東京大学令和3年度学位記授与式 答辞(第一部)
本日は先生方並びにご来賓の皆様のご臨席、また藤井総長ならびに宗岡校友会会長からのお言葉を賜り、誠にありがとうございます。修了生を代表して、皆様に心より厚く御礼を申し上げます。
新型コロナウイルス感染症下での学位記授与式も今年度で第三回目となりますが、まだ先の見えない感染状況の中にも拘わらず、ここ一年ほど国際情勢が大きく揺れ動いています。目立ったものだけでも、米国連邦議会襲撃事件にはじまり、ミャンマー国軍クーデター、アフガンのタリバン政権復権、そしてまさに先月ウクライナにおいて軍事作戦が開始しました。これらの国際情勢は様々な歴史的要因が絡まった複雑な問題ですが、誤解を恐れずに言えば「価値観の相違と分断」がもたらした問題と言えるでしょう。また、感染症対策を巡っても各国政府には感染状況と市民の自由のバランスをどのように取るのかという難問を突きつけられています。この問題も、公衆衛生と個人の自由という方向性を異にする価値観をどのように調和させるべきか、という形で換言できます。19世紀以降、通信・交通インフラ技術水準の飛躍的な向上に従って、グローバリズムが不可逆的に押し広げられてきました。現代社会の多くの問題は、個の活動範囲が急激に拡大してきたことによって個人や国家の価値観が相互対立している状況に起因しています。このように対立する価値観をいかに止揚するべきかは現代社会に生きる上で欠かせない課題の一つです。そこで僭越ながら答辞のこの場をお借りして、この問題にどう取り組むべきなのか、一研究者の観点から論じてみたいと思います。
大学院の間に私は計算機科学を専攻し、特に機械学習におけるコスト関数設計について研究してきました。一言で言えば、機械学習は過去の経験に基づいて知的な予測を行うモデルをコンピュータ上に実現する方法論です。予測モデルの実現には予測の正しさを定義するコスト関数を最適化しますが、モデルの評価尺度とコスト関数はしばしば乖離することがあります。言い換えれば、コスト関数を最適化しても必ずしも「良い」モデルが得られるとは限らないのです。私の研究は、具体的にはモデルの評価尺度、すなわちモデルの「良さ」の物差しが与えられたときに、それに応じて適切なコスト関数を設計することを科学的に試みてきました。しかし、「良い」モデルとは何でしょうか。近年は機械学習を取り込んだ人工知能技術が身近に用いられるようになっており、例えば SNS では利用者の好みに基づいた推薦機能が実装されていますが、狭いコミュニティ内で近しい意見同士が増幅してしまうエコーチェンバー現象の原因にもなりかねず、社会の分断を引き起こす可能性があります。このように、人工知能技術ないし技術一般の「良さ」の議論は価値観を問う難題です。私自身も研究する過程で「良い」技術とは何であるか長い時間悩んできましたし、現時点でも明快な回答を持っていません。
科学と技術について、著名な計算機科学者であり組版システムの TeX の開発者でもあるドナルド・クヌース氏は「自然科学とは私たちがきちんと理解し、コンピュータに教えることができる知識のことである。そうでないものは “art” が扱う範疇である」と述べています。この “art” という単語が曲者ですが、クヌース氏は「創意工夫や美的意識を要する技術的対象」を指して “art” と呼びます。しかし同時に、私は「芸術」や「人文学」の含意を意識していたのではないかと想像します。「良い技術とは何か」という問いは現代自然科学の範疇に収まらない、所謂「トランスサイエンス」であり、そこに回答を与えるためには特定の専門家集団に閉じこもらずに別の専門家集団や市民とのコミュニケーションを行い、問題提起し、そして議論を深化させていく必要があります。クヌース氏の言葉に準えれば、芸術や人文学が自然科学の扱えない領域に挑戦する足掛かりとなると理解できます。
専門一辺倒にならずに領域を跨いでいくことで学問一般は社会に対して新たな価値観を創出していく力がありますし、同時に社会変革のためにその責務を果たさなければなりません。この視点を欠いたとき、学問的価値観はときに意図しない影響力を行使することがあります。卑近な例を挙げますと、19世紀科学の大黒柱であるダーウィニズムは当初生物学の文脈で提唱されましたが、同時期の知識人を大いに刺激し、生物学的進化論とはパラレルに社会体制もパラダイムシフトを通じて「進化」するのではないかと論じる社会進化論が現れました。本来は学究的な試みでしたが、次第に帝国主義をはじめとした現存体制の正当化に使われるようになったり、またイデオロギーや人種にも自然淘汰が起こるといった排外的価値観へと繋がったりした影響は無視できないでしょう。こうした科学的価値観の持つ危険性を先鋭に批判した一人が、20世紀のスペインの思想家であるオルテガです。オルテガは社会に対して自分の担うべき義務を認識せずにただ享受するだけの人間を「大衆」と呼んで批判しますが、その中でも特に科学者を「大衆」の典型例として取り上げています。なぜならば、19世紀後半から始まった学問の専門分化が過度に進んだことによって、多くの科学者たちが細分化された領域で満足してしまい、より根源的な人間らしい生を追求しなくなったからであると言います。オルテガの批判は先ほどの社会進化論の歪曲を止められなかったエリートらに対して当てはまるどころか、1世紀近く経った現代の我々にも未だに痛烈に響くものです。専門家だから、リーダーであるから、それゆえに尚更特定の価値観に固執してしまい、それがグローバル規模で起こった結果が、現代社会に跳梁跋扈する排他主義ではないでしょうか。
少々悲観的にグローバリズムの功罪のうち罪の部分を論じてきましたが、私はグローバリズムが持つ功の可能性を信じています。それは、これまで無力な存在とされてきた一市民がかつてないほど大きな影響を持ち得ることです。1世紀前ではおよそ信じられなかったほど、我々は日々世界中の人たちと密接に関わりを持ちながら生活しています。この傾向は感染症下においても情報通信技術を通じてより加速されていると言えるかもしれません。だからこそ我々は高い倫理観を持って人類レベルの課題に取り組まなければなりません。我々は様々な水準において隣人との対話を重ねてお互いの価値観を知り、同時に自らの価値観が正しいのかを常に問い続け、そして価値観の合意点を探る不断の努力を積み重ねていかなければなりません。未知の事象や価値観というのは往々にして畏怖の対象となるからこそ、科学者は好奇心を武器にして市民を先導する責務を持っています。これこそが真のリベラルアーツであり、市民的エリートの責務であると私は考えています。
最後になりますが、本日に至るまでの長い間、学問や研究への取り組み方において多岐にわたるご指導をいただきました諸先生の皆様、ともに切磋琢磨してきた友人の皆様、学生生活を多面的にサポートしてくださった職員、そして修了生を暖かく見守って下さったご家族の皆様に、修了生一同を代表して改めて心より感謝申し上げます。皆様の健康と東京大学の益々の発展を祈念しまして答辞といたします。本日は誠にありがとうございました。
2022年3月24日
情報理工学系研究科 包 含(つつみ ふくむ)
あとがき
先日、無事に大学院の学位記授与式を終え、第一部で修了生総代として答辞を読む機会をいただきました(link)。
自分が答辞を読むとは思ってもみなかったのですが、最初に大学から連絡が来たタイミングで上のような内容を漠然と読んでみたいと思っていました。こうした観点は常日頃から学問から社会まで多岐にわたる議論を行い、忌憚のない意見をお互いに交わしてきた数多くの友人がいたからこそ得られたものであり、決して自分一人だけで醸成することはできませんでした。本答辞の内容も自分が考えていることを述べる以上に、我々世代の一定層の意見を代表する気概で読んだつもりです(勿論あくまで内容に関する最終的な責任は自分にあります)。
過去の答辞と比較するとやや挑戦的な内容ではあるため、学位記授与式の朝までは「高慢すぎやしないか」「揶揄されたりしないだろうか」と気を揉んでいたのですが、読み終わってみると友人や後輩からあたたかい共感の言葉をいくつもいただくことができ、安堵すると同時にこの内容自体がきちんと理解され、受容され得るのだという事実に対して言葉にならない嬉しさがこみ上げてきました。日常的にはなかなか日々目の前にある仕事や生活以外のことに気を回す余裕がない世の中ではありますが、多大なサポートの下で高等教育を受けた一個人としては社会的責務に対する意識は多かれ少なかれ持ち続ける必要があると思いますし、同世代には気持ちを同じくする友人がこんなにもいるということが非常に心強く感じられます。
啖呵を切った割にはまだ責任を十全に果たしていないことに引け目を感じていますが、博士号取得はあくまで一つのマイルストーンであり、これから何をなし得るのか、なすべきなのかを意識しつつ、邁進していく所存です。より多くの方々と本質的な仕事をしていくことを楽しみにしています。
謝辞
十数年来の友人である半田 颯哉くんには、本答辞の草稿に対して建設的かつ批判的なアドバイスをいただきました。ありがとうございます。
参考文献
- オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』佐々木孝訳、岩波文庫、2020年4月。
- 藤垣裕子『科学者の社会的責任』、岩波科学ライブラリー、2018年11月。
- Donald Knuth, Turing Award Lecture, Communications of the ACM 17(12), (December 1974), pp. 667–673.
- 大澤真幸『社会学史』、講談社学術新書、2019年3月。
- アドルフ・ヒトラー『わが闘争』平野一郎、将積茂訳、角川文庫、2016年1月。
- 安藤洋美『近代数理統計学史 – カール・ピアソン』、桃山学院大学人文科学研究、14(1)、pp. 43-59、1978年。