚くことなかれ、一週間では到底周りきれそうにもないほど魅力的な街や村、自然がありそうだった。仕事のスケジュール上1週間以上あけると差支えがあるし仕方ないが、まあこれは嬉しい悲報だ。俄然アゼルバイジャン行きが楽しみになってきた。
  • 旅行前に査読を終わらせるべく読み進めて、今日で COLT の査読は 5/7 を終えた。COLT とは言え、投稿論文の段階では意外に低クオリティの論文も少なくなく、そういう意味では7本のアサインは想像よりは重くなさそうだった。投稿論文のクオリティのばらつきは ALT に近さを感じる。あちらも良い論文は本当に良いのだけど、目も当てられない論文も同程度にある印象。

2026/03/06 (Fri.)

  • 久しぶりにオフィスに来てレターボックスを覗いたら、なんと昨年出版した本 (2025/03/08) が今年の青山学院大学の全学科・一般の二次試験の国語の問題として使われていたとの連絡が届いていた。コピーも入って送られてきていたが、いかつい「国語」と書かれた威圧的ないかにも試験問題然した表紙をめくると、大問一の書き出しに非常に見覚えのある文章が載っている。穴埋め問題などもあって、書いた本人はそりゃ選択肢を見れば一発で答えがわかるのだけど、意外にわかるかわからないか微妙なところを攻めた設問で、高校生の国語力を測るには絶妙な難易度感のように見える。現代文の問題なんて10年振りに眺めたが、10年も経って見てみると、試験で聞かれていることは結局ディスコースマーカーを拾いながらきちんと論理的に同値関係や対義関係などが追えているかということで、それは徹頭徹尾論理パズルなのだということを追認させられた。いやしかしまさかこんなことがあるとは。
  • 学会開催後で流石に疲れてしまい、一日中眠い。そんな中1時間ミーティングを連続3件ぶっ通しでこなす。学会運営していたからといって、学生の研究を放置しておけるわけではない。明日は仮免試験だしなかなか休まらなさそうではあるが、多少週末に体力を回復させたいところ。

2026/03/05 (Thu.)

  • 4日間の学会を終えた。流石に4日目ともなると体力の限界を感じるが、それにしてもだいぶ勉強や議論をすることができた。学会の合間にも書類仕事や査読を止めることなくちまちま進めることができた(秘訣は朝の5時半に起きてから学会が始まるまでそういう仕事をすることだということがわかった)。

2026/03/04 (Wed.)

  • JMLR 論文が最終的に公開された。もうそれは本当にようやく。COLT2024 で一度不採択になった後が大変で、流石にここに書くのも憚られるような酷い話(直接的な被害も間接的な井戸端話も含めて)があり (2025/12/07)、一時は査読結果に腸が煮えくり返って平静も保てないタイミングもあったが、寝かせて落ち着きを取り戻し、多少のウィットを効かせた皮肉を真面目に読んだ人だけが気づくように論文に埋め込んで、最終的に公開。長い旅路だった。JMLR にはじめて論文が採択されたというのも、機械学習研究者としてのひとつのマイルストーンだろう。

2026/03/03 (Tue.)

  • やっぱり学会は良いものだ。40人程度の規模だから踏み込んだ技術的な話もゆっくりできるし、単に同窓会的な意味合いでも楽しい。あとは学会を聞いている合間に事務仕事と論文修正、ポスター作成などもぽんぽん進んで調子が良い。明日から折り返し。

2026/03/02 (Mon.)

  • FIMI 1日目。京都から新宿へ早朝通勤。病み上がりではあったが、午後から段々と調子が出てきて、自分の発表は卒なくこなせた。結構良い質問が来て嬉しかった。Brenier isotonic regression は個人的には会心の出来の面白い研究なので、何も意識しなくても素で楽しみながら喋れる。「数理ってこんなに綺麗で実用的なんだ」というのを体現している力作。我ながら良い仕事をしたものだなあと思う。
  • ランチの流れで Guillaume さんと二人でお店に入ることになった。本当にありがたいことに、二人きりになった瞬間に Guillaume さんはフランス語で喋りかけてくれる。正直かなり集中しないと聞き取れないことが多いけれども、僕がどんなに辿々しくて噛み合ってるのかもよくわからないフランス語を返しても真摯に耳を傾けてキャッチボールしてくれるのでありがたすぎる。
    • フランス語での会話は相当に集中力も必要だし疲労するのだけれど、この感覚、昔小学生の頃に祖父母と中国語で話すときの疲労感に似ているな、とふと思い出した。たぶん喋れている内容でいうと小学生の頃の中国語の方がまだ上だと思うけれど、疲労感の近さを鑑みると実はフランス語で喋れるようになっている内容も意外に馬鹿にならないのかも、と思えてきた。まだ全然辿々しくて胸の張れるようなレベルではないのだけども。

2026/03/01 (Sun.)

  • イランとイスラエル、アメリカの戦争が始まってしまった。これほどまでに無垢の人々が犠牲になるのに、なぜ看過されるのか。この数年で多くのイラン人の学生と知り合う機会に恵まれて、みな真摯に科学に取り組んでいる点では同じく切磋琢磨しているのに、なぜ彼らの家族や親友だけが理不尽な危険に晒されなければならないのか。為政者が安全地帯からチェスの駒を操るかのように戦局を弄ぶのが許しがたい。