Random thoughts in Japanese. All optinions are my own.

2021/11/30 (Tue.)

  • あっという間に11月も終わってしまった。5年も大学院にいたのにもうあと数日で博論提出の締切を迎えることに対して実感があまりにも湧かない。
  • はじめは博論をまとめるのは(もう既に終わった研究をまとめるだけだから)なかなか気が進まなかったのだけれど、やってみると自分の研究の方向性を既存の研究や哲学と照らし合わせながら議論するのはなかなかやりがいのあることだった。機械学習でも少し自分のトピックから離れたmeta learningや、更に機械学習からも離れて形式手法や古典主義 vs. コネクショニズム、計算量理論などまで幅広く議論できるのは、比較的時間の余裕がある博士課程だからこそできる贅沢なことだったように思う。あと数日、満足のいく水準まで仕上げたい。

2021/11/29 (Mon.)

  • 昨日は上野広小路亭に行った。5年も広小路を行き来しているのに行くのは本当に初めて。そもそも何の演目があるのかすら知らずに入ったら、浪曲という1人オペラのような落語の親戚のような芸能をやっていた。そもそも広小路亭は若手育成の側面があるらしいのだが、若手の演者の歌声の迫力になかなか見入ってしまった。しかし日曜の昼にも関わらず客入りは良くなかったのがもの悲しい。もっと表現者にスポットライトが当たっても良いのに、と思ってしまう。
  • その後、夕方は先輩にドッキリで結婚祝いをプレゼントしにいった。神楽坂のGli Scampiというイタリアンを紹介してもらった。エビ料理が美味しいのはもう言うまでもなく(一日経った今でもまだ風味が思い起こせる)、ワイン素人の自分でも違いが顕著にわかるようないいワインをたくさんいただいた。Il Cavallinoというオレンジワイン、Cala Biondaというアマローネ、グラッパなど、これからももっと試してみたい気持ちになった。

2021/11/27 (Sat.)

  • 吉村昭記念文学館に行ってきた。文学館の企画展で「関東大震災」執筆時の取材ノートが見れただけでも十分に有意義だったのだけれど、その前に通りがかったゆいの森の図書館であまりにも偶然に、昨日観た「Shari」の撮影をやっていた石川直樹のエッセイ「いま生きているという冒険」が目に留まった。10代から始まる世界を見たいという欲求に突き動かされた冒険、圧倒されてしまったの一言である。最後の締めで、最高峰に登ったり大河をカヌーで遡上することが冒険なのではない、自己が昨日まで遭遇しなかった新しい体験と感情に巡り合うことこそが本当の冒険なのだ、と括っているあたりが、「冒険家」として生きてきた石川直樹ならではの言葉のように思う。こういう人が撮影した映画なんだと思うと、またひと味もふた味も違った楽しみ方ができる。

2021/11/26 (Fri.)

  • 最近なかなか余裕がなかったけれど、気づいたら東京を離れるまで3ヶ月を切ってしまったので、もっと意識的に行っておきたい場所へ足を運ばなければいけないと思った。そういうわけで、今日は駒場図書館でリバッタルをやるという名目で、駒場・渋谷を回り尽くした。菱田屋、駒場博物館、新学生会館、ユーロスペース、ミッケラーと、これでもかというくらい詰まった一日だった。自画自賛になってしまうが、これでも一応リバッタルの原稿を一日で書き上げたところは我ながら頑張ったと思う。どこも心の底から今日行っておいて良かったと思えた。渋谷と駒場の間を死んだ魚の目をしながら往復していた学部生時代の頃を思い出しながら懐かしんでいた。全く後悔はない。
  • ユーロスペースには、吉開さんの「Shari」を観に行った。偶然公開最終日なのに気づいて滑り込んでみたら、吉開さんご本人が最後に登場して驚いた。なぜかなんとなくイメージできていた気さくな人柄だったのに安心した。ストーリーは想像通り自分ではなかなか受容しづらいものだったのだけれど、折角の機会だから、と思って買ったアーカイブブックを帰りの電車の中でパラパラ捲っていたら、これが思いの外に良かった。斜里の人たちの生活が滲み出ていて、「行ってみたい!」と思わせる。決して自分は手放しに面白いと感じられる映画ではなかったのだけれど、なぜか心に引っかかるところがあって、この人の次回作も見てみたい、そう思わせてくれるような作品だった。

2021/11/23 (Tue.)

  • 厳密には日付を跨いでしまったが、興奮冷めやらぬうちに書く。だらだらといつの間にか3年間続けてきた「10分で伝えます!東大研究最前線」の企画で、自分が講演できる最終回を終えた。3年前のはじめの頃は企画と適当に距離を保ちつつ講演だけ参加したりしたものだけれど、気づいたら自分で裏方の仕事をしていた。それだけ惹きつけられてしまう魅力のある集団だったと思う。今に始まったことではないが、小学生、中高生、大学生、研究室、社会人と進むにつれて人間のコミュニティはより狭く、より均一性が高まっていく中で、こうした質の高い横の繋がりが保てるコミュニティはかけがえのないものだと感じる。新しく参加してくれた講演者が楽しそうにしているのを見るとこちらも嬉しくなるし、やっていてよかったと思える瞬間だ。
  • 3年間、コミュニティを保てた以外に自分の中ではいくつかこの企画を通じて得た大きな影響がある。一つは、所謂人文系学問に対する解像度の向上だ。中学生以来、物理帝国主義的「世界を記述するたった一つの数式」に憧れてきた理系人間が、その帝国主義の覚束なさ、唯物論と観念論の間の紙一重、そして人間社会と科学の相互拘束的関係を意識できるようになったのは、自分の学問観を形成する上で欠かすことのできない体験だった。もう一つは、教育・啓蒙・サイエンスコミュニケーション・アウトリーチの難しさを身に沁みて実感したことだ。昨日も帰りの電車でそんな話をしていたが、例えば中学生の頃に鷲田清一や内田樹の講演が学校で聞けたのは今から思えば目が飛び出そうなほどに貴重な経験だったにもかかわらず、当の中学生だった僕はそんなものに興味のかけらも示した記憶がない。教育に生じるこのギャップは非常に大きい。おそらく当時の先生たちは教育者として「1000人の生徒がいて1人の心に届けばそれでよい」くらいで捉えていたのではないだろうか。とりわけマス教育は個人個人へのアダプテーションが難しいわけで、その状況を踏まえてどうやってメッセージをデザインするか、そこに教育者の哲学が問われているのだろうと思う。そんなことを自然と考えるようになった。
  • またこうして一つの峠を越えて、卒業までの道のりを一歩進めることになった。今までの道標がもう頼りにできないこの先どうなるのだろう。不安なことはたくさんあるけれど、きっと面白いことも多いんじゃないかという楽観的な気持ちもある。大切な人との関係を大事にしつつ、自分にできる眼の前のことをこなしていくしかない。

2021/11/21 (Sun.)

  • ここで日記をつけ始めてから1週間近くつけられなかったのははじめてな気がする。ひたすらにバタバタしていて夜に体力がなくなって日記がつけられなかった日が続いていた。
  • 疲れているとネガティブな思考にどうしてもなってしまう。学術と社会の関係はこうあるべきだとか自分で考えて、それを自分の研究やアウトリーチ活動で出来るだけ形になるように無我夢中でやりながら、それでも手応えが何もなく、こうやって一人で疲れて横になっている。本当に自分のやりたかったことってこういうことなんだろうか、という気持ちにならないことは難しい。本来はもっとロングスパンでしか結果はついてこないことを認識すべきなのはわかっていたとしても。
  • そういう気持ちになっていると、先週の「アイデンティティの発露か、社会課題の解決か」という話を思い出す。使命感を持って課題に取り組んだとしてもそれに対してフィードバックなんて返ってこないことがほとんどであって、そんな他者正義のために身を粉にするのは精神が持たないわけで、それよりは自己満足のために奮闘したほうが生きやすい。これはアイデンティティのために闘争でもない気がしていて、アイデンティティのための闘争に失敗した暁には自己否定になりかねないから。自分がよければ全て良し。そうでないと生きていくのは容易くない。

2021/11/16 (Sat.)

  • 色づき始めた木を見ながら大学に向かう。もう夏や秋を東京で過ごすことは、少なくとも当面はないんだなあと思うと、なんだか心許ない気持ちになる。こういうときに人生って大して長くないんだな、と強く思うし、できるだけ自分の時間を大切に過ごしたいと感じる。
  • ついに博論審査の日程と主査・副査の先生がすべて確定した。いざ審査員の先生が決まると緊張する。もう本当に博士課程も大詰めなのだなあと思うと、自分の人生がひとりでに進んでいるような奇妙な錯覚を覚える。

2021/11/13 (Sat.)

  • 連日立て込んでいたので、今日は家に引きこもった。けどついつい細かい仕事を片付ける。知り合いと喋る予定がいくつかあって、結局3つもオンライン通話をした。それはそれで息抜きになった。
  • ちゃんと考え抜いた大学院生と話すとはっとさせられる場面がいくつもある。今日は研究テーマが「アイデンティティ起因か、社会命題起因か」という難問を突きつけられた。僕は自分が持っている課題意識はマイノリティに属しているゆえに自分がやらなければ埋没してしまう、という気持ちから研究を続けたいと思っていた。それは回り回って社会の中で自分の課題意識をどのように植え付けるか、ある意味ではアイデンティティの主張と見える。しかし僕自身はきっと今の課題を解くことによってより良い世界に到達できると信じているし、それが社会にとって僕は必要だと思っているから、その面では社会命題的ではある。

2021/11/12 (Fri.)

  • 3日間にわたるIBISが今年も終わった。正直いろいろな仕事が(なぜか)被っている中でIBISの質疑も盛り上げることを試みつつだったので半端ないほどに大変だったけど、やはり自分が好きなんだろうな、達成感と充足感がある。楽しい3日間だったと思う。
  • 先輩に誘われて本郷界隈のバーで打ち上げをした。前から気になっていた湯島のTORと、かなり久々のテールズエール。TORはやはり北欧系の揃いが良いし、テールズエールでははじめてのデリリウム・ノクトルムを飲んだ。ノクトルムはベルギービールを思わせない濃厚さ、かつアメリカのようにホップで攻めてこない後味、本当に微妙に香るフルーティーさ、全てを含めて新しい体験だったように思う。

2021/11/10 (Wed.)

  • 今日から3日間IBIS。朝から博論の修正をしつつ、IBISに参加しつつ、リバッタルをしつつ、引っ越し直前の友達とヒチカケで飲みつつ、でてんてこ舞いな一日だった。だけれどもとても充実感がある。やはり人と関わっていることに充実感を覚える。ようやくコロナで失われていた生活を取り戻している気がする。
  • IBISの質疑はどうせオンラインだからあまり活発でないだろうと見込んで、厚顔無恥を敢えて貫いてひたすら質問をする人をやっていた。おかげさまでproper lossに関する知らない知見を得ることができた。[vRW18]でFenchel-Young lossっぽい損失関数の構成が議論されていることや、[RFW+15]でproper lossの必要十分条件について議論されていることを知ることができた。どちらも存在を知っている論文ではあったけど、そんな結果が含まれていることは知らなかったので、この点に関しては本当に質問を雑にしてよかったなあと思う。

2021/11/09 (Tue.)

  • いつかは読まなければならないと思っていたSavage (1971)だが、博論を執筆する上で自分でストーリーに納得を持つためについに読んだ。そもそも数理統計の分野でproper scoring ruleがどのように登場したのか全く知らなかったので、とても勉強になった。この論文中で、Savageはscoring ruleをうまく使って主観的確率の定義を行っている(具体的にはある商品を売りたいときに、売る側は心の中に「売っても良い最低金額(rate of substitution)」があり、買う側がどんな値段を言うのかによって期待収益が計算でき、これがscoring ruleの基本的な定義をなす)。
  • 昨日は偶然先生と話す機会があって、研究のあり方について割と長々と雑談をしていた。やはり細かいところでは賛同できない点があって、特に「他の研究者の論文をサーベイするのは(自分が研究するにあたって)リソースがもったいない」というのはなかなか納得できない。僕自身は学問というのは過去の研究者たちが積み上げてきた山の頂上にもう一つbuilding blockをのせる行為であると思っているし、だからこそこれまでの研究は大いにリスペクトする必要がある(勿論リスペクトする必要がないと言っているわけではないのは承知している)。それこそ文献学的なアプローチが大事になってくる分野もあるわけだし、これまでの研究をどのように整理するか、どのような系統的見方を与えるのか、という点に関してはやはり並々ならない貢献がある。僕はそういうふうに考えている。
  • むしろそういうアプローチを取らないと、コミュニティ内の人間が相互に研究をちゃんと理解し合わなくなる風潮になる。こういった悪い意味での競争的な風潮によって「いろいろな大切なもの」が失われているのは敢えて触れる必要もないくらいだ。

2021/11/07 (Sun.)

  • いつか行ってみたいと思っていた秩父・長瀞を訪れた。電車の時間だけ調べてそれ以外何も調べずに行って、着いたらどうやら山があるらしいということで突然登山をした。有名な観光地なだけはあってそれなりに人はいたけれど、登山道になれば人はまばらになって、何も考えずにぼんやりと登山できたのは気晴らしに良かった。

2021/11/06 (Sat.)

  • およそ1年ぶりのクラフトワークスに行ってきた。久しぶりに飲むとポーターでさえ愛せてしまう。学科の同期と教育哲学と社会構造みたいな話に関して延々と4時間くらい喋っていて、非常に盛り上がった。大学が一研究期間でありながら教育機関でもある、その立場をどのように捉えるべきか、まだまだ考えるべきことは多い。飲み終わった後はひとりで帰路につきながら上野広小路をぶらぶらと歩いていた。このほろ酔いの感覚で10時過ぎの雑然とした広小路をふわふわと歩く感覚、あまりにも久しぶりすぎて、学部時代の課題に苦労していた時期さえ思い出す。懐かしさがこみ上げてくる。

2021/11/05 (Fri.)

  • 10ヶ月ぶりに上野ワールドエンドが営業再開した!思わず浮足立って開店に駆けつけてハーフパイント2杯を頼んだ。生のクラフトビールにはかなわない。
  • 先月には存在は知っていたけど初めて「Hitch x Kakeru(ヒチカケ)」に友達と訪れて、それから今日のワールドエンド後のハシゴで3回目になる。アットホームな雰囲気でビールの種類もアメリカ・ベルギー・北欧に限らずアジアやオセアニアなど、全く知らない地方のビールがあって本当に面白い。残り少ない台東区生活を満喫している。

2021/11/04 (Thu.)

  • 時間が早すぎて気づいたら11月になっている。IBISや「10分…!」のプレゼン準備や査読など、仕事がかなり落ち着いたので楽。数日のんびりしていたので、明日くらいからそろそろ博論の修正に取り掛かろうかと思う。

2021/11/01 (Mon.)

  • 首の後の粉瘤の摘出手術をしてもらった。去年親不知を抜歯したときぶりの局部麻酔。博論を一旦書き上げた週明けなので、少しゆっくりする。
  • 鈴木「東洋的な見方」を読み終わった。10月の後半はなかなかに忙しかったので読み切るのにだいぶ時間がかかった。東洋思想に関する書籍を読んだのはこれがはじめてだけれど、ようやくなんとなくその端緒がつかめてきた気がする。最初は二元論や弁証法と何が違うのかとよくわからなかったが、西洋哲学の思弁が矛盾の積極的解決を行うことに依拠しているのに対し、禅の思想では矛盾自体をそのまま受け入れる、消極的というわけではないが、ある意味では矛盾を肯定的に受け入れるところが重要なのではないかと思った。