アルゼンチン旅行記(前編)

2023年9月17日(日) 京都

 月末で閉館との話を聞いて、京都みなみ会館に行った。月末まで上映している映画の一覧を眺めて、ウォン・カーウァイ監督の同性愛ドキュメンタリーの香港映画『ブエノスアイレス』と、自然愛護をテーマとしたポーランド映画の『EO』を観ることにした。普段はこんなに一日で映画を観ることもないので新鮮な気持ち。独特のブレ感のあるカメラの視点とか、セリフが少なくて表情に訴える描写など、ミニシアターらしい映画の良さがある。去年京都シネマで観たヒルマ・アフ・クリントのドキュメンタリー(ハリナ・ディルシュカ『見えるもの、その先に — ヒルマ・アフ・クリントの世界』)を思い出す。明確なストーリーとセリフを持たない映像作品だと、なおのこと作り手の技量が要求されそうだ。二作とも違った方向性の、監督の個性があった。商業的な香りが清々しいほど漂ってこないところに、人間固有の信念が滲み出ているように思われる。

2023年11月28日(火) 京都

 ウォン・カーウァイの『ブエノスアイレス』を観てから、妙に『Happy Together』のメロディーが頭の中を駆け巡ることがあって、南米大陸への憧憬が募る。セリフもなくメインテーマがただループするだけの、イグアスの滝の滝壺の絵。そのモノクロの水飛沫の映像を思い出すと、自然とウィンの心の中に渦巻くどす黒い感情が想起される。見た直後は漠然と良かったけれどもとりわけ非常に印象的というわけでもない、ふわふわとした感情でしかなかったのが、最近再燃しつつあり、どうしても頭を離れない。その勢いでアルゼンチンビザの申請手続きに踏み切ってしまった。「まだ引き返せる」と心中で唱えながら。

2023年12月9日(土) 京都

 明日から出張でニューオーリンズに飛ぶ予定なのにもかかわらず、アルゼンチンのことが頭から離れない。もう居ても立っても居られず、アルゼンチン行きの航空券を衝動的に買ってしまった。ビザもまだ出ていないのに。12月に入ってからは毎日 Google Flight の航空券価格の推移を見るのが日課になっていた。今日は底値に近かった(往復26万円)ので、これ以上悩むくらいなら買ってしまえ。

2023年12月22日(金) 京都

 ニューオーリンズから帰ってきて数日の間コロナで頗る体調が悪くて寝込んでいたのがようやく快方に向かってきて、そのタイミングを見計らったかのようにアルゼンチンのビザが降りた。ビザと航空券があるので、原理的にはアルゼンチンに行けることが確定したわけだ。南半球に行ったことがなく、踏みしめたことのある最南端の地でさえもバンガロールにすぎない。にわかに信じられない。南米旅行?片道でさえも14時間のフライトを2本乗り継ぐ?あの写真でしか見たことのないパタゴニアの景色を直に拝めるのか?

2024年2月2日(金) 京都

 論文を投稿した。3週間弱休暇を取ることになるので、それまでに納得の行く良い研究を仕上げなければいけないという背水の陣で年始から仕事をしてきたので、ようやく肩の荷が多少降りた。年始から日常生活以外のほとんどの時間を研究に費やしていたので、旅行の準備がまだ何もできていない。アルゼンチン、どこに行くべきか。ブエノスアイレスとパタゴニアは外せないとして、ウォン・カーウァイをリスペクトするならやはりイグアスの滝を拝まないわけにはいかないのではないかと思っていたけれども、パタゴニアからイグアスがほぼアルゼンチンの南北縦断になるゆえ、旅程がいかんとも立てづらい。パタゴニアからフエゴ島だと交通の便も悪くなさそうなので、やや遺憾ではあるものの、フエゴ島を目的地にする。4年前にナイアガラには行ったので、まあ瀑布は一旦十分だろう。

2024年2月13日(火) 東京

 今日から3週間弱の休暇。現職に来て初めて1週間以上まとめて有給休暇を取るので新鮮な気分だ。まずは東京まで移動しつつ、その間に査読やミーティングをこなす。これも旅先で気持ちよく過ごすための準備の一環。

 この日の夕方は、友人の個展を見に表参道のギャラリーに立ち寄った。展示のテーマは「作品と人間の主体性について」であり、これ自体は僕自身も計算機や科学によってその対象だけでなく観測者・操作主体と思われていた側すらまでも脱個性化、客体化されていくのではないか、と感じていたので、相当に刺さるテーマだった。展示を見終わった後に二人で雑談をしていると、友人の口から滔々と鋭い言葉が紡がれていく。「“デジタル” は逆説的に “アナログ” の実存を再現を希求する」「アートや科学のプロトコルは脱個人化を促すかもしれないが、それに内在する主観性のデコードは可能なのではないか」

2024年2月14日(水) 東京〜Frankfurt〜Buenos Aires

 片道のフライトが28時間であまりにも果てしない。映画を見ても寝て起きてもまだ時間が有り余っているので、暇つぶしにジャーナルの査読を進める。休暇中なんだけどな。フランクフルトに着くも束の間、わずか2時間で次のフライトに乗り継ぐ。早く着け。

2024年2月15日(木) Buenos Aires

 ブエノスアイレスに着いた!もう一本14時間のフライトに続けて乗れと言われたらもう耐えられない、ギリギリのラインだった。これだけフライトが長いと、到着したときの高揚感はとてつもない。機内で観たクリストファー・ノーランの『ダンケルク』がよかった。年末のアメリカ出張のときに観たノーランの『TENET』も結構良かったけど、自分は『ダンケルク』の方が好き。セリフは少なめの映画で、ダンケルクのシリアスな救出劇を静謐な音楽とともに映像で描く。本当に良い絵には余計な言葉はいらないということがよく分かる。『EO』もそう。

Rivadavia 通り

ブエノスアイレス市議会①

ブエノスアイレス市議会②

Piedras 通り

Independencia 通り

 噂には聞いていた「南米のパリ」、整ったきれいな景観ではあるが、パリと比べて印象的なのは街路樹が多く車道も歩道も広いことだ。都市設計が18、19世紀だったから、計画的に用地を確保する余裕があったのだろう。真夏で炎天下ではあるものの、緑が多いためかそこまで耐えられないような暑さという感覚はしない。

BAR SUR

BAR SUR 近撮

 ブエノスアイレスに着いて一目散にまずするのは、もちろんウォン・カーウァイのロケ地巡り、とりわけ劇中で印象的だった BAR SUR だ。劇中ではホテルとして描かれていた BAR SUR、なんと30年近く経っても現役で、そして本物はタンゴバーとして営業している。このドアガラスの質感、絶妙なレトロ感を感じさせる店名のフォント、街灯、どれをとってもただひたすらに良い。観光地である San Telmo の近くに位置しているものの、ここはそこまで人通りが多いわけでもなく、ただ静謐なその路地裏にひとり立ち尽くしていた。だって四半世紀も前の映画に刺激を受けて南米にまで来るきっかけになったそのロケ地が、四半世紀後もまだ原型を綺麗に留めて現前している。どんな言葉であっても言い尽くすことのできない感慨である。

2024年2月16日(金) Buenos Aires

Palacio Barolo

Recoleta 墓地

MALBA

 ブエノスアイレス2日目、思いの外暑くて日中はあまり徒歩で長時間活動できない。カフェをはしごしながら現代美術館や墓地を巡る。ブエノスアイレス市内は、Retiro 駅北の Villa 31 地区や Boca 地区の路地裏のような明らかに治安が悪いことで有名な場所にノコノコと入らなければ、普通に大通りを歩いている分には危険を感じることはない。人混みで溢れかえっていていつ何時も自分の荷物から目を離せないパリ市街地に比べると、そこは随分と気が楽である。英語はやはり地味に通じない。適当なカフェやバーに入ると、3回に2回くらいは英語が通じなかったりする。ただ、なぜかよくわからないが雰囲気でなんとなく意思疎通ができている気がする。フランスやロシアでは翻訳アプリを通さないとほとんど無理だったのと比べると、ラテン系の表情やボディランゲージの豊かさ故か、なぜかわかる。気がする。

夜の BAR SUR

 夕方には再び BAR SUR に来た。今日はタンゴを観るために。『ブエノスアイレス』の舞台の建物そのものの中にいるということに言葉にならない嬉しさを感じる。タンゴを観たのははじめて。軽快なラテンアメリカ音楽とともにキレの良い踊りに見応えがある。アコーディオンの旋律が20世紀のブエノスアイレスを想起させる。これを観れただけでも地球の裏側まで来た甲斐があるように思える。

2024年2月17日(土) El Chalten

ホルヘ・ニューベリー空港から臨むラプラタ川

 ブエノスアイレスでの綺羅びやかな夜の思い出が冷めやらぬまま、ホルヘ・ニューベリー空港へ来た。これから1週間、パタゴニアへ向かう。空港のチェックインの待ち行列で、カバンに押し込んでいたボルヘス『アレフ』を読む。

エル・カラファテ空港とアルヘンティノ湖

 そうこうしているうちにブエノスアイレスから3時間、エル・カラファテ空港に着く。搭乗ゲートを潜り抜けた瞬間、活気のあるブエノスアイレスとは全く異なる空気が流れていることを肌身で感じた。冷涼で乾燥した風が吹き抜ける。空港のデッキから既に雄大なアルヘンティノ湖が、そしてそれ以外は何も見えない。荒野の只中に佇む陸の孤島だ。

 今日一日がかりでエル・カラファテを経由してエル・チャルテンまで移動の予定だったので、本でも読んで過ごすか、と思っていたのだけれど、エル・チャルテンまでの道中の3時間のマイクロバスの旅路があまりにも美しすぎる。パタゴニア。砂漠に悠々と流れる浅葱色の大河、その向こうに広がるのは雪を戴冠した鋭い岩山。すごすぎる。窓の向こうを見入ってしまう。感情の高揚がいつまでも止まらない。ファインダーから目が離せない。

 ただひたすらに続く荒野、荒野、荒野。日本で育ってきたので山林に囲まれた自然には慣れ親しんできたが、ただ何も無い広漠な大地を拝んだことがなく、唖然とする。昔ペンシルベニアの田舎を Greyhound で移動していたときもそれなりに広漠な大地ではあったものの、あそこは草原や低木が広がっていた。一方のパタゴニア。生命の存在をほとんど感じさせない過酷な大地。自分が見たことのない景色が地球上にはまだごまんとある。

Fitz Roy

 幹線道路の休憩所で止まって、フィッツ・ロイを眺める。優美であることには間違いないのだが、しかし風がとにかく吹き荒れている。ここまで来るとエル・チャルテンまでもう少しなのだが、それはつまりアンデス山脈の麓にほど近く、太平洋から吹き込みアンデスを越えてきた偏西風が直接吹き下ろす場所。体感でしか語ることができないが、ただ本州で経験する台風と同等か、ひょっとするとそれ以上の強さの風が、それもほとんど小休止を挟むことなく吹き続けている。こんなところではそれは植物も禄に育たないわけだ。アンデスの雄大な姿を拝むためにはこの試練に耐えなければならない。

エル・チャルテン地元のビアバー

クラフトビール

 エル・チャルテンに着いた。風が尋常でなく、30分と外にいるのはなかなかに耐え難い。エル・チャルテンの街はトレッキングの観光客と観光産業で働いている人だけからなる小さな村で、ざっと見てもせいぜい千人いるかどうかくらいの規模感だと思う。地元の湧水を活用したクラフトビールが多いと聞いていたので、早速ビアバーに入る。隣に座っていたインド人と話をしながらビールを飲んだ。彼はノーザンプトン住みらしく、旅行関係の仕事をしている関係でいろいろな国を旅してきたらしい。曰く、悪名高き南アフリカも、ケープタウンの治安は実際のところアルゼンチンとそうたいして変わらないとのこと。もし本当にそうだとしたら、近い将来南アフリカに行ってみるのも悪くない。

2024年2月18日(日) El Chalten

ミニバンでベースキャンプに向かう

トレッキング開始

 今日は待ちに待ったパタゴニアでのトレッキングだ。エル・チャルテンの街から車で1時間弱、ベースキャンプに着く。ここから半日かけて Laguna de Los Tres まで登る。あいにく天気がすぐれず、ベースキャンプで既にやや小雨がぱらついたり止まったりを繰り返している。現地の方曰く、二日に一日はこれくらいの微妙な天気ではあるという。

 最初の 10km ほどはそれほど険しい山道ではなく、砂利道や林道の中をすいすいと進んでいく。この日はたまたま他にツアー客がいなかったので、ガイドの Julie が自分専属で道案内をしてくれたのもあって快適だった。

 林道を歩いている中、ふと向こうの山肌に目を遣ると、突然氷河が見える。実はこのあたりは標高としてはせいぜい 400m くらいしかないのだが、太平洋の水蒸気を帯びた偏西風がアンデスを越えるときに雨雪が降り、それが凍って氷河になったのが長い時間をかけてここまで滑り落ちてくるのだという。あまりにも見慣れない光景で呆然とする。

 Laguna de Los Tres を目前に、ここから 800m ほどの急勾配を登る。この区間は風さらしの岩肌を1時間ほどかけて登っていくことになるので結構ハードだ。登れば登るにつれて風は強く、体感の風速では秒速 30m を超えている気がする。ここに関しては本当に Julie にガイドをお願いして良かったと胸をなでおろす。彼女は自分よりも年下にもかかわらず、パタゴニアでツアーガイドを4、5年経験しているらしく、夏場は週に3、4回ほどはこの周辺の山をトレッキングしていて慣れたもの。岩肌の上にはあまり目立った順路のしるしもないのだが、Julie がひょいひょいと道を示してくれたので助かった。

 ここまで来ると Laguna de Los Tres も目前だ。登ってきた岩肌を振り返ると、眼下には雄大な湖が広がっている。だいぶ登ってきたものだ。後ろを見ると天気が良いのに、眼前の岩肌の先は驚くほど霧がかっている。風も急に強くなる。もはや岩肌から吹き飛ばされてしまうのではないかとすら感じる。

 最後の岩山を登って越えると Laguna de Los Tres だ。この日は息を吸うのもやっとなほどに風が吹き荒れている。天気がよければ本当はこの湖の向こうに Fitz Roy が拝めるらしいが、今日の視界ではこれが限界だ。けれども、写真では伝わらないパタゴニアの風を全身で浴びることができたこと自体に、ここまで来た価値があると確信できる。

山から降りて麓でラムステーキを食べた

2024年2月19日(月) El Chalten

 昨日は一日かけて結局 25km くらいトレッキングしてまあまあ体力を消耗したので、今日はエル・チャルテンの街でのんびりと日向ぼっこをする。街から片道 3km ほど歩くと小さな滝があって涼しい。

 お昼は La Zorra という、パタゴニアで何店舗か点在するクラフトビールのバーに来た。ビールを飲みながらボルヘスを読む。

 たった二日しかいなかったが、稀有な自然の体験と美味しい料理、のんびりとした時間を過ごせた。エル・チャルテン、こじんまりとした良い街だった。泊まっていたコテージも小綺麗で快適だったので離れるのは名残惜しいが、まだまだ旅路は続く。

後編に続く)