オホーツク旅行記
2/7(月) 羽田〜女満別〜網走
3年半ぶりの北海道。ずっと行きたいと思っていた道東の地に降り立った。思ったよりは寒くない。雪が乾いていて柔らかくて、靴底で踏みしめると聞いていた通りに「しゃりしゃり」と音がする。
今日はまずは網走駅まで来て一休み。びっくりするほど、人も、車も、少ない。こうして歩いていると、知らない土地で一人で、ただ雪を踏みしめる音だけが響く。空気が張り詰めるように冷たいので、歩いている間は呼吸につい集中してしまう。そんなオホーツクの空気と対話するのがどことなく気持ち良い。
2/8(火) 網走〜斜里〜ウトロ
朝起きてまずは網走の市街地を散歩する。1時間半かけて網走駅から港の方まで往復。道端に積もっているパウダースノーが朝日に照らされて輝く。網走港の周りは倉庫がぽつぽつと建っているだけで他には何もない。人の影もない。ただぷかぷかと海に浮かぶ薄い流氷があるだけ。沖まで続く小さくて薄い流氷のプレート群が波に揺られて上下する様子は可愛らしい。
網走から斜里までは電車で行く。JR北海道の路線が次々と廃線になった結果、現在では釧網本線の網走から知床斜里の区間だけが唯一オホーツク海を車窓に臨むことのできる区間となってしまったらしい。網走を出てからしばらくの間は流氷は水平線に白い線として仄かに見える程度だったのだが、斜里に近くなってきたあたりで突然車窓一面の海がびっしりと白い氷の塊で埋め尽くされた。乗客からも思わず感嘆の声が漏れた。
斜里の町は網走よりもぐっと小さい。戸建ての間隔が大きくてしっかりした造りになっているところに、どことなく同じ雪国のシカゴ郊外・オークパークの風景が重なる。海岸線を求めて適当にぶらぶらしていると町外れの国道に出る。ここまで来ると本当に誰もいない。車も10分に一本すれ違うかどうか。ただ一人の先達が残した足跡を縋るような想いで辿る。30分以上無心に歩き続けて以久科原生花園に着いた。そこは無数の氷の塊で埋め尽くされた静寂の空間だった。海面は大小様々な形を取った氷が続き空には淡い雲が浮かぶ、その水平線によって隔てられた光景が、具象と抽象のコントラストのように目に移った。その鳥の羽ばたきと雪溶けの音だけが時折する。人工的な無音室は逆に自分の心音が際立ってしまうと聞いたことがあるので、その意味ではこれこそが世界で一番静かな空間なのではないだろうか。
2/9(水) ウトロ
今日は知床国立公園に行くことにする。ウトロ市街地からも公共交通機関があまり出ていないので、宿から1時間ほど国道沿いに歩いていく。幌別橋から国立公園方面に登り坂を上がっていくと、流氷がひしめくオホーツク海が眼前に広がる。昨日斜里で見た、ゴツゴツとした構造的な氷とは異なり、真っ白な氷の板が無数に広がっている。朝日を受けて輝く白銀のオホーツク海は圧巻だ。
知床自然センターからはフレペの滝と森を目指して雪の中を歩く。曇りがちな空模様も相俟って、白銀の森は奥行きを失って不思議な光景を呈する。誰もいない白い森の中で立ち尽くす体験は、自分が異世界に迷い込んだような錯覚を覚える。
帰り道も国道を下っていく。ちょうど日没の時間で、プユニ岬と幌別橋から見えるオホーツク海が夕日で照らされる。ここまで青と白の世界だった流氷の景色に金色が足し合わされる。流氷の白はどんな色でも映えさせてしまう。
2/10(木) ウトロ
気づけばウトロも3日目になっている。午前はオシンコシンの滝へ。オホーツク海を右手に、黙々と誰もいない国道334号線を下っていく。冬のオホーツク海はどのワンシーンを切り取っても違う表情を見せるので全く見飽きない。あまりにも白い光景が続くので、時折通るトンネルの中で色彩感覚が失われてしまい、出口付近で雪景色が赤紫色がかって見えてしまう。
午後は流氷ウォークをする。流氷を眺めるのはもう3日目だけれども、今度はついに体で触れる体験に乗り出す。足元が頑丈な流氷と、そうではない海氷を見分けながら、ぴょいぴょいとリズムよく沖を目指して進んでいくのが気持ちいい。ドライスーツでオホーツク海に浸かりながら流氷を抱き抱える経験は、今後の人生で二度と体験できるかわからない。
夕方にはウトロ温泉街の居酒屋を目指して宿から歩く。今回ウトロでとった宿は、着いてみてから気づいたのだけれどもそこそこの山の中腹にあって、だから温泉街に出るにも2キロ近く雪の中を歩かないといけない。でも僕はこうやって誰一人いない白銀の道をアテもなく一人で歩くのは嫌いじゃない。清酒で温まった火照りをさましながら、再び元来た山道を辿る。星と月と氷と雪の大地を歩いている。
2/11(金) ウトロ〜網走〜紋別
3日も滞在した知床を後にして今日は紋別まで大移動。移動してみて初めて180kmあることに気づいた。道理でバスに合計4時間も乗車していたわけだ。この区間は途中で網走湖、能取湖、サロマ湖、とオホーツクの大きな湖沼を車窓に臨みながら進んでいく。オホーツクの凍った湖は、また流氷の漂うオホーツク海とは異なった趣がある。構造的な流氷とは異なって、凍った湖は水平線まで起伏が一切見られない白い平面。眺めていると次第に空との境界が曖昧になっていく。
紋別に着いたときにはもう夕方になった。1日も滞在できない旅程なので早足に街を歩き回る。網走は商店街を中心として区画が整った計画性を感じる街なのに対して、紋別はどちらかといえば無秩序的に住民たちが居を構えていったような雰囲気がどことなくある。そこに人情らしさを感じる。
2/12(土) 紋別〜網走
朝一番にもう一度紋別の街を少し歩いて回って、あっという間に紋別から網走に戻る。網走の宿が市街地からかなり離れた場所にあったので、ぶらぶらと海岸線沿いに歩いていく。網走川より北側にいくとあっという間に寂れるのが地方都市らしい。途中で偶然見つけたカフェに入ってコーヒーとスコーンをいただきながら本を読む。北海道の食材を使ったオーガニックなカフェで、木造のモダンな一軒家で地元の隠れ家的な和やかな雰囲気がある。
2/13(日) 網走
今日で事実上滞在最終日なので、オーソドックスに網走の博物館をいくつか回ることにした。その中でも特に北方民族博物館の展示内容に惹かれた。ウイルタ語の企画展が行われていたり、「北方民族」博物館ということでアイヌ、ウイルタだけでなく、北極海を囲む民族の展示が行われている。個人的には最近レヴィ=ストロース『野生の思考』を読んだばかりというのもあって、アルゴンキンやイロコイなど馴染みのある民族の展示が実際に見られたのがとても良かった。
2/14(月) 網走〜羽田
帰る日になって朝から雪が結構降っていた。思い返せばこの1週間の間は天気に恵まれていて、流氷の色々な表情を見ることができたのだけれども、それはただの旅行者でしかない自分が運良くオホーツクの良いところだけを経験できただけであって、現地に住んでいる人たちの生活は決して楽なものではないだろうと思う。旅行者と生活者のギャップは定住しない限りは埋まらないだろうけれども、それでもオホーツクには間違いなく独特の魅力があった。いつになるかはわからないけれど、またこの土地を踏みしめてオホーツクの空気に溶け込みたいと思う。