自由と、個人主義、そして自己自身との関係

衆院選挙がやってきた。昔は強く政治に興味があったわけではなく「外国人でも参政権がない以外は特に不自由しないですね」と冗談交じりに言っていたものだが、社会に対する責任感が増すにつれてそんな軽口を叩く気持ちにもなれなくなってきた。そろそろ真剣に帰化を考えるべきかもしれないが、それ自体も一思いに決断できるほど簡単な話ではない。僕自身の場合は、夫婦同姓に関する理由ゆえに躊躇している。

選択的夫婦別姓の議論が遅々として進みつつある。自民党が相変わらず党全体として選択的夫婦別姓に対する慎重論を唱えている以上、向こう数年で簡単に実施される話ではなかろう。近頃何かのサーベイで50%以上の世論が選択的夫婦別姓に対して積極的に賛成だ、という結果を目にした。同性婚も似たような結果だったように記憶している。我々小市民の立場からすれば、夫婦別姓にせよ同性婚にせよ、それは個人の自由に関わる問題であるから余所者が勝手にとやかく言うことではないし、そうしたい人はそうすれば良いだろう、という意見が多いのだと思う。実際2年前くらいは僕もそう考えていた。しかし果たしてそれほど単純なことなのだろうか。

大前提として僕自身は選択的夫婦別姓・同性婚に対して積極的に賛成である、という立場を表明しておく。その立場の根拠付けには、この先の長ったらしい議論を特に必要とせず、僕自身が割とラディカル寄りの個人主義者だからである、という理由だけに依る。同性婚に関しては僕自身が同性愛者ではないので自分の経験ベースの話はできないが、夫婦別姓に関しては姓の変更によって自分自身の姓名に紐付いたアイデンティティが強制的に剥離されることに耐えられない点につきる1。自分がそう感じるので、同じことをパートナーに強要することも生理的に受け付けない。二十数年ぽっちしか生きてきていない自分だが、それだけ自分にとって姓名というのはアイデンティティを保つために重要な要素の一つになっている。これは感情論の問題であって、論理的根拠があるわけではない。

この立場表明の下で、僕は夫婦別姓という個人の自由が社会にもたらすインパクトについて考えてみたいと思う。 選択的夫婦別姓の是非の議論において、反対論者が真っ先に挙げると思われる論拠の一つが「伝統的家族観・夫婦観の破壊」ではないかと思う。賛成派としては「何が伝統だ」とか感情的に忌避してしまうかもしれないし、冷静に反駁する人なら「家父長制度が導入されたのは明治政府の下でのことであるから、夫婦同姓という価値観は高々150年の歴史しかない、大した伝統的な価値観でもない」と主張するであろう。 この主張は全く正しい。 明治以降の日本政府の方針に関しては丸山眞男の議論2が非常に的を得ているだろう。曰く、江戸以前はコミュニティが分化・独立していたのに加えて、明治以降の富国論に従って欧米の教育、科学制度を積極的に取り入れた結果、元々共通のルーツを持たないコミュニティや思想の乖離が起こることを恐れた明治政府が、「國體」の名のもとに日本臣民をまとめ上げようと教育・社会制度を作り上げた、ということだ。丸山はこうした日本の非系統的・独立的コミュニティや思想のことを「タコツボ型」と称し、西欧のような共通のキリスト教・哲学・形而上学をルーツに持ちつつ分化した「ササラ型」社会と弁別した。 「天皇-臣民」の関係と、家父長制度における「家長-家族」の相似関係を見出すことは難しいことではない。 明治政府にとっては、西欧列強と比肩するだけの国力を備えるためにはまず国内の相互コミュニケーションを円滑に行うことは至上命題であったわけで、標準日本語の統一も言うまでもなくその一環であるし、國體制度と家父長制度もその一つであったわけだ。 その結果、明治期に入ったと同時に面白いように日本の人口は増え始め、明治の四十数年で日本人口は2倍近くまで膨れ上がっている3。 農工業生産力の増強や治安向上の要因も当然大きいが、家制度による「個人の家族への束縛」によって家庭が安定化したのも大きいだろう。

話を戻すと、こうした家父長制度は明治期に導入されたもので、決して日本古来の伝統的なものではない。 一方で、こうした明治政府の不断の努力によって日本の国力は圧倒的に向上し、少なくとも19世紀終わりから20世紀前半にかけての帝国主義の時代を生き抜くことができた点は無視できない。 良いか悪いかは別として、国家としてある意味で封建的な形をとった明治政府が一面的には成功したわけだ。 夫婦別姓反対派はどこまで意識しているかは別として、明治以降、おそらくバブル期まで大きく疑念を持たずに突き進んできた「封建的」日本社会の有り様に、成長の未来を見出しているのではないか、と自分は考える。 翻って個人主義が横行し、夫婦別姓や同性婚に関する議論が進んでいるのは、男女平等や機会均等が80年以降頻繁に叫ばれるようになり、バブル崩壊後の低成長社会の鬱屈とした現状に大きく関係があるだろう。 成長社会を生きてこなかった「Z世代」は「封建的」社会の負の側面ばかりを見せられているわけであり、既存の社会制度に対して反対の立場をとってしまうのはやむを得ないことだと思う。

繰り返しになるが、自分は決して「封建的」日本社会に戻ろうと主張しているわけではない。 むしろそうした社会に戻ることは無理であろうと思う。一度禁断の果実の味を知ってしまったアダムとイヴが決して楽園に戻れなかったように、ウィーン体制がフランス革命によって刺激された自由主義の風に耐えられなかったように、これは不可逆的な変化であろうと思う。 中世以降、フランス革命によって始まった自由市民社会の上に成り立ってきた西欧社会とは異なり、明治以降の日本ではトップダウンで「封建的手法」によって富国強兵が行われてきたのであり、その「封建制」が80年代から90年代にかけてようやく崩壊しつつあるのではないか。 これは批判の意ではないのだが、日本はフランス革命から見て周回遅れの個人主義の台頭が進んでいるように見えており、そう思うとなかなか奇っ怪であり、また面白くもある時代に生きているものだ、と思う。

今年の韓国の合計特殊出生率は0.84を記録したことが話題になった。日本も1.3台であり、対岸の火事ではない。 熾烈な競争社会の中でお世辞にも良いとは言い難い育児環境、低賃金社会、フランスとは比べ物にならないジェンダーギャップ、これら全てが起因になっているが、根本には不可逆的な個人主義が浸透しつつあることを意識する必要がある。 成長社会と個人主義は本質的に相容れないのではないか。 だからこそ、特にフランスやスウェーデンではボトムアップにジェンダーギャップの改善が行われており、出生率も比較的高水準に保たれている。 自戒もこめた言葉になるが、極度にラディカルな個人主義は社会を崩壊させることは間違いなく、現代社会では個人主義と全体主義のバランス感覚が問われている。 福澤諭吉は「学問のすゝめ」において次のように述べる。

自由とわがままの境目というのは、他人の害となることをするかしないかにある。

この点を履き違えない個人主義への歩を進めたい。 そして、これは「封建的」社会への回帰を標榜するものでは決してなく、ラディカリズムに陥らないためのバランス感覚を問うための警句なのである。


数日前に、苫野一徳の「勉強するのは何のため?」というWeb記事を見かけた。 途中の哲学的思考・手法が素人目には面白く参考になった。 「勉強する理由」に対する回答は比較的シンプルであり、「個人が自由に生き、自由の相互承認を行うため」ということだった。 自由の相互承認、すなわち「他社の自由も認めながら生きたいように生きること」、これは上の福澤の言葉と完全に通づる。 しかし、そもそも「自由」とは何だろうか。

このところの哲学界では「自由論」が流行らしい。 「現代思想」の8月号では自由意志の特集が組まれているし、今夏に刊行された山口尚「日本哲学の最前線」も著者山口本人の専門である自由論をベースに日本の哲学者の自由論が展開されている。 科学哲学会でも自由論に関する論文が表彰されている。 その中で素人としての僕がひとつしっくりきた「自由」の定義とは、田口茂による「媒介論的自由」だ4。 曰く、普通に「自由」について考察をすると、

たとえば、縄で縛られていない人は自由である。そのため、火の点けられた部屋から逃げることができる。しかし、「なぜ逃げたのか」を問われるならば、…(中略)…生存本能に強制されていたと言うこともできる。したがって、この意味では自由でないということもできる。

といったように文脈のない青天の霹靂の如く現れる「リバタリアン」的自由を措定せざるを得ず、これではよくわかった気持ちになれない。 そこで登場するのが媒介論である。田口は媒介論の観点から次のように結論づける。

「意志によって引き起こされた」と記述される行為が、障害なく実現される場合、この〈A. 特定の方向づけられた動き〉に対する〈B. 障害〉の〈C. 欠如〉が自由と呼ばれる。

これは僕にとっては比較的わかりよく納得することができた。 文脈のない自由は有り得ず、まず最初に「束縛」の反実仮想があり、反実仮想した束縛の「無存在」が「自由」であるというわけだ。 あるいは、現実に「束縛」が存在するのであれば、その状態は「不自由」という。 言語化すれば全くもって当然の言明に見えるのだが、先程の話で言えば「社会に束縛された封建的な個人」は「不自由」であると言えるわけだ。

さて、自由・不自由の話をしていると夏休みの終わりかけに読んでいたキェルケゴール「死に至る病」を思い出す。 おそらく今年読んだ本の中で最もわからなかった一冊なのだが、内容がわからないにもかかわらずここまで掻き立てられる本というのは今までなかなかなかった。 少々長いが、導入のパッセージから頭を打たれるような衝撃を感じたので引用する。

人間とは精神である。精神とは何であるか?精神とは自己である。自己とは何であるか?自己とは自己自身に関係するところの関係である、すなわち関係ということには関係が自己自身に関係するものなることが含まれている、——それで自己とは単なる関係ではなしに、関係が自己自身に関係するというそのことである。人間は有限性と無限性との、時間的なるものと永遠的なるものとの、自由と必然との、綜合である。要するに人間とは綜合である。綜合とは二つのものの間の関係である。しかしこう考えただけでは、人間はいまだなんらの自己でもない。

一読しただけでは何のことやらさっぱりであるが、最後まで通読すると、キェルケゴールが言語の制約の中で藻掻きながら必死に紡ぎ出そうとしていたその彼の思考が垣間見える気がする。 僕自身の拙い理解で非常に恐縮であるが、キェルケゴールはこんなことが言いたかったのではないかと理解している。 まず、我々は二つの相反する概念の対立と矛盾の中に置かれている。 一方は有限性、時間性、必然性といった、「限られている」「予め規定されている」「予定調和的な」生である。ここには神によって記述されつくした世界しかなく、我々が「自由」に自分自身を表現する余地がない。 まさにdeus ex machinaである。 そしてもう一方は無限性、永遠性、可能性といった、「開かれている」「予め規定されていない」「無法則的な」生である。ここには全ての可能性がありえるが故に何らの具体的な個たりえない、自己の欠如が広がっている5。キェルケゴールはこれもまた「絶望」であると表現する。 そして、人間の自己とはこの二極のバランスをどのように取るのか、という点において規定されるというわけだ。 これをキェルケゴール自身は以下のように述べる6

そこで絶望が全然根扱ぎ(ねこそぎ)にされた場合の自己の状態を叙述する定式はこうである——自己が自己自身に関係しつつ自己自身であろうと欲するに際して、自己は自己を措定した力の中に自覚的に自己自身を基礎づける。

ここまでを一度まとめる。 結局のところ、「必然性」の世界は媒介論的自由の観点から見るならば自己が他者に束縛されることなく行動しようと思ったその一挙手一投足が予め高位の存在によって規定され束縛されているために「不自由」であり、翻って「可能性」の世界は自己が何者かになろうとしているにもかかわらず具体的な個となりえない、なることが阻害されている点において「不自由」である。 このような「不自由=絶望」が排除された状態に至る(=自己自身に関係しつつ自己自身であろうと欲する)ためには、キェルケゴールは「必然性」と「可能性」の矛盾(=自己を措定した力)を弁証法的に解決しなければならないと説く。 この考え方は、一面的にはスピノザの「認識の自由」、そしてそれを引用する國分功一郎の考え方と相通ずると考える。以下は山口「日本哲学の最前線」(p.45)からの引用である。

スピノザは、《自分は自分の意志で選んで行為している》と自己把握するのではなく、自己の「巻き込まれた」あり方——すなわち自己の中動態的な状態——を自覚して生きることを奨励する、と。

「中動態」に関しては國分功一郎の議論になり長くなるので、ここでは次のように簡単にまとめておく。 すなわち、動作には「能動」と「受動」以外に、動作主体自身が動作によって変化した環境のフィードバックを受けるという点で、能所の判別が付きづらい態が存在する、という。 ここで触れておきたいのは、スピノザらに見られる「自らを措定する環境・力を意識することではじめて『自由』になれる」という点である。 キェルケゴールは「絶望」的に「不自由」な生を生き抜く唯一の道として、「不自由」のバランスをどのように取るのか、という点を説いているのではないかと考える7


田口は分析哲学、キェルケゴールは実存哲学、とアプローチは違うものの、「自由」に関しては多少似通った点が見いだせたのではないかと思っている。 一方で、どちらも西欧的自由=libertyに立脚した見方であり、日本の哲学でもおそらく主流なのではないかと思われるこのような「自由論」に穿った見方を呈するのが鈴木大拙である。 曰く、

自由の本質とは何か。これをきわめて卑近な例でいえば、松は竹にならず、竹は松にならずに、各自にその位に住すること、これを松や竹の自由というのである。これを必然性だといい、…(中略)…その物自体、すなわちその本性なるものから観ると、その自由性で自主的にそうなるので、何もほかから牽制を受けることはないのである。これを天上天下唯我独尊ともいうが…(中略)…必然とか必至とか、そうならなければならぬというが、他から見ての話で、その物自体には当てはまらぬのである。

8。これは媒介論的自由論とは全くの反対ではないか! 鈴木大拙はこうした禅を元にした東洋思想に通暁するが、西洋哲学が二元論・弁証法的に論理を進めるのに対し、禅の考え方では矛盾を積極的に解決しようとせず、「そのまま」の状態として受け入れることを行うようだ。 鈴木はさらに、「自由」とは本来仏教語であり西洋的なfreedom、libertyといった概念と一対一に対応するわけではなく、明治期の翻訳に定着してしまったこの対応の功罪は大きい、と批判する。 自分は自然科学研究者であるから思考の枠組みが根本から無意識的に西洋哲学に支配されているため、鈴木の言う思想は理解が及ばない点がまだまだ多分にあるのだが、時間をかけてもう少し理解していきたいと思う。

他にも学問と自由の関係性など、「自由」について語りたいことはあったのだが、昼時になったので一旦ここで筆を置く。


  1. 勿論「クレジットカード等の名前を全部変えるのが面倒だ」という実利的理由もあることにはあるが、自分にとってはアイデンティティの問題の方が大きい。 ↩︎

  2. 丸山「日本の思想」 ↩︎

  3. 内閣府の資料(第1-1-1図)参照。 ↩︎

  4. 「現代思想」8月号(p.42) ↩︎

  5. 「可能性の絶望」というのは一見理解しづらいかもしれない。オルテガも「見通しが利かないということ、地平線があらゆる可能性に開かれているということ、これこそが真正なる生、つまり生の真の充実だからである。」(オルテガ『大衆の反逆』)と言っており、著述中で度々生を可能性によって定義している。一方で、自分はニクラス・ルーマン的「複雑性の減少」論に理解の活路を見出す。ルーマンは「社会システムの成熟は複雑性の減少によって起こる」と論じている(大澤『社会学史』)。つまり、社会システムはその種々のあり得る状態の数が縮減していくことによって具体的に機能分化が起こり、社会としてより具体的に、高度に成長していくという。これが一見逆説的にも、可能性の縮減による肯定的な成長をもたらしており、その逆がキェルケゴールの言う「可能性の絶望」であると僕は理解する。 ↩︎

  6. キェルケゴール(斎藤信治訳)「死に至る病」(p.25) ↩︎

  7. 一方で、キェルケゴールは比較的積極的に自己の措定を行うことを推奨するように見えるが、國分はどちらかといえば「不自由」であることを意識こそすれ、積極的に「不自由」からの脱出を促すようには見えない点には相違点がある。 ↩︎

  8. 鈴木「東洋的な見方」(p.67) ↩︎