Random thoughts in Japanese. All optinions are my own.
2025/12/21 (Sun.)
- 駆け込み寺で受け入れている学生の教員から先週もらったメールを思い返す。文面の節々から「迷惑をかけたのは学生であって私ではないので」というメッセージを強く感じる。昔からそんな責任逃れをするような人だっただろうか。もっと若者の面倒見が良い人だと思っていたのに。まあ学生側は学生側で問題がなかったとは言わないけれど、双方の話を聞いているとどうにも根本的な問題が学生にあったようには思われず、両成敗なのだとしたら権力勾配の下側にある若者の肩を持つべきなように思う。かれこれ知り合ってから10年経つ先生だけれども、10年という年月が人を変えてしまったのだろうか。次に会うときにどんな顔をして会えばよいのだろう。
- 雨。今月はずっと天気が良かったので、久しぶりのまとまった雨。少し出かけて目的もなく商店街を歩き、ジェラートを頬張り、家に帰って紅茶で落ち着く。去年のクリスマスに城ヶ倉のロッジで雪が深く積もる中で暖炉の横で紅茶を飲んでいたのを思い出す (2024/12/24)。毎日大変なことは少なくないけれど、こんなほっと息をつける時間を味わうために日がな駆け回っているのかもしれない。
2025/12/18 (Thu.)
- 東京から帰る前に朝から立て続けに研究ミーティングが3件。面白い話は聞けたのだけれども、僕は役に立っているのだろうか。自分の研究で手一杯で、それも解き切ることができずで。悩ましい。
- 時間指定の帰りの新幹線を逃してしまって失意に打ちひしがれていたのだが、幸い払い戻しができた。しかしもう疲れている。結局証明が思いつくまではこんな悶々とした日々が続くのだろう。
2025/12/17 (Wed.)
- ずっと証明に立ち向かっているが本質的な手がかりが見つからない。Soudry の言っていたこと (2025/12/04) が正しかったのだろうか。しかしどうにも彼の仮説は彼の証明のアプローチ(w のノルムが無限に飛ぶことに依拠)に大きく制限されているような気がして、本質的に違うアプローチを辿ると証明できるんじゃないかという気がする。どれだけ数値実験をしても反例が見つからないし。しかし証明の手がかりが見つからないのは苦しい。
- 毎年10月から12月はこんな感じで悩んでいる気がする。しばしば思い出すのは COLT2023 論文の証明を汐留日テレのタリーズで考えていたとき (2022/11/06)。3年前の研究ノートをふと開いて、自分で「よく頑張った!」とかノートに書き込んでて笑える。まあそりゃそうだよな。後から見ると moduli of convexity を使った証明なんてたったの1行で、あまりにも自明なのだけど、あのときは本当に丸々1ヶ月くらいかかったのだから。今となっては良い思い出。
- 知り合いに誘われて渋谷に飲みに行って、それからミッケラーに軽くハシゴした。いつ振りだろう、明らかに思い出せるのは博論提出直前のタイミング (2021/11/26)。インペリアルスタウトを一杯だけ飲む。今でこそ頻繁には飲まなくなったが、これを飲むと博士課程の頃をありありと思い出す。
2025/12/16 (Tue.)
- 書類、書類、書類の嵐。とはいえ計算機購入や研究員・学生の受け入れ関連にまつわる書類なので、研究環境の改善に繋がるポジティブな仕事だ。シニアな教員が総合的にどういった書類仕事に忙殺されているのか、想像力がまだ及ばないけれど、きっと僕が今やっている書類仕事はかなり生産的な方なのだろう、と思うことで邁進する。それにしても、特定助教時代ではイメージできなかったほどに、来年は研究室然としてくるかもしれない。研究も頑張らなければならないけど、研究環境の改善も頑張らなければ。研究室環境の整備は早ければ早いほど、年単位で大きなレバレッジがかかってくるであろうことは容易に想像ができる。
- DELF A1 に引き続き (2025/07/22) A2 も合格。受け終わった時点で合格だろうなというのはわかっていたけど、点数が81.5点だったので、頑張ればもうちょっと高い点が取れただろうなという実感も正しい。半年前と比べると学習曲線がややプラトーに近づきつつあるのは感じる。語彙を定着させて、頻出フレーズは口を自然につくように練習して、シャドーイングをして。そういう地道な学習方法が必要な段階になっているのはわかるのだけど、アフターワークではなかなかそこまで食指が動かないのも事実。でも、ここまで来ると B1 もさっさと合格して B2 に真剣に取り組みたいという気持ちさえ芽生えてきた。フランス語に対してここまで向上心が芽生えるとは思っていなかったので意外。
2025/12/15 (Mon.)
- 高校の部活の後輩の訃報が突如として入ってきた。実感が湧かず呆然とする。大学に入ってからも同じサークルだったし、下宿も近くだったので結構仲良くしていたのに。気づいたらもう5年以上会っておらず、そのままになるとは。これだけ近い知人を亡くしたのはかなり久しぶりかもしれない。朗らかで面倒見の良い彼も、大学院以降は彼自身のことで悩むことも多かったみたいで、その時期から疎遠になってしまったのは今思うと悔やまれるし、もう少し話でも聞いてあげられればよかったのだが。
- 人生も3分の1を過ぎている。会いたい人にはどれだけ会ったとて損することはない。
2025/12/14 (Sun.)
- 結婚式から一夜明けて立川で。それも相俟って、この歳になると孤独を感じる。それは否定的、悲壮的な意味合いではなく、ただ客観的な叙述として。結婚式では学部の友人と久しぶりに再会して、濃密な学部時代の時間のことを思い出していたが、10年経つと皆ライフステージもキャリアも全く違う方向に向いてしまっていて、バックボーンとして大学の「場」を共有していたあの頃の時間はもう戻ってこないのだ。それは僕自身が選んだ道でもあるので、半ば望むべくして至った境地ではあるのだが。立川の開けた空を眺めながら放浪しつつ、考えることと言えばパラメータ力学系の記述方法で、それが好きで、でもどうしようもなく道のりが見えず暗中模索で頭の中では一日中藻掻いており。どこへ向かっているのかはわからない。ただ好奇心という名の圧政者にひれ伏すだけで、それに対する抵抗の意思はとうに奪われている。そういった孤独なのである。
- NeurIPS で出会ったアメリカの学生に共同研究したいというお誘いをいただいた。僕はありがたいことだと思うし、オープンマインドでありたいから受け入れる。リソースはなんとか絞り出せるだろうと楽観視して。でもふと Jingfeng に共同研究をそれとなく打診したときに遠回しに断られたことを思い出す (2024/12/05)。あの態度はあの態度で自分自身の研究の方向性をソリッドに打ち立てるためには必要な態度なのだろうと思うし、少し声をかけられただけで喜んで話に応じる僕のような軟弱者は意志薄弱として誹りを免れないのかもしれない。所詮エクスプロイトされる側なのかもしれない。まあそれでもよいのだ。エクスプロイトする側・される側という二元論自体が、構造的に勝者と敗者を生み出す。もっとコミュニティとして間主観性を大事にしなければ、真の意味で他者の隣人となることはできないと思うのだ。もしそれが自分のあるべき・目指すべき人格であると感じるのならば。
2025/12/13 (Sat.)
- 今年3回目の結婚式に行った。めでたい。なんともう付き合って5年らしい。時間の経過が早すぎる。ついこの間までフリーだったような気がするのに。
- まわりで流石に結婚、出産の話が増えてきた一方で、仕事界隈だと基本的に結婚も出産も周囲に比べて年代が遅くなるので、気づいたら一般社会と乖離してしまってるなと節々で感じる。やや浮き世離れしている感は否めない。
2025/12/12 (Fri.)
- 研究ミーティングづくしの1日。自分の研究や仕事を止めなければならず非常に心苦しくはあるが、確実に勉強にはなる。
- 学生の研究で、いままで考えてきた方向性がどうにも問題を複雑にしすぎているようで、少しフレーミングを変えることで解けるのではないか、という話に至った。2時間超えのミーティング。流石に消耗したものの、彼の研究が少しでも良い方向に向かってくれるならこれくらい、という気持ち。ただ、2ヶ月前 (2025/10/06) に感じていた主体性の欠如は杞憂だということがわかってきて、彼自信藻掻きながらも研究に対して積極的な興味を持ってなんとか取り組もうという気概を感じる。少なくとも僕がミーティングで喋ったことをなぞるだけの作業だけでなく、きちんと網羅的に思考を重ねてきていることを節々から感じ取れる。そういう意気込みを感じると、僕の方も相応の態度を持って応えなければと思う。
2025/12/11 (Thu.)
- 机に向かって自分の研究を考える時間があることに驚く。毎度その時間があることに感謝の念を抱かずにはいられない。考える時間があるのは僥倖だ。
- 一応振替休日なので、コラソンに出向いてコーヒーを頂きながら論文を読んだりした。ペルーのツンキをいただいた。ビターチョコレート感がありつつも、レーズンと一緒になるとまろやかな果実感もある。一口目のボディが良かった。
2025/12/10 (Wed.)
- 学生の研究をどうやったら軌道に乗せられるのかわからなくて悩む。自分で取り組むなら数週間集中して活路を見出すまでひたすら試行錯誤を試して、気合いでうまくいくように理論や実験を組み立てるだろうなと思うのだけれど、それをやってしまうと最早学生の研究ではなくなってしまう。一方で僕自身だったら試すであろう試行錯誤のステップを少しずつ学生に指示してやってもらうというのもあるのだけど、学生が指示待ちになってしまうとか、試行錯誤のステップ数があまりに多いと途中で心が折れてしまうとか、やはり課題は少なくない。そのあたりも含めて学生の性質にあわせて適応的にやるしかないのだとは思うのだけれども。
- そんな話で悩んでいたので、山田さんと少し雑談をした。結局本人にどれくらいその現象・アルゴリズムに対する信念があるのかに全てが委ねられていて、本人が強く信じていれば研究をやり遂げられるし、疑問を抱いているようであれば途中で挫折してしまうんじゃないか、ということだった。全くもってその通りだと思う。信念があればやり遂げるだけの気合いを持つことができる。外側から働きかけて信念を植え付けるのも話が違う。本人の信念をどうにか引き出せないか、という方向性で努力してみようか。
- ほぼ20日振りに研究ノートの自分の計算を見返す (2025/11/20)。何が書いてあるかわからない。毎度この思い出す作業のオーバーヘッドが重すぎて悲しい。
2025/12/09 (Tue.)
- 今回は初めてのビジネスクラスでの出張だった。いままでのエコノミーの苦労を思い出すと本当に快適で、1週間前の渡米便では機内 Wi-fi 経由で計算クラスタにつなぎながら Claude Code で実験を劇的に進めることができたし、今日の帰国便もたっぷり6時間寝て、残りの6時間論文を読むのに集中できた。忙しさはどんどん増すばかりだが(楽しい研究に誘われることが増えてきて喜ばしいことではあるが)、こうやって時間を有効活用して良い研究を重ね、一歩でも遠くの世界の景色を見たいものである。
- 学生へフィードバックするとき、もっと威圧感の少ない言葉遣いをするべきなのは重々承知しているのだけれど、想定の下のパフォーマンスの仕事が上がってくるとどうしても堪えきれずに言葉や態度の節々から滲み出てしまうのをどうにかしたい。難しい。端から期待しなければそう思うこともなくなりそうだけど、それは教育として本末転倒だし。
2025/12/07 (Sun.)
- 会議最終日にして大御所のとてつもない爆弾級の misconduct 話を耳にしてしまった。そんなに unprofessional なことが許されるのか?倫理観の欠片もないのか?
- 僕が5年前に証明を間違えてしまった (2020/12/14) ばかりに、これほどまでに巨大な悲しき怪物が生まれてしまうとは、思いだにしなかった。
2025/12/06 (Sat.)
- La Jolla Cove に少しだけ足を伸ばした。そういえばアメリカで海岸に来たのは初めてかもしれない。見たことのない植生、群居するウミネコにアザラシ、降り注ぐ暖かな日差し、利根川進がサンディエゴは地上の楽園だと回顧するのも全く納得できる。
- 学生が解けなくて困っていると連絡してきた問題、会議期間中で落ち着いて時間が取れなかったのだが、ホテルに帰ってきて小一時間くらい Claude と会話しながら計算してたら普通に解けた気がする。まあ測度論を自在に使えるようになっていて欲しいとまでは期待しないけれど、これくらいだったら自力でやり切って欲しいとも思う。
2025/12/05 (Fri.)
- NeurIPS、実りが多すぎる。新しい知り合いとも古い知り合いとも有益な情報交換から新規のアイデアまで、目を見開くようなワクワクする話をいくつもできた。昨日の話でも言及し忘れていたけどいくつか重要な示唆があった。
- Yuan Cao と話していたときに「ほとんどの SIM 学習は標準ガウス入力しか考えられない」というくだりで、彼が「本質は信号と雑音の直交性に強く依存している」ということを指摘してくれた。それは確かにそうで、そのために高次元極限を取っている。逆に雑音が完全ランダムではなく固定ベクトルだと仮定すると、多少直交していなくてもなんとかなりそうなのだとか。言われたらそうな気もする。
- Large stepsize の話でも、adaptive stepsize に拡張できるのではないかという指摘があって面白かった。実際できそうだけど、全く思い至らなかった。実際のところ勾配の有界性の仮定を外したりはできそうといったご利益もある。地味ながらいい話。
- 今日たまたま知り合い伝手で知り合った Parikshit Ram の話もめちゃくちゃに面白かった。Hopfield-Fenchel-Young network の紹介をしてもらったり、Geshkovski model の拡張のアイデアを教えてもらった(流石にここには書きづらいので省略するが)。非常に興味のある話なので、共同研究できたら良いのだが。
- あとは細かいながら Jon Schneider と声を交わしてたぶん覚えてもらってそうな雰囲気だったりしたのも嬉しかった。研究の興味が近くて話が盛り上がっているうちに親睦を深められるのは実直で嬉しい。
2025/12/04 (Thu.)
- 本会議2日目。チュートリアルを含めてもまだ前半戦とは思えないほど実りが多く、例年に比べても楽しさが2倍3倍である。なぜだろう、まあ例年に比しても自信作を発表しているからなのと、僕自身の色んな問題に対する理解が深まっているからかもしれない。
- 2日目のポスター発表は large stepsize の話。チュートリアルでも Jingfeng がトークをしていたのもあって、興味を持ってくれている人が多くて、発表側としてはやり甲斐がある。損失関数を変えるところの動機は実はそんなにわかりやすいはずではないのだけど、IBIS のポスター発表での経験を踏まえてうまく喋れるようになった。ポスター後半戦で不意打ちのように突然 Daniel Soudry 本人が現れて、あまりに嬉しかったのだが、Soudry は流石に問題の構造に対する洞察が鋭く、厳しい指摘を投げかけてきた。ただ、彼は exponentially-tailed loss でない限りは最大マージン解への収束は絶対にしないと主張していたのだが、僕はどうにもその主張は偽であるように思われる。Exponentially-tailed loss だと support vector を考えるときに support vector 以外の重みを 0 に落とさざるを得ず、その際にノルムを無限に飛ばさないと重みを消すことができない。それはそうなのだが、exponentially-tailed loss でなければ有界領域で重み 0 を実現可能なので、最大マージン解への収束が示せるように思える。むしろそうであってくれないと、いま進行中の研究がうまく回らないので困ってしまうのだが、シミュレーションをやってみてもそのような直感がある。
- 書きながら思い出してきたが、3月頃にこの研究を考えていたとき (2025/03/11) に、一度 non-exponentially-talied loss では最大マージン解に収束しないという結論に至った記憶が蘇ってきた。しかし、最近(といっても10月頃)研究ノートを読み返したら当時のロジックが回っていないように思われてきた。本当のところはどうなんだろう。Soudry には「positive result を示すので書き終わったら見てください」と豪語してしまったが、途端に自信がなくなってきた。
- ディナーは坂上さんらと二次会まで行き、なんと二次会のワインバーでアルゼンチン振りのマルベックに出会うことができた。ワインを片手に、先月の軽井沢合宿で勝手に納得した (2025/11/05) calibration とスワップリグレットの関係をなんとか復元しようと躍起になっていた。最終的になんとか辻褄を合わせられた気がするのだが、プレイヤーの確率予測に対して最適な離散化を施すと best な calibrator が得られることが期待されて、そのときの離散化のプロトコルがスワップリグレットで導入された置換写像だと思うと良さそう。そうすると、スワップリグレットの定義はプレイヤーと best calibrator の calibration error を見ていることになる。なんと二次会でワインも入った状態でこんな生産的な話ができるとは思わなかった。
2025/12/03 (Wed.)
- 「共著者としての仕事は最後に Overleaf を一度開くだけ」みたいなことを笑いながら豪語しているのを見ていると、ものすごい表情になってしまう。本気で言っているのか。それで楽しい?別に自分がそれで楽しいのならいいけれど。
- 業界にいる時間も地味に短くないので、いくら議論してもし尽くせないくらい知的に誠実な人たちと知り合えた一方で、しょうもない政治ゲームでリソースを食い潰している人たちも見かけるので、なんとも言えない気持ちになる。距離感が大事。
- ポスターセッションでは損失関数の専門家たちがこぞって立ち寄って「cool work だ」と言ってくれたのは勿論嬉しいが、一方で数理統計や制御理論のように専門ど真ん中ではない人たちもちらほら立ち寄って、凸解析パートの美しさに共感してくれたのはなおのこと嬉しい。どうしても損失関数という研究としてはマイナー目なトピックであることは悩みのタネであり続けているのだが、こうやって隣接分野の人たちに共感してもらえるのは、まさに望外の喜びだ。
2025/12/02 (Tue.)
- チュートリアルを聞いていたら、自分もチュートリアルをやりたくなってきた。昔学生のときに大胆にも Yutong と Jessie とチュートリアルに応募して結局落とされたが、いまこそお互いの知見も溜まってきて、チュートリアルで自信を持って喋れるくらいの経験は積めているんじゃないだろうか。
- 会場を練り歩いていると国内外の古い友人にしばしば巡り合わせる。近況を報告して、互いに思う進むべき研究の方向性を語り合って。まだまだ研究を続けようという刺激になる。
2025/12/01 (Mon.)
- ICLR の査読が例年通り燃えて、OpenReview のセキュリティバグで SNS が大荒れして、論文を量産するのは虚無だとか査読・評価指標ハックだとか、そういう世知辛い話しか流れてこないのだが(本来は SNS なんて見るべきでないのに見ているのは自分の心の弱さである)、なぜそこまで皆して虚無感を抱いているのか。自分が価値があると思える研究、納得できる研究ができれば、査読なんていつかは通るから他人の評価はどうだってよくてオマケみたいなものなのである。査読で高評価だったらクジに当たったようなものでラッキー、以上の話ではない。自分の研究の良さの評価基準を外在化しているから、査読システムに翻弄されるし、論文数を嵩増して業績過当競争に自らの身を投じる羽目になるのである。経験の少ない若者が他人の目を気にしてしまうのは仕方はないにせよ、助教以上のそれなりにシニアな世代がいちいち査読システムに突っかかっているのは情けなく思う。学生のために怒っている、なんてのは言い訳だ。学生に他者基準の評価軸を植え付けるようなことをしてはならない。むしろ自己の中に確固かつ個性に根ざした評価軸を涵養すべきで、それが教員をやるべき教育の中で相当に重要なものの一つだと僕は信じている。
- ここ2週間ほど、学会に参加したり領域会議に参加したりで、書かなければいけないコードに対して食指が動かなかったのだが、先日の領域会議で Cursor や Copilot の素晴らしさを宣伝された結果ついに腰を上げて Claude Code をセットアップした。ついでに長年サーバ上で vim を叩いていたのからも脱するべく、VSCode の remote control をインストールした。結果、本当に体験が良い。もっと早くセットアップしていればよかった。サーバ上のコードを Claude にお願いするだけでどんどん編集できる。もうここまで来るとプログラミングのパラダイムが本当に変わってしまったと言わざるを得ない。
- NeurIPS の会場に着いて、そのへんのテーブルで作業をしていたら Robi に再会した。昨年の Simons で会ってから1年 (2024/12/03)、1年の間に会うのも3回目。しかも毎回全く示し合わせずに偶然鉢合わせるという。ここまで来ると半ば腐れ縁のようなものである。