Random thoughts in Japanese. All optinions are my own.

2024/08/31 (Sat.)

  • 帰り際にサンフランシスコに寄ってベイエリア日本人コミュニティのバーベキューに顔を出し、空港まで辿り着いた。深夜便なのでまだまだ時間があるが、体力があまり残っていないので何もする気になれない。飛行機の中ではたっぷり寝よう。Berkeley 一週間、ワークショップに参加しつつ、進めるべき仕事も進めつつ。濃密な一週間だった。

2024/08/30 (Fri.)

  • 朝一は体が重くてなかなか出かける気になれなかったが、2つ目のセッションから体を叩き起こして会場に向かった。行ってよかった。なにせ Misha Belkin のような理論家でさえも実験から示唆を得ようと取り組んでいる姿が非常に印象的だったりして、自分の研究の方向性を見つめ直す時間になった。コーヒーブレイクでもまあまあ学生さんたちと話したり、あと ICML2018 ぶりに(当時は kNN のチュートリアルをやっていた)Samory に質問することができた。向こうは自分のことを覚えていないだろうけれど。
  • 自分の研究の方向性を考え直させられてしんどい時間の多いワークショップだった。Berkeley にこれだけの規模のコミュニティがあってトップ研究者が集まって共同研究をしていたら、極東の島国でひとりで研究していても何の意味があるのかと思ってしまう。一方でよくよく発表を聞いていると、(何人かはずば抜けた瞬発力で想像もつかない手広さで研究をやっているのに対して)多くの研究者は基本的に自分の軸にリソースを大きく費やしてじっくり研究しているのだという印象も受ける。研究の深みを出すためには結局それしかない。それに対して僕は興味と認知の分散が激しくてひとつの方向性を深堀りすることが悉くできていない。それが良いところでもあるかもしれないけれども、そろそろ本気で「何をやらないべきか」を考えるべきときが来ている気もする。
  • とはいえ Berkeley に飛び込んで来てみたのは絶対に良かった。自分の立ち位置を確かめるのに想像以上に役に立った。何年か経った後にこの経験が効いてくるんじゃないだろうか。

2024/08/29 (Thu.)

  • 昨日は普段より情報量が多く認知負荷の高いコミュニケーションをして疲れていたためか、はっきりと中身は思い出せない嫌な夢をいくつか見た気がする。寝て覚めてもまだモヤモヤ感は残っているけれども仕方ない。これも Berkeley まで来た手土産の一つであることに違いないと自分に言い聞かせる。
  • モヤモヤしている一方で、昨日のことを思い浮かべてもう一つ嬉しかったことは、Ryan Tibshirani が「みんなこれ知ってるか」と目を輝かせながら 0-1 loss が Bregman divergence で表せることを紹介していたのだが、僕はそれを知っていた。Efron の 86年の論文に載っているらしい。Proper loss に関して長いこと考えてきたから、これくらいのことは既に通っている。それが逆に Ryan のようなトップスターでさえも意外にこの事実が常識ではなかったのかと思うと、僕も知るものは知って考えることは考えてきたのかなと少しばかりは自信を持てた。
  • 午後に引き続きワークショップを聞きながら、なんとなく悶々となぜこんなにアメリカと日本の環境に差があるのか考え込んでしまった。ワークショップに参加しているだけでも大学院生の積極さと優秀さを感じる、それは学生に対する待遇の良いファイナンシャルサポートと卒業後の進路が大きく開けていることで、社会的に PhD を受け入れる土壌と、そしてお金があるということ。もう何も面白くない結論だけれども、結局お金があるから人が集まるだけにしか思えなかった。このコミュニティにいる人達を日本に惹きつけられるかと言うと、日本はお金がない・英語が通じない・同水準の研究成果を出している人が少ない、の三重苦で、全く持って無理だ。逆に言えば、英語のサポートは気合でなんとかする、お金も単純額面で同程度とまではいかないものの生活コストまで考慮に入れたら同程度以上にできるように気合でなんとかすることは無理ではなくて、あとは高い研究成果の出力を出せるか。それはもうアメリカの土俵に合わせるべきではなくて、自分の十八番に我田引水するしかない。彼らの持っている画一的基準で競争しては絶対に勝てないけれども、意外に彼らの見落としていることも少なくないので、自分が信じられる道を(ときには盲目に)突き進むしかないのだろう。果てしない道程に思える。

2024/08/28 (Wed.)

  • ワークショップ2日目。トーク内容の中では、Ryan Tibshirani の Stein’s unbiased risk estimator (SURE) の導出が非常にためになった。ちょうどオッカムの剃刀について最近考えることが多くて (2024/08/13)、AIC の導出を表層的に追ってみたりとかしてそれはそれで「なぜパラメータ数を絞ったほうが汎化性能に寄与するのか」に対する自分なりの納得(モデル空間が複雑だと汎化誤差から外れるようなモデルが柔軟に作れてしまうから)を得たのだが、SURE の導出は最小二乗回帰ベースなのもあって透明性が高く、この説明の別解釈を直感的に与えるものだった。自分で統計的機械学習の講義をするタイミングがあったらぜひとも触れてみたいと思う内容。
  • また、John Duchi にはじめて会って少しだけ質問をすることができたのも嬉しい。元々修士時代に彼の研究に一時期とても憧れていて DRO や local DP の論文はまあまあ読み込んだこともあったのに加えて、もしパンデミックがなかったら 2020年の春に北海道のワークショップで会えるはずだったので当時はそれを心待ちにしていただけに、何年も経てようやくお目にかかれた。
  • コーヒーブレイクではそこそこ色々な学生と話せた。むしろむこうの学生さんが思った以上に話しかけてくれて僕は助かる。UW、UIUC、USC、Columbia などなど、やはりアメリカの様々な大学から来ている。アメリカ以外から来ているのはほぼ自分だけ。学生さんにもかかわらず、さすがのレベルの高さゆえに何を喋ってもレスポンスがクリアかつ速いことが多い。つきなみだけれど同世代の頭脳が集まっているんだなと実感する。
  • 一方で研究の雑談になると「あの研究トピックはもう終わりだ」「あの論文・テクニック・拡張・方向性は価値がない(やるべきでない)」といった話が時折聞こえてきて、ちょっと疲れてしまった。その発言をしている彼らは彼らで科学的にかつ自分の研究哲学に照らし合わせて誠実であろうとしているのはわかるのだけれども、言葉にならない疲労感が自分の中に立ち込める。でも我が身を振り返るとそういうことを発言していることもあるような気がする。やっぱりそのときに居合わせた人たちには嫌な思いをさせてしまっているのだろうか。喋り方の問題だと思うのだけれども「その研究は(自分が思う基準では)無価値であり自分がやった仕事の方が良いものである」というニュアンスが漂っているのが疲れる原因なのではないかと思う。当人に明確にそうした意図があるかないかは別にせよ。
  • チュービンゲンでの議論 (2024/07/29) はそんな気持ちになることがなかった。なぜだろう。Bob の発言も概して手厳しいところはあるものの、そうした嫌味を言外に感じることは全くなかった。一面的には、ニッチに過ぎる尺度で良し悪しを一元的に測られたときに居心地の悪さを覚えるのかもしれない。その尺度で測られたとしたら僕はその評価者の基準を満たすことはできないから何の話もできなくなってしまう、みたいな。Bob の尺度はそうじゃなくて、実直に市民一人ひとりを「取りこぼすことのない」尺度で物事の良し悪しを多元的に測っているような気がする。だから手厳しかったとしてもその厳しさは僕に関係があると思えるところが違うのかもしれない。

2024/08/27 (Tue.)

  • Simons ワークショップ1日目。周りを見渡せば有名人がぞろぞろといるけれども、相互で知り合いな人は僅かに数人。喋ってみたい気もするものの、みんな知り合い同士で来ているからなかなか僕一人がその輪に割り込む勇気もでない。お互い学生同士だと突然話しかけても話すハードルは低いが、絶妙にもう学生ではないからそうもいかないし。でもまだ若いいまのうちにできるだけ話して知り合いを作っておきたい。4日いたらなんとかなるのかどうか、まだ不安。
  • 知り合いが最近更新していたブログをちらっと見たら、US のファカルティ就活で(おそらく2年間くらいで)80 以上の公募に出しているのを見て絶句した。書類落ちと返信なしが 60 以上だったにせよ、それでも 20 近くは面接を受けたり現地まで行ったりしているわけで、そんなにエフォートを就活に割きながら研究をしていたのかと思うと、自分が相当に恵まれているんだということを改めて再認識させられた。US のアカデミアで生き残っていくのはあまりにも大変すぎる。もちろん優秀な学生に囲まれるのは良いことではあるけれども、その対価に見合う競争なのかどうか。

2024/08/26 (Mon.)

  • 6年ぶりのプレミアムエコノミー。ほんの少しエコノミーより広いだけだけれどだいぶ快適だ。原稿を書きながらノーランの『インターステラー』を観ていたが、作業しながらでも終盤で感涙してしまった。音楽と世界観が壮大でさすがノーランの作品。
  • そんなことで原稿を書きながらあっという間にサンフランシスコに着いた。最近の旅行や出張はヨーロッパ方面が多かったので、西海岸までの距離が非常にあっという間に感じられた。サンフランシスコからバークレーも電車ですぐに着いた。ちょうど UC Berkeley の新入生オリエンテーションの日と被っていたようで、キャンパス内は学生で活気に溢れている。眩しい。学生生活に戻りたくなってしまう。ふとした瞬間に、僕はもう学生生活に戻るのは限りなく難しいのだと認識して物寂しい気分になる。

2024/08/25 (Sun.)

  • 数日後の共同研究のミーティングに備えて、理論面での整理を行っていたら一応言いたいことは言えたと思う。ノートの上では確認できたので、明日機内で書き起こせたら理想的。というかもう明日からアメリカに行くのか。
  • アウトソースされた共同研究にどこまで自分のエフォートを投入するか悩みものだが、これ以上はあまり投入すべきでないラインだと思う。今週はこの件にかなり時間を使ったが、それはそれで僕もグリーン関数法を勉強したりできたので自分自身へのリターンがある。だけどたぶんここが損益分岐点。

2024/08/24 (Sat.)

  • ここ2、3年、深層学習理論絡みの研究を割と自分の興味の赴くままに無節操にやってきて、あまり一貫性がないなと悩んでいたものだが、3年くらい経ってふと振り返ってみると、結構 collapse 関連のことをやっていることに気づく。共同研究も含めてその傾向が見られる。でも確かに深層学習が collapse せずに意味のある何かを学習していること自体が自明でないし、collapse を中心的に研究するのは普通に真っ当な研究の方向性に見える。
  • 研究科の同僚数人と飲んだ。みんな発達ロボティクス、リザバー計算、機械学習と、近いようで遠い興味分野を持っているにもかかわらず、じっくり喋ってみると結局なぜコミュニケーションは生じるのか、相反する価値はどのように調停可能なのか、といった共通の(究極的な)興味を持っていることがわかる。それは共時的な現象という意味でも非常に勇気づけられることである。にもかかわらず、同じ建物にいるのに研究室で分断されていてタコツボ化しているのは非常にもったいない。この垣根を越えていくことが大学研究者としては求められているように思う。

2024/08/23 (Fri.)

  • メモ: 統数研のコラムで言及されていた「データの分布を観るとき、誤差論的思考と集団的思考があり、生物や人間社会を扱うときに重要なのは後者である」という主張。科学哲学の森元さんの主張で、『生物学の哲学入門』を読んだときに触れられていたにもかかわらず忘れていた。ページ下部の図解もよく、集団的思考は平均を実在とみなさず 変異=偏差 を実在とみなす、という見方は良い。この考え方ベースの統計的機械学習を構築してみたい気持ちがある。
  • 某申請書が通った。学生のときに出した6年前のときよりは圧倒的にスムーズだった。

2024/08/22 (Thu.)

  • 束の間の研究時間。頭の中を整理して急いで原稿に書き出す。今月腰を据えて研究時間をとれるのは今日と明日だけ。

2024/08/21 (Wed.)

  • JCCA に昼まで参加して山形出張終わり。普段とは全然違うコミュニティで、離散数学よりももっと符号理論や代数幾何の話が多く、純粋数学色の強めなコミュニティだった。わからないことは多いけれども、わからないなりに皆さん発表はわかりやすく作ってくれている方が多かったので、聞いているだけで新しい話を勉強できるのはよかった。
  • 何度か登場したグラフゼータ関数、全く知らなかったにもかかわらず(浅い理解ではたぶんグラフのサイクルを生成する母関数のようなものらしい)なんと福水先生が2011年に関連研究をやっていて、裾野の広さを感じた。
  • 再び山形から仙台へ。山形の町並み、仙台の町並み、隣接県であっても空気は全く異なる。見た目で言えば建物の間の距離感が違う。距離感は活気や人々の心的な距離感にも反映されるだろう。3日間山形にいたときはなにも思わなかったが、いざ仙台市街地まで戻ってくると顕著に違いを感じる。

2024/08/20 (Tue.)

  • 自分の招待講演もつつがなくこなした。少しでも講演前に頭の中で流れをリハーサルするだけで全然講演の出来が違う。これはやるべき。
  • 組合せ論、代数に興味がある聴衆が多い中で自分の最適輸送 x q-exponential の話は浮きやしないかと不安だったが、思ったより興味を持ってもらえたようには思う。いくつか重要な示唆ももらった。q の負の無限大極限が実は LP に一致するのではないか。そうすると q に関する摂動展開から解のスパース性が評価できるのではないか。凸正則化付き最適輸送の双対問題は minimum convex network flow problem の特殊系になっているのではないか。そのとき block coordinate descent と network flow algorithm の対応付けはどうなるのか。などなど。いずれも気になる話ではある。
  • 昨日の招待講演で pseudorandomness の話を聞いて、思い立って今朝 outcome indistinguishability 関連の論文を読み漁っていたら、OI には「サンプルの従う分布をおかない」という哲学が通底していることに気づいた。その動機自体は imprecise probability に深く通ずるものがある (2024/07/29)。もちろん OI の方は予測と観測の相対頻度の一致に興味があるのに対し、imprecise probability は観測の相対頻度の収束先に興味がある点で微妙に差分はあるものの、全く別々のコミュニティで似たような問題意識が持たれていることに気づいた。これはかなり僕の科学的好奇心をくすぐる。両者の間に橋渡しを行うことは可能なのか。どうにか統一的に理解することは可能なのか。次の一手として大きな研究になる予感がする。

2024/08/19 (Mon.)

  • 山形へ。学生時代は何かにつけて旅行に来ていた気もするが、たぶん最後に来てから6年くらい経った気がする。とはいえ会場である山形大学は山形駅からは結構距離があるので、着いて周りを見渡しても新鮮な景色である。
  • 組合せ最適化の人たちと話をしながら、再び機械学習のカンファレンス文化に浸ったまま時間を過ごしていいのかという気持ちが蘇ってきた。査読システムはまともじゃないわ、論文数は多すぎるわ、結局みんな表面的にしか論文を読んでいないわで、本当に科学研究を誠実にやっているのかと問われるとなかなかに苦しいものがある。しかしその一方で、これはみんなの実現したいこと、知りたいこと、興味のあることが多すぎて心の底から溢れ出ている証でもあって、それはそれでポジティブな風潮でもあるように思う。学会を練り歩いていると結局面白いアイデアはならんでいる。自分自身もやりたいことが多すぎて自分の時間では足りていないのが正直なところだ。それが難しくて、その矛盾が昨今の査読システムに部分的に現れているのだとも思う。人は「『何を解くべきか』ではなくて『何を解かないべきか』」と言うけれども、たぶんそんなことは僕には意思決定できない。そんなことでは大成できないと言われたらそこまで。別に僕はそもそも流れに身を任せて生きているし、自分自身に土台そこまで期待していないし。

2024/08/18 (Sun.)

  • 朝からジムに行き、洗濯をし、午前中の間に Song Bird Coffee (2024/05/25) でコーヒーを飲みながら研究。今日のコーヒーは鎌倉の cafe vivement dimanche のブレンド。キリッとしていて深みのある味。そのおかげか、1時間少しカフェにいた間に decision rule について悩んでいた定式化がノートの上で綺麗に整理できたような気がする。嬉しい。帰ってきていそいそと LaTeX に書き起こし始めている。できたら明日山形に着くまでに間に合わせたいけど。

2024/08/17 (Sat.)

  • 5周年ということで、河原町五条の汽 [ki:] のモーニングに行ってきた。前々から何かと話題になっていたこのお店、ファラフェル、フムス、ピタパンとピクルスやトマトが合わさって、味が一口ごとに変わっていくのが印象的な、味のエンターテインメントに振り切つつ優しい食材のレストランだった。薄暗い店内に天窓から優しく朝日が降り注ぐ中、静かにいただく朝食というのが、また落ち着いた雰囲気を醸し出している。高瀬川横の日常的な場所に開けた非日常への入口。良い店だった。

2024/08/16 (Fri.)

  • 帰省中にちまちまと Web サイトの微修正を行った。主にフォントや行間の変更。前々から MathJax や Web フォントのレンダリングに時間がかかることが気になっていたので、KaTeX に変えたり OS のプリセットのフォントに変えたりして読みやすくした。少しだけ新しい気分になれて満足。
  • 今年も五山の送り火を無事に見れた。円町駅前から。夜もそこまで蒸さなくなってきて過ごしやすい。夏の終わりが見えかけているかのようで嬉しい。

2024/08/15 (Thu.)

  • いつか行ってみたいと毎年思っていた下鴨納涼古本市に今年はようやく行けた。あまりにも暑すぎるデルタから糺の森に入るとこころなしか涼しくなった気がするが、それでも暑い。汗を拭いながらテントを見て回り、気づいたら手に取った本は10冊を超えていた。自分でも少し意外。これでまたしばらく読む本には困らない。

2024/08/14 (Wed.)

  • 3日の帰省を終えて帰路につく。今回は家の片付けをやったりしていたのもあって、あっという間の3日だった。
  • 何事につけても「心のケア」をして回っているようなぼんやりとした共通感覚が湧く。査読における著者への気遣いだったり、実家への帰省だったりとか。みんな一人ひとりの人生を生きていて、行動の取捨選択と意思決定を行っていて、それには誰も介入できないし、自分自身しかできないもの。周りの人がするのは、その精神的サポートだけに留まっている。

2024/08/13 (Tue.)

  • 帰りの新幹線で読んでいた “What Makes an Image Realistic?” という、先日の ICML のポジションペーパーが面白かった。画像がランダム(=機械的生成)からどれだけ遠いのかを定量化するために情報理論的な量を用いて定式化を行っていたのだが、そこに登場する Solomonoff probability という概念が最近別の論文でも出てきたばかりで偶然を感じた。Solomonoff probability とは Kolmogorov 複雑性と非常に密接な関係のある量で、端的に言えば「生成するのに長いプログラムが必要なデータには小さい確率値を、短いプログラムで済むデータには大きい確率値を与える」ものだ。歴史的経緯としてはダートマス会議の頃に Solomonoff が Occam’s razor の定式化として導入したものらしい。何よりこのポジションペーパーで面白いと思った点は、本来1点データがある確率分布から生成されたかを比較しようとすると確率ダイバージェンスを用いることができなくてなかなか難しいのだが、1点データに Solomonoff probability で確率分布を与えてやると確率ダイバージェンスで距離のようなものを測ることができるようになるという点。しかしこの枠組みから自然に「Solomonoff probability は “普遍性” にいかなる意味を与えているのか」という疑問が湧く。確率分布はそもそも背後にある種の普遍性・一般性を措定しなければ存在し得ない概念だからだ。そして、Solomonoff probability の場合は Occam’s razor、つまり思考経済の原理を措定する。それゆえに科学哲学的矛盾を孕む。思考経済の原理はあくまで説明のための方便であったにもかかわらず、Solomonoff probability はそれを普遍法則の形に転化しているとも言えるからだ。ここに計算機科学に広く見られる、思考経済の原理に関する神格化の一旦を垣間見る。

2024/08/12 (Mon.)

  • 広島に帰省。年末振り (2023/12/29)。京都に引っ越してきてから広島にふらっと帰りやすくなったのは嬉しい。著者にコメントを返していたらあっという間に広島に着いた。

2024/08/11 (Sun.)

  • リバッタルを一通り終えた。大方の論文は読み返してからコメントを返信することになったのでなかなかに大変だったが、割と丁寧にかつ簡潔に的を得た回答を書いてくれている著者が多かったおかげか、自分の理解も進んだし(元の論文にそう書いておいてほしかった感じはあるが)悪くなかった。しかしまあお盆の土日を結構消費することになった。まだ議論は続くだろうけれど、一旦これで気持ちは少しだけお盆休みに入れそう。
  • 日差しは強いが空気がこころなしかカラッとしてきた。夏本番が過ぎようとしているようで嬉しい。

2024/08/10 (Sat.)

  • 京都に帰る前にまずは細野さんが最近開店した店に。焼き立てパンがメインの創作料理屋さん。パンもキーマカレーも美味しくて、昼から良いものをいただいた。思わずパンをお土産に買った。それにしてもお会いするのはもう6年ぶりとかそれくらいだろうか。時が経つのはあまりにも早い。身近な人からにはなってしまうけれど、こうやって新天地を切り拓いていっている人たちはぜひ応援したいもの。
  • そしてその足で CLAMP 展に向かう。CLAMP の作品をすごく網羅的に知っているわけではなく、せいぜいツバサと CC さくらと xxxHOLiC を知っているくらいではあるのだが、それでも自分の中に克明に読後感を残す人たちなので見ておきたかった。様々な作品で一貫している「愛」「生き方」のようなテーマ、それに関する台詞が壁一面を埋め尽くしている中を歩く、まるで異世界の中を歩いているような感覚だった。感情の洪水。壱原侑子の良さが特に際立っていたと思う。会場を後にしたとき、しばらく歩みが覚束なくなっていたほどには、夢遊感があった。

2024/08/09 (Fri.)

  • 東京出張に来て、自分の attention 研究を招待講演で喋った。正直汎化誤差理論のど真ん中をやっている人たちの目からみたら亜流の研究もいいところで、どのように受け止められるか非常に心もとなかったが、ひとまず良し悪しはさておいて議論は割に盛り上がった気がしていて少しだけ安心。しかしそれにしても自分のモデルの甘さを実感する。仮定や近似が多いのもそうだし、それだけ単純化して結局見たいものが見れているのかがイマイチ100%の自信を持って断言ができない。それもこれも我流でずっとやってきたのと、僕自身にひらめき方面の天賦が十分でないというのがある。みなどうやって見たいものを見るためのモデルを立てているのだろう。ノウハウがわからない。
  • しかして見たいものを見るためのモデルを立てるのは、それはそれで目的と手段が倒錯しているような気がしないでもない。(僕にはできないが)見たい結論が出てくるようなモデルがそれなりに直感的に立てられるのだとしたら、立てたモデルから出てくる結論は自分が見ようとしていた結論そのものに他ならないのだから、少なくとも仮説検証型の科学的アプローチではない。それはそれでアブダクションへの近さもあるが、アブダクションとも違うのは、立てた仮定からもう一度最初に欲しいと思っていた結論を演繹することにある。そう考えると機械学習理論というのは非常に不思議なものだ。理論物理の場合はどうなのだろうか。今度誰かに聞いてみよう。
  • (cf. 2024/05/25
  • 昨日の日向灘地震から一夜明けて東京に来て、神奈川で震度5弱の地震が起こった。幸い都内はそこまで大きな揺れではなかったけれども、出張先で被災することも確率的には全然あり得るし、万が一遭遇したらどうするのか考えただけでも、何もなく過ごせている日常がありがたいことが身にしみる。

2024/08/08 (Thu.)

  • あっという間にお盆前最後の大学出勤日になってしまった。結局ずっとリバッタルをやっていたな。自分の単著論文に対して即座に査読者からフィードバックが返ってきたのはありがたいものの、どうやったら論文の価値に納得してもらえるか、一語一句に気を使いながら考えていたら疲れてしまった。研究においてコミュニケーションが大事であるという信念はあるものの。
  • そんな中、午後は大塚さんに少し前に誘われていたクローズドなディスカッションの会に参加した。序盤は自然科学者にありがちな科学哲学、論理学に対する immature な議論が続いていた(それを批判するわけではなくて、僕自身のこういう分野に対する議論もかなり immature である自覚はあるから、それでもなお何かを模索しようと藻掻いている姿勢を評価している)のだが、中盤に話された鈴木晶子先生の発表がひどく印象的だった。名前だけは存じ上げていたものの話を直接聞くのははじめて。その淀みも無駄も論理の隙もなく、あまつさえ文化的背景や個人的経験に紐づいた本人だからこそ言える言葉の列に、思わず全集中力を傾けて聞きたいと思わされてしまった。論旨としては近代以降の epagoge(= 大いなる普遍性)と apagoge(= 個別的特殊)の間のサイクル、バランスの時代的変遷と、それに基づく AI 時代に我々が目指すべき、目指すべきでない道筋の議論。僕が最も気にしていると言っていい、「人間の価値観を科学・技術の中にどう位置づけるべきか」という疑問に対しても、彼女自身の答えを投げかけてくれた。こういう議論ができるのが大学にいる意味にほかならない。

2024/08/06 (Tue.)

  • 今年の朝は通勤のバスの中。もうすぐ80年。
  • リバッタルと学会運営業務でてんてこ舞い。ひたすらにメールを、Slack を打ち返す。しかしてお盆は既にもう目前。

2024/08/05 (Mon.)

  • 丸1ヶ月ぶりの坂上さんとの議論。1ヶ月あるなら何か進捗は生まれるだろうと高を括っていたが、見積もりはやはり甘く、今朝の今朝まで文字通り何も進んでいなかった。けれど幸いなことに、パソコンを切って朝から3時間ノートに向かったところ、1ヶ月前の議論を思い出してもう少し進めることができた。3時間の進捗は決して悪くなかった。毎朝パソコンを切って全てをシャットアウトして自分の思考に没頭、集中する時間が重要であることを切実に感じた。

2024/08/04 (Sun.)

  • 長旅の疲れか、昨日は一日横になっていた。こういうダラダラした一日は思い返せばたぶんアルゼンチン帰国直後のときから半年ぶりだろうか。半年間よく頑張ったんじゃないかと思う。
  • 大学時代の友達が京都に来ているという連絡を突然もらったので会いに行った。結局、ここでもテュービンゲンで既に合意に至った「東アジアの既定路線的キャリア観に起因する生きづらさ」という結論を再確認することになった。この文化圏全体で意識を変えなければどんな政策を打ったところで少子化問題はジリ貧だと思うのだが、まあとはいえ同世代でこうした考えが共有できているということは、時流的には次の世代くらいにはスタンダードな考え方が変わっていくのだろうか。

2024/08/02 (Fri.)

  • 帰国して早速大学へ、学生さんのディスカッションに乗る。査読者への返答がなかなか難しそうな指摘が来ていたが、よくよく見てみると立場の違いに関する価値判断の相違に過ぎなかった。この相違を明らかにしておかなければ不要かつ表面的な論争にしかならなかっただろう。そう思うと、価値判断基準の定式化はやはり非常に重要な問題だ。最近はなにかにつけて価値判断基準の問題が目に付く。自分の研究が実世界に滲み出ている感覚がある。
  • であるからこそ、もっと十数分くらいで問題の在り処に気づくべきだった。まだまだ未熟である。

2024/08/01 (Thu.)

  • 日本に着いた。帰国便が ANA だと搭乗した時点で日本に帰ってきた感じがして少し安心する。
  • さて、日常に戻らなければ。この 10日間の経験を糧にまた頑張っていこう。