Random thoughts in Japanese. All optinions are my own.

2026/10/21 (Wed.)

  • 「仏教語としての『自由』と西洋語の freedom は厳密対応しない」という話は好きでしばしば会話の種に持ち出すのだが、それを綺麗に例示できる文章として「Xという性質が自然に従う」を思いついた。この「自然」は follows freely と訳してしまうと明らかにおかしくて、もし訳すのだとしたら follows immediately となる。これでもニュアンスは若干違うのだけれど。非常に良い例だと思った。
  • 昨日の「AI時代」の話、Clément Canonne のブログ記事にも書いてあった気がするけど、僕ら基礎研究者がやらないといけないのは「{計算, 学習, 論理, 言語, etc.} とは何か」という概念的な話であって、数学の問題を解いているのはあくまでそのゴールに向かうための代理目標に過ぎない。そう考えると代理目標を AI によって高度に加速化できるようになりつつある現状はかなり望ましいとも言える。なのでより fundamental なゴールに向き合わなければならない(ジュニアな研究者がどうやってメンタルモデルを構築すべきかという教育的課題は措いておくとして)。同時に、基礎研究のコミュニティ外ではこういった概念を問うことの重要性がほとんどと言っていいほど認識されていなくて(これは自然なことで彼らを責めるべきでない)、だから基礎研究者が重要性を訴えていかなければならない。その責務は非常に大きい。
  • 昨日も今日もAI生成のセミナースライド。口を開けば「AIに聞いたらこう言ってました」。辟易としてきた。
  • 査読も事務仕事も落ち着いてきて(散発的に事務仕事は降ってきているが我ながらあり得ないくらい速いスピードで打ち返している)、今日は久しぶりにゆっくりと論文を読む時間も取れるようになった。とても嬉しい。学生や共同研究者の原稿に目を通すべきではあると思いつつも、自分の研究を考え始めたら没頭してしまった。昨年の NeurIPS のディナーで話題になっていた Fishelson et al. (2025) (2025/12/04) をじっくりと読んだ。だいぶ swap regret と calibration の繋がりが自分の中で見えるようになってきた。

2026/10/20 (Tue.)

  • TCS 研究者がちらほらと「AI時代における研究者の向かうべき方向」に関するブログをいくつか書いているのを見かけた。僕もこのタイミングで記憶が新しいうちに書いておきたいなと1ヶ月ほど思いつつ、しかし時間がないことを言い訳に棚上げしてしまっている。
  • ニュースを見ないうちにフランスの抗議活動が激しさを増している。知り合いは少なくない。現地の人たちはどう見ているのだろうか。

2026/10/19 (Mon.)

  • 今期は受講生のスケジュール上火曜1限に講義をすることになってしまったので、月曜から講義準備をしているのだが、classification-calibrated loss の期待値と inf を入れ替えるところを Claude に聞いてみると Steinwart の可測選択に基づく高級な議論を挟まなくてももっと初等的な測度論で示せることがわかった。大学院生のときからずっと、本当に何年も Steinwart の論文が自分の前に立ちはだかっていて (2021/08/03) (2022/06/24)、今もなおどこにいくにもカバンの中には常に彼の50ページ超えの論文が入っているのだが、一夜にして完全に理解できてしまった。呆然とするような感慨深いような、興奮とも何とも取れない感情で、とりあえずこれは今すぐノートにまとめなければと思い、明日の講義の補足資料がてら書き上げた。2時間くらいで終えるつもりだったのが、ほぼ1日使ってしまったが、それほど後悔はない。今までやってきた研究を振り返ると、僕はこれを理解して清算する必要がある。

2026/10/18 (Sun.)

  • 昨日の雑談で話していたことを帰宅してからも考えていたのだけれども、数学、理論は役目を終えるどころか、これからの時代全く色褪せることなくむしろ従前よりも力強い魅力を放つのではないだろうかと思う。というのも、結局「構成」(プログラミングしかり証明上の正例・反例構成しかり)は AI の方が圧倒的に高速かつミスなく並列化しながら可能なのだから、それよりは「構成できる道筋」を見出す方が重要になってくる。僕が元々なぜ学生時代に熱中していたシステムプログラミングに食指が動かなくなったのかと同じ話で、チップの仕様書を見て大まかな実装方針が立ったら、そこから先は機械的な作業になるのである。もちろん AI も「道筋を見出す」のは得意なように見えるのだけれども、それはあくまで莫大な試行錯誤を元に宝くじを引いているようなもので、構成ができるかどうかはある種の神頼みに近いところがある。だから科学コミュニティの理解醸成のためにも、そしてエネルギー節約のためにも、人間が大まかな構造を理解してアタリをつけるという意味での数学、理論はますます重要になるのだろうと思う。

2026/10/17 (Sat.)

  • 理情のホームカミングデーに呼ばれて講演をしてきた。在校生や卒業生、しかも多様なバックグラウンドの人たちが入り混じる中で何を話したものかと思ったけれども、できるだけ内容を平易にして凸解析の話でもするかと思って試みた。どこまで伝わったのかは定かではないのだけれども(喋りながら「やっぱり専門用語が多かったかなあ」と反省もしていた)。現役学生や自分よりも若い卒業生と話ができたのはよかった。今の学部3年生が目を輝かせながら Firefox のスタックトレースを眺めていた話を聞いて、理情は何年経っても理情なんだなというのが実感できたのが印象深かった。あの学生の目の輝きをそのまま社会に送り出したいなと切に思う。それが社会が明るくなるための一歩、あるいは教員としてできる小さな一歩のように思われるから。

2026/10/16 (Fri.)

  • 今日も打ち合わせを3つして、それでほぼ終わった。打ち合わせは有意義ではあったけど、昨日も今日も帰宅してもう完全消耗。本当は査読を終わらせたかったけど。でもまあもうちょっとで仕事の山を抜けそう。そうしたら久しぶりにゆっくりと研究したいな。来週はそういう時間も取れるかもしれない。
  • いよいよマネージャー業務が本格化している。特に予算周り。今日は学生の旅費をなんとか捻出できないか計算を繰り返していたし、今週は別の研究助成金の申請書を急いで書き上げて提出した(3ページの申請書を推定5時間ほどで)。

2026/10/15 (Thu.)

  • 今学期初回の講義を終えてから、それから学生と打ち合わせをしてセミナー2件。合間に重要なメールを何件か。これで音を上げてられるかってところだけれど、悲しいかな、なかなかギリギリである。ただ今日はポスドクのセミナーをホストしていて気を揉んでいたので仕方ない。振り返ればどれも学生や研究員のための場作りの仕事だ。そう認識すれば全てが生産的である。
  • しかし1件目のセミナーを途中退室せざるを得なかったのは惜しい。Online-to-Nonconvex-Conversion、Adam や Muon の理論に興味を持つとしばしば遭遇する壁である。しっかり腰を据えてリグレット解析を追いたいものの、そんな落ち着いた時間はなかなか訪れない。人に使う時間と自分に使う時間のトレードオフ。もっと、もっとうまく、効率よく生きるしかない。

2026/10/14 (Wed.)

  • 坂上さん、渡邉さんとの共同研究が公開された(arXiv)。元々さきがけの領域会議で渡邉さんと知り合ってからどうやら凸解析とモデル検査に関係があるらしいとの議論を続けて、本格的には渡邉さん企画の軽井沢合宿 (2026/06/19) から始まり、数週に一回 NII に集まって議論を繰り返して完成した。モデル検査と凸解析の関係性もさることながら、凸解析の問題としても凸集合と凸集合の包含関係判定問題という古典的でかつ絶妙に課題が残っている問題が中心になっているというのも良い話。
  • 昨日学生とご飯を食べていた折に、「自分は国内だったら包先生以外に指導教員はあり得ない」という言葉がふっと出てきて、意表を突かれた。それ自体は額面通りに受け取れば嬉しいのは当然であるものの、僕の研究の方向性を学生がそのまま追随して良いのかどうかとか、本当にどこまで僕の研究をわかって言っているのか、ただ単に僕の喋った言葉や紹介した論文を雛鳥のように鵜呑みにしているだけなんじゃないかとか、勝手に穿った見方をしてしまい不安になってしまった。でもそれは学生が悪いのではなくて、おそらく僕自身の自信のなさ、self-convince ができていない証左なのかなと思った。今日は Yutong と定例のミーティングをして、彼は学生と multiclass classification の研究を直近でやったらしく、そこまで踏み込んでは話できなかったけどどうやって学生の興味を自分の興味の近くまで引き寄せるのか、学生との興味の距離もそうだけど、self-convince できるのかが気になってしまった。僕はいまだにそれが足りていない。信念が足りないのだろうな。

2026/10/13 (Tue.)

  • 休み明け、学生とのセミナーでもぱっとした質疑ができず、久々に再開した研究も昔の記憶を呼び起こすのが大変えdそんなにすぐに進捗も生まれない。年々時間が貴重になっているのに焦りを感じながら、しかしこれ以上どうすることもできない。

2026/10/12 (Mon.)

  • 浦和まで出かけてウェディングフォトを撮りに行った。待ち時間、何を考えるでもなく待合室から外の通りの景色をぼんやりと眺める。スタジオのウッディな雰囲気と外のコンクリートビルの佇まいのコントラストに現実感が埋没する。たったドア一枚を隔てた空間、その中での僅かな時間(スタッフさんの手際の良さのおかげで)、シャッターに収まった写真を見るとどこかしら自己同一感がなく、そして帰りの電車に乗って自宅にあっという間に帰ってくると、本当に今日写真を撮りに行ったのかどうかもよくわからないような、一瞬の非日常だった。

2026/10/10 (Sat.)

  • 先月からずっと観たかったのだけど仕事が忙しくて観に行けていなかった『オデュッセイア』を念願叶って観に行けた。前半のファンタジー調のハラハラシーン、後半に畳み掛けるアクションに加えてヒューマンドラマの高揚が合わさって、観終わった時に感情の収拾が全くつかなかった。天晴れノーラン、どうすればこんな映像作品が作り上げられるのか。おそらくモロッコで撮影されたと思われる砂漠のシーン、スコットランドの絶海の孤島のシーン、どれも途方も無い自然を目の前にした無力感を世界観に織り込むには十二分にすぎる。

2026/10/09 (Fri.)

  • 査読しているとなぜかアブストを一読しただけで fully AI-generated かどうかがすぐわかる。文章がおかしいのだ。文法的には破綻はないのだけど、そのかわり人間に読ませる気のない、情報と概念を圧縮した高密度であべこべなスープを喉に流し込まされている感覚になる。念の為 AI 生成判定をしてみると予想通り 100%。人に論文読んでもらう気ある?別に AI 生成だからという理由では落とさないけど、心象悪く評価のベースラインからして一段低くなることを理解している?

2026/10/08 (Thu.)

  • 締切を終えて、書類仕事、学会仕事、ミーティング2件、セミナー参加、そして査読を1本片付ける。溜まっていた仕事を一気に片付ける。
  • セミナー後の懇親会で、せっかく教員しかいない場だったので、最近学生の相手をしているときに悩んでいることを勝手に相談させてもらった。どれくらいセミナーの強制参加を促すかとか、どれくらい学位を取るための研究を強制させるか、みたいな話。前提として自由で自律的な研究生活を送って欲しいのだけれども、でも一方で独りよがりでなく同僚との協調関係は身につけて欲しくて。それを教員の方から強く介入することなく、組織のデザインで自然と誘導するようなインセンティブ設計は可能なのだろうか。

2026/10/07 (Wed.)

  • 締切当日、今日は1日付きっきりで学生の横で論文修正をしていた。1日僕が手ずから原稿を書き直すと流石にだいぶ見通しが良くなる。本来は学生が全部できるようになって欲しいわけだけど、今回の投稿においては僕が実働したのは最終日だけで、ここに至るまで10日くらいのラストスパートに至っても僕は徹頭徹尾原稿への赤入れとその根拠説明だけに留めて様子を見守った。どうしても細かいところはこれだと直りきらないが、それでも学生がいつか近い将来に自分の力で原稿を書き上げられるようになるのを目指してこうしている。今日はディスカッションのセクションをどうやったら文章レベル、段落レベルで論理構成を整えられるかを真横で例示してみせた。一朝一夕にはできるようにはならないし、僕だって3本、4本論文を書く過程で身につけていったものだから。
  • ところで OpenAI の722本のプレプリントが話題になっているわけだけれども、あれを見ると一方で人間がどれだけライティングを頑張るべきなのかもよくわからなくなってくる。数学的結果が合っているのであれば、ライティングがどうであってもどうせ LLM で論文を読むのだから、LLM 可読であれば十分じゃないか。そういう見方もあり得る。なので論点は人間が今後論文を読むのかどうかという点にあるわけだけれども、僕個人としては論文を書くのも読むのも好きで、LLM を理解の補助に使うことがあったとしても、自分で読むプロセスが完全にゼロにはならないだろうと思う。美しく書かれた論文、美しく書かれた教科書というのは、それ自体が人間の欲求を満たすある種のエンターテインメントなのだ。囲碁や将棋で勝ち負けだけが大事なのではないのと同様に、論文だって正しければ良いというものではない。だから「*この人は*どういう視点を持っているのか」が気になるのであり、やはりその人間が自力で紡ぎ出した言葉を求めるのだと思う。「AI はこう言ってました」、いや AI がどう言っているのかを聞いているんじゃない、あなたがどう考えるかを聞いているんです。

2026/10/06 (Tue.)

  • 「なぜ AI 脱臭を経ていない AI 生成物に対して嫌悪感を感じるのか」と考えていたのだが、「著作者の本気度が見えないから」というのが最大の理由に思われた。別に何のことはない文章だったら AI 生成だろうがなんだっていいんだけれど、一世一代の、たとえば大学院進学打診のメールとか、論文とか、気合のこもっているはずのブログ記事とか、そういうのが AI 生成だったら幻滅するという話。その著作物の完成度がどうという以前に、著作者がどれだけ魂を込めているのかが見たいのであって、ただ流麗な著作物を我々が消費するだけだったら(つまり著作者とのコミュニケーションが発生しないのだったら)この問題は生じない。その意味では論文は著者とのコミュニケーションよりも技術的貢献そのものだけに注視することも少なくないから、AI 生成でもいいのかもしれないけど。

2026/10/04 (Sun.)

  • 少しくらい気晴らしにどこかに出かけようかとも思ったが、締切前最後の週末なので結局原稿修正に没頭していた。原稿に集中して向き合えたのでよかった。詰めている仮定でなんと今まで考えていた集合間距離が Hausdorff 距離の一般化で書けること、しかもそれが50年代にフランス語の文献で知られていたことに気づいた。余談だが、久しぶりにフランス語の論文に遭遇したわけなのだが、論文調であれば翻訳することなく原文のまま割にスイスイと読めることに気づいて、心の底から嬉しくなった。

2026/10/02 (Fri.)

  • 毎日学生と論文の修正について議論し続けて1週間で見違えるほど論文がよくなってきた。大変だけどやりがいのある仕事ではある。
  • ふと見かけた神谷さんのスライド、どうみても十中八九 Claude で作っているのだが、果たしてどうやってプレゼンしているんだろう。皮肉とかではなくて純粋に AI に出力させた文章を無修正で羅列した発表資料をベースにどうやって自分の言葉で再構成しながら発表できるのか、が気になる。それが出来るなら AI 生成物に対してある種の責任を負えていることになると思うのだけど、それが生身の人間に可能なのかどうか。神谷さんなら可能だったとしても納得はできるので、だからなおのこと気になる。

2026/10/01 (Thu.)

  • 久しぶりに出勤時に青空を見た。これだけで全然心持ちが違う。